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その翌朝、前日にほとんどの食材を切らしたため個人配達で玄関先に届けて貰った朝食を、昨日のそれよりはゆっくりとスプーンで口に運び、ロートス・イーターが呟いた。
「我が海へ帰る前に一度、陸の人間の日々とやらをもう少し見てみたかったが」
一応休みは取ってあるが、
「また同族に襲われることになる可能性の方が大きいかと」
玲奈はロートス・イーターに言ってやる。町を案内すればきっと、この男はあれやこれやに驚いたり自分を質問攻めにしてくるだろう。ふと、それに逐一答えながら隣を歩く自分の姿を想像し、何故かなんとも形容しがたい気分に襲われる。思わず小さく首を振ってから、再度玲奈は言う。
「それと、先程本部より通達が。やはりこの街の上空遥かにそれらしき影があるとのこと。探されています」
「……雌どもか」
「セイレーンの女性達は集団行動をするようですが……」
その途端、机の上に置いたコンパクトC35が光りだした。赤く点滅するのは『緊急事態』のサインである。思わず、光るコンパクトを開いて覗き込んだ玲奈が息を呑む。
そこには町の上空遥か彼方を、何かを探し求めるように大きく旋回するセイレーンの集団が映っていた。
『……本部。セイレーンの集団が街に大量に飛来した模様。中部支局長のアパートメントから僅かに視認。上空を旋回している模様』
コンパクトの鏡の部分に、町の空高く旋回するセイレーン達の様子が映し出されている。
『本部より。中部管轄の魔法少女エンジェリック【機種依存文字:羽根マーク】キューティガールズ、春休みにつき全員が隣県の水族館にいる模様。出動要請を出しますか。ただし中部支局長からの報告によりセイレーンは魔法少女の敵性生物『妖魔』ではないとの認定が協会より下りています』
中学生は春休みのシーズンである。魔法少女だった頃、休みともなれば皆で集っていたが、その度に何故か敵からの襲撃を受けて苦労をしたことを思いだし、玲奈は言った。
『……ええ、本件は先日発生したケース5472に該当するものです。中部支局長マジカル☆レーナ、出動します』
『本部了解。空中からの飛来につき近隣空港の管制塔に連絡。警察署および報道機関各種への極秘ホットラインを開通。避難誘導の準備を開始します』
玲奈がベランダに急ぎ足で駆け寄るのをみて、ロートス・イーターが言う。
「雌どもはおれの声を聴けば集まってくるだろう」
「……本当に、いいのですか。彼女達が街に到達する前にあなたの声を使って誘導し、食い止めることができれば、それが最良ですが」
「最良、か。……呼びよせることはできても、おれにはあの雌共を統べるだけの力がない。雌どもはお前にも害を成すだろう」
「私なら大丈夫です。これでも魔法少女ですから。それに、あなたの歌声には力がある、ということで間違いないのですね」
「……」
「『セイレーンは「王」の歌声に従う習慣がある』と協会のレファレンスから返答が来ました。ならば、どうか協力を。あれだけの数のセイレーンの女性達があのまま人間の街であなたを探し出したら、街の治安維持は不可能です」
「おれはまだ王ではない。歌声も、不完全だ」
玲奈が言葉を切ると、そっと、静かに言った。
「このアパートには先日から「ルルル♪マジカル☆キラメキシールド」が施工されているため、彼女たちにあなたの存在が気付かれることはないでしょう。……あなたが先日受けていた被害を鑑み、無理強いはしません。この部屋で待っていてくれても構いません」
「それは、できないことだ。……確かに、思いだせば、苦しくもなる。だが、あれらはこの人間の住まう陸にいてはならぬものだ。おれは、行かねば」
「……わかりました」
玲奈が少し息を吐いて、再び本部との通信を入れる。
『本部。先日のケース5472にて保護したセイレーン「コードネームLE」ロートス・イーターを同伴します。声に誘導能力があると見なしました。それによりセイレーン達が地上に降下するのを防ぎます』
『本部より中部支局長へ。非戦闘員の同伴とみなし、今回の出動にはパターンXを推奨します』
「………」
玲奈が珍しく眼鏡の鼻の部分を指先で押さえ込み、深く眉を寄せて何か苦いものを飲み込んだ顔つきで大きく息を吐いて返答を返す。
『……了解。パターンX、マジカルレーナ。中部支局長の権限において再始動。今回は飛行許可も同時申請。「トキメキ☆スターソルジャー!ラーラ」の「キラキラスーパー【機種依存文字:流れ星マーク】ジェットロケット」をC35の座標に転送願います』
そして、ロートス・イーターの方へと振り返る。
「『パターンX』は魔法少女の『装備の全て』を転送するシステムです。……34歳の女が14歳当時の服を着る。見ていてあまり気持ちの良い姿ではありませんが……」
ロートス・イーターが不思議そうに首を傾げる。
「何を着ていようが、お前はお前ではないか」
あまりにも当たり前のように言われて、玲奈が思わず言葉を詰まらせる。そして、小さく溜息をついて、
