特急電車との……

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「出発進行‼」  展望席の目の前で、運転士が、よく通る大きな声を上げ、前方を指差す。 「わぁ……」  達也は溜息をもらしながら、運転士の背中側から、一挙手一頭足に見入る。 「良かったな、達也」  隣で父が目を細める。 「ラッキーだったわね」  通路を挟んだ隣の席の母も、同じように達也に微笑みかけた。  今日は、商店会の抽選で当たった私鉄特急R号の展望席に乗っての温泉旅行。車両は、今注目の最新鋭だ。  どんどんスピードが上がる。始発駅を出て、ビルの林を抜け、高架を走る。背の低い街の建物が、後へ後へと飛んでいく。  R号は、まるで周りを見降ろしているかのように、誇らしげに疾走する。 「進行‼」  青信号を確認するたびに、運転士がかっこいい声で指差し確認をする。 「すごい、すごい!」  達也の歓声は続く。  配られた駅弁を食べることも忘れながら、運転士が見ているのと同じ景色に見入る。 小さく見えていた駅や踏切、架線を支える鉄柱などが、あっという間に大きくなって迫ってくる。 直線に入ると、ずーっと向こうで一本に結ばれているように見える線路が少しずつ広がり、枕木とともにどんどんR号に飲み込まれていく。 今度は、線路の一番向こうに黒い点が見えた。 「トンネルだ!」  最初はなかなか近づいてこないのに、途中からぐーんと加速し、あっという間に闇の中に突入。その瞬間、 (ゴーッ)  轟音に包まれた。 「すごーい!」  思わず、また歓声を上げる。 「俺たちも、初めてこのR号に乗った時は、興奮したな」 「興奮してたのはあなたでしょう?」 「そうだったかな」 「そうよ。でも、あれからもう八年か……早いね」  父と母が、当時の新婚旅行を懐かしんでいる。 「あの時も、展望席に乗ったわね」 「そうだったな。あの時は今日のよりも一世代古い車両で……」  父がうんちくをたれる。しょうがないな、というふうな笑い顔で聞いていた母が、 「男の人って、そういうの好きだよね」 「え、覚えてないのか?」 「そりゃ、今日とは違うぐらいは覚えてるけど、あそこがこうだったとか細かいことまで覚えてないわよ。それより、新婚旅行が初めての二人の旅行だったでしょう? そっちよ」  父と母では、覚えているところが違うようだ。  気づくと、周りの景色は自然がメインになっていた。前方、遠くに見えていた山並みが、もうすぐそこまで迫っている。 「あっ、富士山だぁ!」  達也が声を上げて指を差す。達也にとっては、生まれて初めて見る『生の富士』だ。  父と母は、合掌している。達也も真似をしてみた。それだけでなぜかいい気持ちになる。  その後もR号は、山々に見守られ、大小様々な河川を跨ぎ、緑に染まった田園や畑の中を疾走する。そして、終着の温泉駅に到着した。  ここまで、一時間余りの小旅行。 「さ、達也、支度しなさい」 「えー、もう降りるのぉ?」 「そうよ。終点だから」 「はーい」  いやいや支度をする達也。その隣で父がいきなり、 「あれ?」  運転席に目が止まる。続けて、 「陽子、この運転士さんって……」  妻の肩を叩く。客席側に顔を向けている運転士を見た妻も、 「あっ!」  と声を上げた。 「そうだよね?」 「うん。あの日の運転士さんね。ちょっとふっくらしたけど」  二人は笑う。さすがに運転士も視線に気づいたか、チラッと二人を見た。でも、当然のことながら、八年前にすぐ後ろの席から背中を見つめていた新婚カップルのことなど覚えているはずもなく……。  運転士はそのまま、作業を済ませると降りていってしまった。 「また会えたね……」 「うん。何かの縁だね」  父と母が口々に言った。 「お父さん、お母さん、まだぁ……?」  もう次への興味に移っている達也が、思い出に浸っていた両親を見上げて言った。 「あっ、そうね。降りよう降りよう」  母の言葉を合図に、ホームに降りる。と、反対側のホームに大勢の人がいた。 「えっ、何? どうした?」  母が驚いたように見渡す。特急車両の先頭から最後尾に至るまで、すごい人だかりなのだ。すると、 『間もなく、三番ホームより、特急R八号、新宿行が発車いたします。○○型車両は、これがラストランとなります』  駅のアナウンスが流れたのを合図に、あちこちで人々がスマホを向け始めた。 「そうなんだ……陽子、覚えてるか? あれだよ」  父が反対ホームの特急車両を指差す。 「何が?」 