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神社が喫茶店になったことには、驚かなかった。店のインスタ写真で、外観もメニューも知っていたからだ。古い社を直した造りが珍しく、ケーキも見栄えが良くて評判らしい。拝殿の壁にかかっていた江戸時代の算額や、苔がいい具合に生えた年期の入った祠も、店内や庭の写真に写っていた。でも私が知りたい情報は、インスタに載っていなかった。
高床の元拝殿に上り、お参りの鈴の下を通って引き戸を開くと、昔クモの巣が張っていた内部はきれいに改装されていた。
「こんにちは」
建材の黒木は塗り直したようでつやがあり、荘厳でレトロな雰囲気を再現している。テーブルもいすもアンティークな木製で、カウンターには骨董品のようなコーヒーミルと、まるで理科実験室から持ち込んだようなガラス管を組んだドリップ道具、銅製のケトルが並んでいた。
コーヒーと木の香りが混ざって、鼻腔を心地よくくすぐる。スタッフは壮年のマスターと、高校生バイトらしい男性の二人。どちらも白黒のウェイター衣装をぴしっと着こなしている。
「いらっしゃいませ。お一人様でしょうか」
マスターが私に声をかける。うなずくと、「店内にしますか、テラスにしますか?」と重ねて尋ねられた。
「テラス席でお願いします」
「かしこまりました。こちらへどうぞ」
マスターの案内で店内を抜ける。その先に現れた、石に囲まれた小さな池と日本庭園があの時の面影を残していた。
池は当時と同じ広さで山の雪解け水をたたえていたが、今は水の際までウッドデッキが敷かれてテーブル席が五つほど並んでいた。開店まもない時間のせいか、お客さんは若い男性がいるひと席しか埋まっていない。
「お好きな席にどうぞ」
「あの……ここはマスターが改装されたのですか?」
「はい。三年前に東京から移住したんですが、内装や外装も半分は自分で手がけて、商社員時代に夢だった喫茶店を開くことにしたんです」
マスターは、にこやかに話す。
「ではこの庭に、お狐様の像がありませんでしたか?」
「お狐様?」
しばらく首をかしげたが、やがて「ああ」と手を打った。
「小さな狐の像ですね。二体ありましたよ」
「では、今も……!」
「ここをテラスにする時に処分しました。それなりに古い像とは思いましたが、耳やお顔の彫りが欠けたり削れたりしていて、価値があるとも見えませんでしたし」
そっか。会えなかったか。
もしかしてって、期待したんだけどな。
私はため息を隠して、「日替わりのドリップコーヒーを一つ」と注文した。マスターは私の失望に気づかなかったのか、「かしこまりました。お庭をゆっくりご覧ください」と笑顔を返した。
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