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 僕は早々に、トラブル回避の道を選んだ。店長に洗いざらい事情を話して別の系列店に移動を申し出た。 「どこでもいいので移動させてください」 ハキハキと喋って頭を深く下げた。店長はケッと小さな言葉を挟んで言う。 「先読みは出来る。周りの状況もよく見えていて人に合わせられる。ただ、性根が据わってねえな。ナリアがお前のことを相手にする訳がない。ただ、昔の事でナリアかお前が変な復讐を企めば面倒なことになる。新店を出したからそこへ行け。気づかれてないとでも思ったのか?ナリアを菜摘と呼びそうになったと八幡から情報は入ってる。その後、ナリアもあの黒服はなるべく遠ざけてくれと俺に注文をつけてきた。昔の男と女だと店の殆んどの奴は気づいてる。お前らに何かあればチクろうとしてるのもいる。移動先では性根据えてやれよ」 「はい、ありがとうございます」 性根が据わってないのは図星だ。ナリアの本名を呼びそうになったとき、黒服の先輩の八幡さんは気づかないフリをしてたのか。役者以上に役者のような人ばかりだ、この世界。  新しく出したばかりの店に移動して、客の呼び込みや雑用をこなしている内に、あっという間にまた3ヶ月が経った。この世界に慣れてきた頃に、思わぬ方向から災難が振り掛かってきた。  地方にある実家の両親が、いつの間にか頼んでいた調査会社の素行調査の結果を引っ提げて、僕のアパートに乗り込んで来た。 「女遊びまでは若い男だから目を瞑ってきた。結婚のけじめもなく一緒に暮らしてた女がいたな。だがな、人様に言えない世界で働く事は許さん。紹介の伝手があるから地元に帰って正社員で働け」 父は仕事上付き合いのある会社の営業の求人票を差し出した。職業安定所で一般にも募集を出していて、複数人採用する仕事らしい。 伝手ではあるが、伝手だとわからないような採用方法ということだろう。 「演劇になんてかぶれるからこんなことになるのよ…。こちらはね、ルート営業っていうんですって。元々いらっしゃるお客様の所を回るからそんなに心配事はないって。物怖じしないし人前で色々話すの好きで得意でしょ。向いてるわよ、そう君なら」  そう君って…僕を幾つだと思ってるんだろうか、母は。 「壮太って呼べ、そう君は止めろ!」 キレまくった中学生時代をふと思い出した。そして、劇団を辞めると決めたあの日。無味乾燥な湿気取りのシリカゲルの粒を、口の端から溢していたような劇団仲間と自分の姿を思い出した。口の端から食べ物をべこぼし、服を汚し、母親に服を拭いて貰うのをまるで待っているかのように。全能感のみで生きている幼児のような、希望的観測に縋る日々。  面白い仕事がしたいと飛び込んだ夜の世界の黒服。役者よりも役者のような演技力を持った人に囲まれてきた。でも、店長には性根が据わってないと見透かされていた。菜摘…いやナリアは長くいられない世界だと分かっていていつ辞めて、いつまともな仕事に戻るか、再会したときにはもう決めていた。
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