魔法少女は34歳 本編

6/13
前へ
/13ページ
次へ
 ぼんやりした意識のわずか向こう側から、低く、美しい歌声が聞こえる。『妙なる』という形容詞がぴったりな、ゆらゆらと海をたゆたうような声。 「ロートス・イーター……」  頬に何かが触れる。このセイレーンの金の長い髪だった。うつらうつらと微睡みながら今自分がベッドの上にいることに気付く。起きなければ、という気持ちをも封じてしまうような甘く囁くような歌声に抗うように、何度も何度も瞬きをする。  歌声がやみ、問いかける声が間近で響く。 「……お前は、自分のことを考えないのか」 「……ステッキの出力指数の計算ミスですね。見苦しいところをお見せして申し訳ない」  朝かかってきた電話のせいだろうか。治療の最中だと言うのにどこか上の空だったのかもしれない。魔法少女にあるまじきことである。  思わず深々と頭を下げる玲奈に、己の長い金色の髪を人ならぬ指先で後ろにかきあげて、セイレーンの男が再度問いかける。 「なら聞こう。お前は何のために生きている」  自分のベッドの上で、このロートス・イーターに抱きすくめられているらしい。不思議と恐怖はなかった。顔の上でずれている眼鏡を手の甲で直し、玲奈は言う。 「……やりたいことが、あるのです。魔法少女でいられるのは……あと少しですが、その後に、ようやく」  レトルトの粥のパックを抱えたまま気を失ったらしく、それらを腕の中に抱えたままだった。 「……意思を持って生きる者は、皆、尊い者のはずです。ああして……蹂躙されるだけではない生き方は、あるのですか」  ロートス・イーターが黙る。そして、しばらくしてから粥のパックを指して問いかける。 「……これの食い方が、よくわからなかった。食物なのか」 「申し訳ないのですが、暖めた方が美味しいかと。封を切って、中身をレンジに入れて……」 「破ればいいのか。……なるほど、粥か。父祖の代の頃、海の小島に住まうヒトの女達がこれを喰っていたと聞いたことがある。魔女、だったか。お前も、その眷属か」  玲奈が何かを言うよりも早く、レトルトの粥の封を口で破る。 「自分を省みないのは、雛鳥のすることだ」  ロートス・イーターが中身を口に含み、強引に玲奈を引っ張り寄せて、指先で口を強引に明けさせると、まるで親鳥が雛にそうするかのように、口移しで粥を玲奈の口の中に注ぎ込んだ。 「あ………」  いきなりの行為に、さすがの玲奈も声が出てこない。両腕から逃れたいはずなのに、何故か力が出ない。全身が燃えるように熱くなるこれは、羞恥なのか、それとも別の何かなのかわからず、ただただ目を見開いてロートス・イーターの腕の中でもがく。 「セイレーンの雄とは楽園の果実。つまり快楽の塊だ。血も、汗も、涙も、身体のすべてが、そうだ。黙って食うがいい。喰えるのならば。……おれは、おれそのものが雌共の欲望を喚起する様に『出来て』いる。そういう雄だ」  昨夜送られてきたデータの中にあった、セイレーンの住まう海に伝わる伝承のひとつを思い出す。『蓮の実を食べ、全てを忘れて永遠に夢見心地で安逸に過ごそう』。  この男、ロートス・イーターはつまりその名の通り『食べると気持ちが良いもの』なのだろう。  唾液が口を伝わってくる度に全身が泡立つ快感に襲われる。セイレーンの雌達が四六時中この男に群がっていたという理由を、玲奈はこの瞬間、身体中で体得した。  そして壊れていきそうな理性の残りでロートス・イーターの瞳を見ると、海のように青い目が、冷徹に、少しばかりの絶望を湛えながら自分を見つめている。 「……嫌です。私は……傷つけない……」 「なぜだ」 「あなたを……本当のあなたを、海へ……帰す、までが、それが、私の……あ……っ………」  男が粥をもう一度口に含み、皆まで言わせず玲奈の口へと強引に流し込む。口の端から白い粥をわずかにこぼしながらも、玲奈は震えるように身じろぐ。噎せ返り、咳き込み、腕を伸ばして逃れようとするうちに、眼鏡がずれてベッドの上から落ちる。 「だめ……です………やめ、あぁ………」 「それは義務か」  眼鏡のないぼやけた視界の向こうから、男の声がする。低くそして甘く聞こえる声で、禁忌と羞恥と理性の三重に鍵がかかった扉を一気にこじ開けようとする、突如として暴力的に襲ってきた快楽の嵐の中、玲奈はぎっと自分を抱え込む相手を見つめ、おそらくは自分を『試して』いるのであろうこの男に、 「ぎ……む………です。私に、は、果たす、べきことが、ある……」  途切れ途切れに言った。そして、息を少し吐いて、身体を起こし、ロートス・イーターを見つめながら、口移しで無理矢理与えられた甘い粥を、一気に飲み込んでみせた。そして目を見張る男に、 「だから私を、試し…ても………無駄です………」  精一杯の力で己の意思を主張して見せた。視線と視線が激しく絡みあい、味がないはずの冷めた粥が、甘く、熱く、まるで濃度の高い酒のように身体の隅々を蕩かしていく。  粥の味が全身に回ったのか、くらり、と、手足を弛緩させて気を失いながら、それでも僅かに指先を震わせながら微かに意識と理性を保ち続けようとする玲奈に、 「レーナ、陸に住まう変な女よ。おれはお前を、お前のその義務とやらを、信じることにした」  ロートス・イーターもまた、息を大きく吐いて言った。
/13ページ

最初のコメントを投稿しよう!

3人が本棚に入れています
本棚に追加