人買い

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人買い

 その兄弟は街道に置き去りにされたところを二人組の人買いに拾われました。みなしごや、親に捨てられた子供がたくさんいた時代のことです。兄弟が拾われたのは冬がおわるころでした。人買いの家は子供たちでいっぱいでした。  人買いの名はヨハネスとレンナーで、町や村で孤児をつかまえたり、食い詰めた親からはした金で子供を買いとっていました。街道沿いの家に子供たちを集め、幌馬車で市場へ連れて行き、奴隷を求める金持ちに売るのです。ヨハネスが子供たちを脅し、レンナーがおびえた子供たちに粗末な食べ物を与えて世話をします。レンナーは子供の見栄えをよくするのが上手でしたから、たいていはすぐ買い手がつき、遠くへ連れ去られていきました。そのあと彼らがどうなったのかは誰も知りません。  ところが街道で拾ったこの兄弟、ヘンゼルとグレーテルだけは、春たけなわの頃になってもまだ人買いのもとにいました。  ヘンゼルは小柄で少女のような美貌をもち、グレーテルは痩せぎすで背が高く、賢そうな目をしていました。小さい方が十か十二、大きい方は十四か十五くらいかとレンナーは思いました。実際はかなり――特にヘンゼルは――ちがったのですが、彼にたしかめるすべはありませんでした。  グレーテルの方が年上にみえたので、人買いたちはヘンゼルが弟でグレーテルが兄だと考えましたが、どっちが兄でどっちが弟かなど、すぐにどうでもいいことになりました。というのもこの兄弟はまもなく二人にとって悩みの種になったからです。  ヘンゼルは見た目がよく、金持ちにすぐ売れました。ヨハネスは代金を受け取りました。ところが数日するとヘンゼルはいつのまにか人買いの家に戻っているのです。逃げ出したのかとヨハネスは驚きましたが、内心ほくそえみました。べつの金持ちにもう一度売りつけられると思ったからです。  しかし三度同じことが続くとヘンゼルを、いや兄弟を持て余すようになりました。人買いといっても客には信用が第一で、度重なると詐欺で官憲にしょっ引かれません。ヘンゼルはグレーテルがいるから人買いの家に戻るのだと彼らは考え、兄弟をまとめて売ろうとしたこともありますが、二人一緒に買う金持ちはいませんでした。グレーテルは年齢も外見も彼らの好みにあわず、しかも目つきが落ちつきすぎて不気味だというのです。  ついにヨハネスはレンナーに兄弟を森に捨ててくるよう命令しました。意外に思うかもしれませんが、ヨハネスは殺しと死体が嫌いだったのです。彼は人を打つのも苦しめるのも平然としてやる人間でしたが、死体の蘇りを信じていました。病気や怪我で子供が死ぬのも嫌がって、これまでもレンナーに、病気で死にかけた子供は森に捨てさせていたのでした。 「今日は森に金持ちが喜ぶ花を採りに行く。買い手がつかないおまえたちも、花を持っていれば売れるかもしれない。一緒に来るんだ」  翌日、レンナーはそういって兄弟を街道沿いの家から連れ出しました。行先は終わりのない海のように広がる大きな森です。  よく晴れた日でした。兄弟は森の奥までおとなしくレンナーについてきました。春の森は土と水のさわやかな匂いがして、新芽の鮮やかな色があふれていました。小鳥の声が楽しげに響いています。  木の根のあいだを曲がりくねった道は細く、慣れていない者は見失いそうなものですが、森へ薪を集めにくるレジナーにはなじみのある道でした。春の日差しは一行を暖かく照らしました。  実をいうとレンナーは短い時間でもヨハネスから離れられてほっとしていたのです。二人組の人買いといっても、ヨハネスとレンナーは対等ではありませんでした。ヨハネスはレンナーの倍以上の年齢で、おなじ郷里の出身でした。郷里にいたころからヨハネスはレンナーに棒と鞭を使い、奴隷のように焼き印まで押して、道具のように使っていたのです。  レンナーはヨハネスから逃げられないまま人買いになり、抜けられないまま今に至っていました。少年のころからヨハネスの手助けをさせられていたので、ほかに生きていくすべがあるとも思えなかったのです。  何時間も歩いたあげく、レンナーはついに、ぽってりしたピンクの花がびっしり咲いている大きな木のところまでやってきました。ここはレンナーが以前みつけた秘密の場所でした。ピンクの花びらがひらひらと宙に舞い、まるで夢のように美しいところです。 「昼飯にするぞ」とレンナーは兄弟にいいました。 「パンを食べていろ。俺は泉に水を汲みにいく」  でもそれは兄弟を置き去りにするための口実でした。レンナーは太い木の幹に隠れながらあとずさり、兄弟が完全にみえなくなると走り出しました。泉の場所などレンナーは知りません。パンを食べつくした兄弟が暗い森で飢えるのを想像すると心が痛みましたが、こうしなければまたヨハネスに打たれてしまうでしょう。  レンナーはヘンゼルのポケットがふくらんでいたことに気づきませんでした。森を歩いている時、ポケットの中にあった小石が道に落とされていたことにも。  だからヘンゼルとグレーテルが翌日の朝、人買いの家に帰ってきたときはとても驚きました。ふたりは小石のあとをたどって戻って来たのです。髪にはピンクの花びらがくっついていました。  レンナーは兄弟が生きていたことに内心ほっとしましたが、ヨハネスの怒りはすさまじいものでした。レンナーは棒でさんざんなぐられ、兄弟は空の倉庫の中で蹴られたあげく、閉じこめられました。翌日、ヨハネスはふたりの胴と手首を綱でつなぎ、目隠しをしました。そして打たれた痣も痛々しいレンナーにその端をもたせ、森の奥へ行かせました。  今度こそこの子たちも終わりだ、とレンナーは思いました。  それでも出発するとすぐ、ヨハネスにばれないように、こっそりふたりのポケットにつめられるだけのパンをつめました。この兄弟には奇妙なところがあるから、もしかしたら生きのびるかもしれない、そう思ったのです。  昨夜ヨハネスに打たれたところは腫れあがり、レンナーは痛みで気が遠くなりそうでした。だから森を歩いていくとき、ヘンゼルのポケットからパンくずが零れていることにも気づきませんでした。  今回は花の咲く木のもとには行きませんでした。森のもっと奥まで進んだのです。どこかで獣の吠える声がきこえました。レンナーはびくびくしながら兄弟の胴に巻いた綱を太い木の幹にくくりつけました。目隠しはそのまま、手首を縛る綱だけ解きます。兄弟はレンナーのなすがまま、暴れも叫びもしませんでした。 「これでさよならだ」  やっとそれだけつぶやいて、レンナーは痛みをこらえ、よろよろと戻っていきました。
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