お狐様がいた庭で

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 席に着いてからひき始めたコーヒーは、バイト店員さんがテーブルに運ぶまでゆうに十分はかかった。苦味と酸味を少し強く感じたのは、お狐様との再会を果たせなかった私の失望が、舌の調子を変えたせいかもしれない。  しばらくぼうっと、神社の庭を眺めていた。ひなびた庭の古い記憶と、目の前にある整った庭の情景が、重なっては霞のように揺らぎ、やがて現実の喫茶店で上書きされていく。  私の子供時代は東京生活のどこかでぷつっと切れて、いつのまにか終わっていたんだ。そんなことを、とりとめもなく考えていた。  そろそろ帰ろうか。そう思い始めて視線を上げた時、店員さんが私の傍に立っていることに気づいた。 「お客様。つかぬことをうかがいますが、先ほどマスターとお狐様の話をされておりましたか?」  ウェイター服の若い店員さんは、まるで執事のように話し方が丁寧で、穏やかだった。   「はい……それが何か?」 「あちらのお客さまが、お狐様についてお聞きしたいことがあると仰っています。差し支えなければ、こちらの席にお呼びしてもよろしいでしょうか」  店員さんの生真面目な顔から視線を指先に移すと、二つほどテーブルをはさんだテラス席の端に私と同年代の男の子がいて、こちらをじっと見つめている。目が合うと、彼は眼鏡の奥の瞳を軽くしばたかせた。  はっとした。  なぜか浮かんだのは十年前、お狐様と一緒に遊んだ男の子の、無口な笑顔だ。  東京の街で男の子に声をかけられた経験はあったけど、都会の子は嫌いで一度も応じたことはなかった。  でも、この時だけは拒否してはいけない気がした。呼吸が急に荒くなって、心臓が早鐘のように打ち始めた。
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