時を超えて

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週末、私はいつものように友人と居酒屋で飲んだ。 毎週末この友人と二人で飲むのが習慣になっている。 六時頃から飲み始め、九時を過ぎるころ店を変えてさらに飲むというのが決まったルーティーンだった。 その日も九時半には一軒目の店を出て次の店へ向かった。 歩いて三分も掛からないところにある二軒目の店を目指してふらふら歩いて行くと、店の中でやっているカラオケの音が聞こえてきた。 誰か女性が歌っている。 「上手いな」 友人が言った。 店の引き戸を開け、暖簾をくぐる。 「あら、いらっしゃい」 ここはママが一人で切り盛りしているカウンターだけの飲み屋だ。 十五、六人が座れるカウンターの奥の方に女性が一人いて、その横にはカラオケ画面の方を向きこちらに背を向ける形で一人の女性が歌っていた。 女性二人で飲みに来たのだと分かる。 「また来たよ」 私はママに言い、友人と私は、二人の女性客から席一つ離して席に着いた。 女性の歌は続いている。 「お客さん、上手いねぇ」 友人が声を掛ける。 酒場で女性に絡むのは迷惑かなと思ったが、一人席に座る女性は大人の女性で、多少は酔客の扱いにも慣れているようだった。 「そう、上手いでしょ、久美ちゃんは」 歌が終わったところで我々は盛大に拍手した。 「有難う御座います」 久美ちゃんと呼ばれた女性は振り返って言った。 「よく来るの? この店」 友人が尋ねる。 「いえ、何年かぶり」 久美ちゃんが答える。 そんな他愛ない話から、何となくその女性二人と我々二人は一緒になって飲み、歌うようになっていった。 先ほど座っていた方の女性は礼子、歌っていたのは久美子という名前らしい。 席も入れ替わり立ち替わりして話し、一緒に歌も歌って盛り上がった。 久美子は看護師、礼子は介護士で同じ病院で知り合った友人だという。 久美子がその病院から別の病院へ移ってからは暫く逢っていなかったが、今日久しぶりに会う事になったので、その流れで偶々ここへ飲みに来たのだという事だった。 楽しくなった私はいつになく飲み過ぎたようだ。 ここで話したことはあまり覚えていない。 ただ、宴の終わりに、 「また、お会いしましょう」 等と言って四人で店を出た事だけはボンヤリ覚えている。 一週間後、私と友人はいつものルーティーンをこなすべく、いつもの居酒屋に集結していた。 一杯目のビールを飲み干す頃、私のスマホが鳴った。 見覚えの無い番号だ。 こういう電話には普通、出ないのだが、その時だけは何故か出た方がいいような気がした。 出ると、それは久美子からだった。 なんで私の番号を知っているのか疑問に思ったが、取り敢えず要件を聞くと、今日はあの店に行くのかと言う問い合せだった。 それなら今我々が飲んでいる店の方へ来るよう誘った。 久美子が来るならまた楽しく飲める。 酒は楽しく飲まなければだめだというのが口癖の友人も当然喜んだ。 少しして久美子がやって来た。 久美子が一杯目、我々は二杯目のビールで乾杯した後、気になっていた疑問、即ち何故私の電話番号を知っているのか聞いた。 すると、久美子が言うには、先週一緒になった時、私が箸袋の裏に書いて久美子に渡したのだという。 「覚えてないんですか?」 久美子は笑って言った。 「ああ、そう言えばそうだったね」 と言った私に全く記憶がなかった事は、久美子には見透かされていただろう。 女性に電話番号を渡すなどこの何十年もやっていない事だった。 五十近くになるバツイチ男が、如何に独身の身とは言え、若者のように軽々しく女性をナンパする等という事はできない。 しかし、この時ばかりは酒の上で起こした自分の失態を褒めてやりたい気持ちがした。 でかしたぞ、俺。 「僕が連絡先を教えた事、久美ちゃんが電話をかけてくれた事、このお陰でまた出会えましたね」 私は気取って言い、三人で笑ってまた乾杯した。 私と友人は馬が合う。 だから何年も毎週飲んでいるのだが、男同士はどちらも硬い石のようで、ピッタリ組み合わせられるように見えても微妙な隙間がある。 