お狐様がいた庭で

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 十年ぶりに戻った新潟県北の街は、遅い桜が終わって街路樹のハナミズキが咲き乱れていた。  故郷の高校に入学し、新しい友人作りや部活動選びで何かと忙しかった四月。それがひと段落した五月連休の大安土曜日、天気予報で一日快晴と確かめると思い切って不便なバスに乗り、すでに他界した祖父母の家に近い停留所で降りた。  周りを田んぼに囲まれこんもりした社の森が、春の新芽を勢いよく伸ばしている。あの頃から変わらず時間が止まったような光景。ただ何もかもミニサイズに見えるのは、私の背が高くなったせいだろう。  紅のかすれた木の鳥居をくぐり、石畳の細道を歩く。藪を抜けた先で視界が開けると、元は黒塗りの拝殿をこぎれいに整備した喫茶店が現れた。 「カフェ・志野咲(しのさき)」  十年前、小さい割にいかめしい拝殿は荒れた廃屋だった。祖父母は「お狐神社」と呼び、昔は縁結びの神様と慕われたらしい。だけど昭和の終わりの水害で近くの集落が丸ごと引っ越し、借金を抱えた神主一家も夜逃げしたとの噂で、打ち捨てられた神社となった。  両親の離婚調停の間、祖父母の家にひと夏預けられた私は、この境内を密かな遊び場にしていた。原っぱに転がっていたペットボトルサイズのお狐様の石像を二つ見つけ、池のほとりに細腕で並べ直し、野の花を摘んでは飾りを作って首にかけ、ままごとのように遊んでいた。  やがて、その遊びに一人の男の子が加わった。最初は私のままごとを遠くから見ているだけだったが、狐の石像にお世話をする私に興味を持ったのか、草の葉に乗せたお供えの泥団子を作ったり、石を積んで部屋のような空間を作ってくれたりしていた。  お狐様は、生まれて初めてさみしさという感情を覚えた私の心に、ぽかぽかと暖かい空気の塊を作ってくれた。中学の卒業前、母が実家のあった故郷に戻りたいと言った時、最初に浮かんだのがあの夏のお狐様だった。
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