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 無事面接に受かり、必要な資格を取って故郷で灯油のルート営業をして日々を送っていた。愛想の良さと体育会系ノリは、演劇サークルと劇団で教わったことにしておいた。退屈で単調でも必ず人から必要とされる仕事だ。  初任給が出たらどうしてもやりたいことがあった。真面目に働いたお給料でナリアこと菜摘のいる店に客として一度だけ行きたい。 店のサイトを見ると、無事No.1の夢は叶ったらしい。ただ、内輪しか知らないはずの移籍の細かい事情が、裏サイトにポツリポツリ漏れていた。 「移籍してまでNo.1になりたい人いるね」 「勝てないからフィールド変えて必死」 客と思われる書き込みより、どう見てもキャストか黒服の書き込みの方が気になる。あの店長がこういう情報漏洩を見過ごすはずはなさそうなのに、何かあったのだろうか。  初任給を手にした僕は客として堂々と元職場へと向かった。店にネット予約をする前に、「黒服として以前お世話になった安達壮太ですが、客としてお店に伺ってもよろしいですか?」確認のLINEを店長に入れておいた。 店によっては、元従業員の出入りを禁止する所もあると黒服仲間が言っていた。予約しても入れないのでは話にならない。 「好きにしろ、割引はないが割増もない」 「差し出がましくて申し訳ありません。裏サイトに漏れてる情報は大丈夫ですか?」 「俺のGOが出てる。心配する客狙い、お前もその一人な」 許可を得たので店に予約を入れた。裏サイトに従業員が好き勝手に情報漏洩してるように見せてたのか。  予約画面を確認する、指名もナリアに入った。懐かしい店の、樫の木に模した樹脂製の両開きの扉を開ける。 「おう、来たんか」 昔の名残で先輩面する八幡さん。 「はい、お邪魔します」 もう客だけど?とは言わずに丁寧に話す。 席に着くと指名が立て込んでるのか、ナリアが来るまでしばらくかかるらしい。ヘルプの子が飲み物を聞いて作ってくれる。手順を思い出しながらなのか、つっかえつっかえ頼んだウーロンハイを作っている。 「マドラー、逆だよ。こっち向きね」 つい昔の癖でやってしまった。教える必要はないのに。キャストの間違いをさりげなく直すのは黒服だけど、今日の僕は客。ヘルプの子は笑顔を見て安堵の表情を浮かべる。 「ごめんなさい、まだ2日目で…」 「大丈夫だよ、慣れれば」 笑顔で答えてから、ナリアを視線で探す。ちょうど来るタイミングだったようで、席に着くなり含み笑いをしてきた。 「面倒見のいいお客さんだね」 僕は笑い返してナリアが来たタイミングで三万円のシャンパンを入れる。普通の勤め人だから無理は出来ない。 「やっと就職した。高いのは入れられない」 「わかってる。ありがと」 「あと、これ。ゴミなら自分で捨てて」 別れたあの日、彼女が投げ捨てたせいで、道端でピンクのガラス製の石と、クレイシルバーの地金がバラバラになった僕の手作りの指輪。石の方は粉々に砕け散った。地金だけは辛うじて残っていた。 ナリアこと菜摘はヘルプの子の手前、表情を変えないように気をつけて、テーブルの上に置かれた小さな金属の輪を手にした。程よく薄暗い照明が、銀色に輝く指輪を照らす。手にした指輪を彼女は、しげしげと眺める。 「貰っとく。でも、あのときのと違うよね」 彼女は値踏みをするような目で指輪を掌と指で弄ぶ。 「昔のツケが溜まってたから返しに来た。足りない分は悪いけど時効で。サヨナラ」 ナリア、いや菜摘は手を振って見送ってくれた。 「足りない分は時効にしとく。今度こそサヨナラ」  あのときとは違う、何もかも。  家賃まで立て替えて貰った。  プラチナなら金にはなるだろ?  今は換金相場が高いらしい。  もう、あのときとは違う、何もかも。  あの日の別れで立ち止まっていた僕は、自分の道を歩き出した。やっと、吹っ切れた。夜の割にはあちこちの照明がうるさい都会の帰り道。それでも、ナビで行き先が示されてるかのようにクリアだった。 楔を打った、自分の過去に。 ここから、今日から僕の新しい道が始まる。 (了)        
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