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 歩道に叩き付けられた指輪の淡く甘い桜色の石は、弾ける波飛沫のようにあっけなく砕け散った。クレイシルバーにガラス玉。僕の精一杯の手作りプレゼントの魔法は、たった三年で溶けてしまった。 「いつまでも夢ばかり追いかける人とは一緒にいられない。これ以上引き伸ばして、時間を返してなんて恨みがましいことは言いたくないから。サヨナラ」 彼女が投げつけるように僕に渡したのは部屋の合鍵だった。大学時代に演劇サークルで出会って、僕の役者になる夢をずっと応援してくれていた。就職して社会人一年生の彼女と、フリーターのまま小劇団に所属する僕。 社会に出てたった一年で、職場の先輩に乗り換えられた。男の影はうっすら感じていた。ほぼ、一緒に住んでいたから。 スマホを乗り換えるみたいに、あっさり乗り換えられて終わった。アパートの家賃が払えないと頼ると立て替え払いをしてくれて、公演のチケットが捌けないと愚痴れば友達を誘って観に来てくれる彼女。もう才能がないから辞めたいと何度も何度も泣きついて甘えた。同い年の彼女は僕を支えるために、どんどん僕より精神的に大人になっていった。  立て替えて貰ったのに一度もお金は返していない。役者は恋愛経験も必要だとバレてもバレても、懲りずに浮気も繰り返していた。客観的に見れば、三年も続いたのは奇跡。彼女の忍耐と犠牲の上に僕達の恋愛は成り立っていた。ギブアンドテイクのはずが僕は与えられてばかりで、彼女に何も与えていなかった。  春の夕暮れに不意に鳴り響く雷鳴。光る稲妻が、道路に散らばった桜色のガラスを虹色に輝かせる。雷の轟音なのか、車のタイヤから伝わる振動なのか、ガラスの破片を震わせて、桜の破片の雫がアスファルトを切りつける。雷と共に訪れた豪雨が、愛の証だった桜色の石の欠片を押し流してしまう。 持っているビニール傘もさせずに僕は、ただじっとアスファルトに残された愛の残骸を見つめていた。クレイシルバーで作った指輪の地金部分だけが、激しく降る雨でも流されずに、円満な頃の二人を思い起こさせる丸の印を描くように、雨粒に揺られても道から動かなかった。 人目もはばからず、彼女の細い薬指をさっきまで飾っていた、6号の地金を拾い上げた。僕は重い足取りでアパートへと歩いて帰った。
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