「八年前の……」 「あっ……」  さすがに母も思い出したようで、言葉が詰まった。新婚旅行で乗った、○○型車両。 「あの年で、○○型はもう一編成しか残ってなかったんだ。だから、今あそこにいるのが、俺たちをここに連れて来てくれたヤツなんだよ」  父のそんな言い方に、達也も小さいながら、何となく愛着めいたものを感じていた。 「ええ……また会えるなんて……」  母も、感慨深げに見ている。と、その時だった。 「お客様」  横から、男性の声がした。達也たち三人が一斉に見ると、今乗ってきたR号の運転士が笑顔で立っていた。 「お客様、もしかして、以前にも展望席にいらっしゃいませんでしたか?」  四十代半ばぐらいに見える運転士は、優しそうな笑みで聞いてくる。 「はい。いました。えっ、覚えていらっしゃるんですか?」  父が言う。 「もちろん。覚えていますよ。とても仲が良さそうで、あぁ、新婚さんなんだなって思ってましたから」 「それだけで?」 「いえいえ」  運転士は笑って、三人の着ているTシャツに視線を回した。それは、R号Tシャツ。電鉄会社が売り出している、特急車両のイラストとロゴが入った人気のTシャツなのだ。 「あの日も、ペアルックでずーっと展望席から見られてましたからね。さすがに覚えてました」 「ああ、言われてみれば……」 「そうね、言われてみれば」  父と母がお互いを見合って笑う。達也が間で、「えっ、僕は?」という表情で父と母を見上げる。 「子供が生まれたら、やっぱりこのTシャツを着せてまたここに来ようと言っていたんですよ。それがまさか……」 「ありがとうございます。今日は奇しくも、あの時のR号のラストランですね。私も感慨深いものがあります。では、よいご旅行を」  運転士はそう言って脱帽し、一礼して去っていった。  その背中を見送る最中、急に歓声が沸き起こって来た。 「三十年間、ありがとう」 「お疲れさまぁ!」  労いや感謝の言葉が、あちこちで飛び交う。一人ひとりの言葉に押されるように、○○型車両のR号は、ゆっくりと動き出す。 『ふぁ~ん、ふぁ~ん……』  今度はR号が、一人ひとりにお礼を言うかのように、音を響かせる。 『ふぁ~ん、ふぁ~ん……』  反対側のホームからも音が響く。今、達也たちを乗せて来た、最新鋭の車両だ。まるで、エールの交換だ。 「かっこいい! ね、かっこいいよね!」  達也が興奮して、父と母を見る。二人はやさしく笑って頷く。  ○○型は、何度も何度も音を響かせながら、ホームを後にした。  達也たち三人も、最後尾が向こうのカーブを曲がって見えなくなるまで、静かに見送った。 「また、会えたね、あの車両にも」 「そうね……」  さっきは車両など興味がないと言っていた母だったが、その目は潤んでいた。  それから更に、三十年の歳月が流れた。  達也は、妻と一人息子、それに両親を連れて、信州の田舎街に引っ越してきた。事情があって、妻の実家の近くに住むことになったのだ。  慣れ親しんだ街を離れるのは不安だったが、新たに根を下ろしたこの街も、自然が豊かで、人々もやさしく、まさに『住めば都』だった。  引っ越してきて三カ月ほどが経ったある日、新緑の心地よさに誘われ、達也は、両親と妻、それに息子と五人で、少し遠出のハイキングに出かけた。  途中、踏切に引っかかった。警報機のみで遮断機もない、単線のローカル鉄道だ。  カーブの向こうから、 『ふぁ~ん、ふぁ~ん』  という音が聞こえてきた。姿は見えない。  達也は、思わず父と母を見た。二人も同じ思いだったらしい。驚いたような目で達也を見た。  間もなく、音の主が姿を現した。 「あっ……」  達也の目の前をゆっくりと通り過ぎていく姿を見ながら、 「あの時のだよ、お父さん、お母さん!」  興奮したように言う。 「そうだった。去年引退して、ここの鉄道会社が引き取ったんだ。でもお前、よく分かるな。この型は二編成あったんだぞ」 「車両番号だよ!」 「おう、そうか。俺には見えなかったな」 「お父さん、老眼だからね」  マニアックな二人の会話を、笑って母が見つめている。息子は、初めて見る特急車両に夢中だ。三十年前の達也と同じように。 「また会えたね……」  父が、今度は母に向けて言った。 「そうね。また、ここでも会えたんだね……」 「同じだな、陽子。この地で第二の人生」 「うん」  父と母が微笑み合う。達也も幸せな気分で二人を見、まだ興奮している息子を見守っていた。 (完)
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