はじめてのお泊まり

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はじめてのお泊まり

観客たちが帰る人波にまぎれる。 早く帰りたかった。一刻も早く家に帰って、自室に引きこもりたかった。 敦司がどう思ったかは知らない。 知るか、そんなこと。 すたすた歩いてく。 敦司は黙ってついてくる。 頭のてっぺんあたりに、視線。 なぜ、いつも並んで歩けないんだろう。 どうして敦司のことをあわてて追いかけたり、俺の後ろを、敦司が気のない様子で歩いたりするんだろう。 駅までの道はやけに長く感じる。 周囲の人たちは、花火の感想を言い合ったり、このあとどうしようかって楽しそうに明るく話してる。 会話をしていないのは俺たちくらいのものだ。 この感情ごと人波の中におきざりにしていきたかった。 さっきから進む速度がやけに遅い。前を歩く人にぶつかりそうになって足が止まる。 首を伸ばして前方を見る。信号で止まっているのではなかった。気がつけば歩道にも道路にもびっしりと、人が滞留している。 なんか電車止まってるらしいよ? ゲリラ雷雨? やばくない?  周囲からざわめき声。 敦司と一瞬だけ、目を合わせる。どちらからともなくスマホを取り出す。 調べると、電車が風雨で止まっているとわかる。まだこの辺りでは雨粒ひとつ降っていないが、自宅の地域は土砂降りで風もひどいらしい。 なんとか駅舎が見えるところまでたどり着く。人混みを避けて脇道にそれる。そこにもところどころ人が溜まって、一様にスマホとにらめっこしている。 会場の最寄り駅は入場規制がかけられていた。バスとタクシーの乗り場には、すでに長蛇の列。 どーしよう。 敦司とは口もききたくないが、とりあえず今はそれどころではないようだ。 「…親に聞いてみるわ。車、出せないか」 俺んちには車がない。母親がめったに乗らないから、俺が中学を卒業して部活の送迎当番がなくなると手放したのだ。 結局こうやって、不慮の事態とはいえ頼らなくてはならないのはしゃくだった。 俺はまだ内面も外身もがきなんだと、思い知らされる。 敦司が仏頂面で通話を終えた。 折り悪く父親が車でゴルフに出かけており、まだ帰宅していないそうだ。 母親から、タクシー会社に電話してみて、と連絡が来るのでそうする。 問い合わせたが、沿線で他のイベントが行われた影響もあり、すべての車が出払って予約も一杯で、いつ配車されるかわからないとのことだ。 この蒸し暑い中、歩いて帰れる距離ではない。 敦司は再度、親と何やら電話で話している。 いないよ。だーから、いないっつってんだろうがよ。 相変わらず親に対して口が悪い。 そしてスマホを耳に当てたまま、俺に向かって言った。 「最悪、駅ん中とか、途中で停まった電車に閉じ込められるより、どっか適当なとこに泊まって明日帰って来いって」 おばさんからの思いがけない提案に、俺はつい、目を丸くして敦司を小一時間ぶりくらいにまともに見た。 「…女子といっしょならだめだけど、晃士とふたりならいいってさ」 さっき切れ気味で答えてたのは、女の子がいないことをおばさんにしつこく聞かれてたんだな、と俺はもはやどうでもいいことを考える。 どっか適当なとこに泊まって? ふたりならいい? 気まずさはマックスだ。 駅前に大きな看板を掲げたビジネスホテルでは、フロントで申し訳なさそうに断られた。 ついさっき満室になってしまったそうだ。花火帰りの人はみんな同じ考えなのだろう。 一縷(いちる)の望みのカラオケボックスも、もう満室で周囲に順番を待つ人まで集まっていた。 ふたりだから、嫌なんだけど。
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