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ずっとこのままでいられればいいと思っていた。けれど、彼が鎌倉に帰ってきてしまった。
夏の暮れ、揺らめく陽炎を背に立つ乳兄の姿は近江へ発った十二歳の時と比べてずいぶんとおおきく見える。
積もる話もあるだろうと気を利かせてくれた父を恨めしく思いながら、唯子は彼とふたりきりで砂浜を歩いている。煩わしい潮風に長い髪や赤らむ頬をなぶられながら、黙って彼の言葉を聞き逃すまいと耳を傾ける。けれど互いに緊張しているからか、彼は屋敷を出てからヒトコトも口にしない。
ふだんなら足元を濡らしそうなまでに迫っている白い波も、満潮を過ぎたからか奥へと引っ込んでしまった。やかましい蝉の声と潮騒だけが、さっきから唯子の内耳をくすぐっている。
――このまま、何も語られないのなら、それでも構わない。
むしろ、その方が唯子にとっては都合がいい。けれど、それは神を欺きつづけることに繋がる。彼だって、わかっているから父に促されて唯子とふたりきりになることを選んだはずだ。
悶々と悩む唯子に気づいたのか、浜木綿の白い花が咲く一角に差し掛かったとき、おもむろに彼が口をひらいた。
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