「そうだといいのですが……では、はじめます」
いつもと変わらぬ口調を取り繕って言った。
「はじめる?」
「ポーズとの同期が必要なパターン認識です。……三歩ほど後ろに下がって」
出来れば後ろを向いていて欲しいところだったが、そんなことを言っている場合でもなかった。それを少々恨めしく思いながら、玲奈は部屋の中でコンパクトを天高く掲げ、あくまでもいつもの真顔のまま、声高く言った。
『パターンX変身音声認識開始。マジカル☆レーナ♪キラメキイリュージョン・スペシャルハピネスフォーム!』
まさかこの男の目の前で、往年の衣装にチェンジする羽目になろうとは。
短いひらひらとしたスカート、スパンコールを撒き散らしたかの様にあちらこちらがきらめく可愛い装飾の施された袖と襟。
これを着て戦っていた頃とは身長も体型も違うのに、魔法少女の服というのは思春期の少女の成長の著しさにも対応しているためか、着る者の体系に自動で調節される機能が備わっているのがデフォルトだった。
「……だがしかし、唐突に随分と布地が減ったな。いや、よく見ると増えているのか、どちらなのか」
流石に目を丸くしたままロートス・イーターが、突如愛らしいポーズと共に変身した玲奈をまじまじと見つめて呟いた。
「……言わないでください。よく見なくても結構です」
「やはりそのメガネとやらはないほうがいい」
「まあ、そうでしょうが……昔ほど視力が良くないので、これは変身後もないと困るのです」
キラキラとした往時の魔法少女のコスチュームに、公務員ならではの銀縁の眼鏡をかけたまま、首から全日本魔法少女協会ことJMGAのICカードを下げなおし、玲奈は目をそらして答える。
「……その四角い首飾りはなんだ」
「これは気持ちの問題です、私の。私は協会の中部支局長ですから、これをつけていて当然ですので、そういうことです」
微妙に答えにはなっていないが決して有無を言わせないその語調に、人間の女が目の前で突如光り輝きながら変身する様を初めて目の当たりにすることになったセイレーンの男が青い瞳を瞬かせる。
「髪の色まで変わるとは。不思議だ、実に不思議だ。これもまた魔法とやらか」
「ええ、まあ、そのような感じですね」
何時もより少し歯切れの悪い返事を返す玲奈を真顔で見て、ロートス・イーターがやっとのことで得心がいった、という顔をして言った。
「成る程、この服もお前の『義務』とやらに相当するらしいが、お前にも苦手なものはあるらしい」
「………」
「確かに愛らしくはある姿だが、おれはお前のいつもの姿の方が好ましい。そんな気がしている」
「セイレーンの美意識にそぐわず申し訳ないのですが、これも義務ですので」
そう言って、カーテンを開けてベランダに出て、思わず左右をしっかりと確認している玲奈を見て、ロートス・イーターが笑いを噛みしめる。
「魔法少女とやらのか」
「この姿にまでなることはそう多くはありませんが、今日は緊急事態なので……」
春先にはまだ少し肌寒い、気持ち的にもやはり若干暖かくはなれないこの『パターンX』のきらきらしたコスチュームについた長いリボンを風にはためかせながら、
(この短いスカートの丈も伸びてくれればよいものを……)
内心だけでそんな愚痴をこぼす。
そんな玲奈の気持ちなど一切読んではくれない、これまた華やかできらきらした電子音が響き、あちこちに宝石がデコレーションされた愛らしい魔法のロケットが遥か上空からベランダに降りてくる。息を吐いて気を取り直してから、玲奈は言った。
「……本当に申し訳ないのですが、ロートス・イーター、あなたもこれにつかまってください」
「おれがか」
「高速で空を飛ぶものです。あなたの傷は癒えていますが、念の為、私にしっかりとつかまって離さないように」
玲奈ことマジカルレーナは真顔を崩すことなく、透明なコクピットの窓を開けると、子供用サイズの自転車に立ち乗りする大人の要領で、年端のいかない魔法少女達でも取り回しのしやすいやや小さいサイズの魔法のロケットの上に立ち、愛らしい操縦桿を握りしめる。
「おれは飛べないことはないが、ここはお前に従った方がよいらしい」
小さな後部座席に人ならぬ脚を器用に突っ込み、ロートス・イーターが玲奈の身体を掴む。
「……このロケットは高度5000メートルまで対応しているので、彼女達の元まで飛べるはず。では、行きます。舌を噛まないように気をつけて」
そして、
「音声認識開始。『トキメキ♪ラーラのジェットロケット発進!あなたのハートに【機種依存文字:ロケットマーク】ロック☆オン!』」
途端に、あまりにも場違いな遊園地のメリーゴーランドのような音がベランダに盛大に鳴り響き、ビーズを一気に吹きこぼしたようなカラフルなジェットがこの『魔法のロケット』から噴出する。
そして、一体何事かとアパートの住民達がベランダの窓を開けたときには既に、二人を乗せたロケットは空高くへと高速で舞い上がっていった後だった。
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