ピッタリ合うだけに少しでもずれると全てが合わなくなる。 そこに材質の違う柔らかな女性が一人入ると、微妙な隙間が埋まり、ずれも起きなくなる。 酒の旨さは倍増する。 改めてゆっくり話すと、久美子は四十六、バツイチで独り立ちした子供が一人いるという。 看護師という仕事をしながら女手一つで子供を育てた。 苦労も多かったろう。 子供が手を離れ、やっと自分の事を考えられる時が来たのかも知れない。 この近くに住んでいるのか聞いてみると、なんと私のアパートから五分も掛からないところに住んでいた。 こういうのは縁と言うのだろうか。 その週から、週末のルーティーンを三人でこなす事になった。 と言っても看護師はシフトで仕事を組むので、毎週三人と言うわけにはいかない。 久美子が仕事で来られない時の友人のつまらなそうな顔は可哀想でさえあった。 私? 私は寂しくないのかって? 私と久美子はメールで連絡し平日に待ち合わせて時々会っていたのだ。 バツイチ同士の独身二人、もう若くない大人の男女が、蜘蛛の糸のように細い縁の糸を、切れないようにそっと、ゆっくり手繰り寄せる、そんな関係だった。 私たちは、居酒屋で一緒に飲むだけでなく、休みが合う日はドライブをしたり、久美子は時々手料理を私のアパートまで持ってきたりした。 私達は、微かな縁を本当の縁にしようとしていた。 そんなある日の夜、件の居酒屋で飲んでいる時、何となく私の若い頃の話になった。 私は大学を出て都内の会社に就職をした。 時は正にバブルの絶頂期で就活は空前の売り手市場。 どの会社も新入社員獲得に躍起になっていて、会社の福利厚生である独身寮も豪華なものを新築する会社ばかりだった。 私が就職した会社も御多分に漏れず、入社した一年後に十階建ての独身寮を新築した。 全室個室で冷暖房完備、地下の大浴場にはサウナがあり、隔階にシャワールーム、さらにフィットネスルームを備えた、当時としてはかなり豪華なものだった。 その独身寮の九階に入った私は、窓から見える眺望が気に入っていた。 九階からは首都高中台インターチェンジが眼下に見え、夜になると高速を降りる車のライトがとてもロマンチックに見えた。 一人ウイスキーを飲みながらそんな夜景を見るのは至福の時間だった。 そんな話を取り留めなく話した時、久美子が言った。 「中台インターね、知ってるよ」 「え? 知ってるの?」 「うん、板橋でしょ? あたし都営線の志村三丁目、使ってたから」 「え…」 志村三丁目は私が通勤する時に使っていた駅である。 「志村三丁目近くに住んでたの?」 「そうだよ。あの近くに病院の寮があったの」 「朝使ってた?」 「うん、使ってた」 「僕も志村三丁目から電車に乗ってた。 じゃあ、駅の近くの食堂知ってる?」 「あの、夜は居酒屋になるところ?」 「そう、そう、それ。そこで土日、時々飯食ってた」 「久美も行ったことある」 「そこに住んでたのは何年前頃?」 「看護学校行ってる時だから、ええと、二十五年くらい前かな」 「僕が志村三丁目の独身寮にいたのは入社して十年くらいの間だから…、かぶってるじゃん」 「そうだね」 「じゃ、絶対、すれ違ってる」 「かもね」 なんてことだ。 僕らは二十五年前、既に近くにいたのだ。 出会ってはいないが間違いなくすれ違っていた。 同じ時間に同じ小さな駅を使い同じ店にも行っていたのだ、あの時志村三丁目付近という小さなエリアで顔を見た人達の中に間違いなく入っている筈だ。 そんなすぐそばにいたのに出会わなかったのは、まだ二人が出会うのには時期尚早と、神様が判断されたのか? それから、二十五年という歳月が過ぎ、お互いいろいろな人生経験をした。 そんな私たちを見た神様が、時は満ちたと判断なさったのか。 そして志村三丁目とは遠く離れた千葉の外れの小さな街でついに私たちを出会わせたというのだろうか。 私は久美子の方を向き、言った。 「また会えたね」
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