第三話、神さまの抽斗

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「俺たちが今日処分するのは、じーちゃんばーちゃんの洋服とか本とか、あと細々した荷物とかだな。運び出しは俺と苑爾、仕分けは苅安。忍は苅安が『捨ててよし』の箱に入れたものの分別。可燃物と不燃物とプラ、それとビンとカン。今日の目標は台所とじーちゃんの書斎、あと八畳間辺り」  部屋数が多いので、何日かに分けて行うらしい。今日が初日だ。  ゴミについては後日、軽トラを借りてきて、まとめてゴミ処理場へ持ち込む。そのあたりの費用は苅安さんのご両親が出してくれるそうだ。 「うし、そんじゃやるか!」  赤金さんは工具の入ったポーチや軍手をはめる。作業着も相まって、なんだか急に仕事のできる男っぽくなった。この人なんでも似合うな……怖。  苑爾さんも軍手をはめつつ、僕を見る。 「忍くん、虫へいき?」 「得意ではないですけど……まあふつうです。木造で人の住んでいないおうちだから、多少は出そうですね」 「あたし自慢じゃないけど全ッ──然だめなの」  いま“全然”をめっちゃ強調した。 「頼りにしてるわ」と言う微笑みが蒼白い。“自慢じゃないけど”の意味もわからない。苑爾さんの弱点がこんなところで判明するとは。  全員でマスクと軍手を装備し、早速作業が始まった。  まずは赤金さんと苑爾さんが台所から様々な荷物を運び出してくる。僕と苅安さんは客間に運び込まれる品々を仕分けし、ひたすらゴミ袋に詰める。「ほしいのあったらあげるわ」と苅安さんは言ってくれたけれど、さすがに遠慮した。ラップとかアルミホイルとかその他使えそうな消耗品は『ES』でメンバーに配るとのことで別箱へ。  用意されてある分別表を参考にしながら黙々とゴミを捨てる。  たまに不明なものは苅安さんに訊ねた。素っ気ないけど、ちゃんと返事はしてくれる。  時折、台所のほうからキャアアアと苑爾さんの悲鳴が上がって赤金さんがウルセェと怒鳴っていた。虫が出たのだろう。そのたびにシューシューと殺虫剤の音がした。 「苑ちゃん今日でだいぶ寿命縮むんと違うやろか。代わってあげたほうがえぇかな」  苅安さんが台所のほうを眺めてポツリとつぶやく。 「苅安さんは、黒いの大丈夫なんですか」 「私は黒いのよりクモのほうがダメやねん。黒いのはスリッパでもいける」 「すごい! 強い……!」  初対面の人見知り同士が不快害虫の話で盛り上がるというのも妙な話だ。共通の敵がいると打ち解けやすいのかもしれない。それはそうとスリッパでいけるのは大尊敬である。  苑爾さんの悲鳴と赤金さんの怒声セットが四回目を数えたところで、運ばれてくる仕分けのものは食器のゾーンになった。 「今日、いきなり声かけられたん?」 「そんな感じです。朝八時くらいに、赤金さんから電話がかかってきまして」 「聞いたと思うけど、ほんまはメンバーもう一人来る予定やってん。二日酔いのアホのせいで貴重な休日潰してごめんやで」 「いえ、あの、どうせ暇人なので。全然問題ないです」言ってて悲しくなってきた。  苅安さんは一瞬だけ動きを止めて、ふ、と鼻から抜けるような息を吐く。  もしかして今ちょっと笑った? 「嫌やったらちゃんと断らなあかんよ。ああいう根明どもは容赦なしに巻き込んでくるで」 「あ……ハイ。大丈夫です」 「あいついきなり『今日ヒマ?』とか訊いてくるやろ。こっちは一日ごろごろするという予定があるねん、ヒマかどうかはてめーの用事を聞いてから判断する、ってもう二百回言わされたわ」 「ええぇ、すご……はっきり言いますね」 「はっきり言わな解らへんねんあの根明。はっきり言っても解ってへんけど。ほんま怖いわ」 「わかります、キラキラしてて怖いです。最初びっくりしました」  苅安さんの零した「怖い」という言葉につい全力で同意してしまった。  大阪に来てからこちら、出逢う人といえばキラキラした赤金さんや苑爾さん、そして彼らと普通に喋っている人ばかりなので、どちらかというと根暗に入る自分が場違いな気がしていたのだ。  彼女は僕のほうを見ようとはしなかったけれど、「わかるわぁ」と心底同情したようにうなずく。 「たまに目ェ焼けるかと思うよな」 「はい、本当にそれです。まばゆい」 「なんやろ、きみ見てると安心するわ」 「僕も苅安さん安心します……!」 「お互い人畜無害で行こうな」 「はい、ぜひとも」  人畜無害──かどうかはさておき、目に優しい非キラキラ人間として意気投合してしまった。埃っぽい軍手同士で握手までする。  ちょうど新たな食器類を運び込んできた赤金さんが「苅安、忍に慣れるまで早くねぇか」と拗ねたような顔をした。 「根暗同盟組んでん。根明はこっちくんな」 「はああああ? なに勝手に仲良くなってんだよ。苅安は俺の事務長で忍は俺の後輩だろうが事務所の許可取れ許可」 「誰がてめーのや調子乗んなボケカス」 「口悪ッ」  赤金さんと対等にというかもはや口の悪さでは勝っている苅安さんを見るに、やっぱりこの人も赤金さんの知り合いなんだなぁと思った。会話のテンポが二倍速。赤金さんと正面からやり合えるっていうのがまずすごいんだよ。  放っておいたらビシビシと手刀での叩きあいが始まった。子どもか?  仲良くビシビシやりあっている二人を止めるべく「苅安さんこれ、この中身どうしますか」と間に割って入る。  運ばれてきた段ボールの中には、子ども用と思しきお茶碗やお箸が入っていた。 「あー。これ子どものときに使(つこ)てたやつやわ」 「へぇ、苅安が」赤金さんは段ボールの前にしゃがみ込み、中身を眺める。「こういうの好きだったのか」  僕も覗き込んでみると、ずいぶん前に流行っていた女の子向けアニメのキャラクターがプリントされた小さなお茶碗があった。それも三枚も。お箸も、なんだかキラキラした可愛いものが三膳。苅安さんは目を細めて手に取る。 「別に好きと違うかったけど……じいちゃんとばあちゃんが用意してくれたやつや。私と妹と従姉のぶん、なんか適当に流行ってた絵柄で買うたんやろうな」 「あー。それで三セット」 「子どもの頃は、夏と年末に親戚中で集まってたからなぁ。無駄に食器多いねん」  苅安さんの声色に寂しさが滲んだ。  おばあさんとおじいさんが相次いで亡くなり、この家も処分されることになって、苅安さんの子どもの頃の思い出は永遠に思い出のままとなる。表情にも言動にもあまり表れないけれど、思うところはたくさんあるだろう。  赤金さんは無言で立ち上がり、彼女の頭をポンと撫でて台所へ戻っていった。  それから二時間ほど作業を進めて、台所がすっかり空っぽになったところで、一旦昼休憩をとった。  縁側の窓を開け放って、ぽかぽか陽気のなかコンビニ弁当を食べる。苅安さんのおばあさんが生前手入れしていたというお庭にはところどころに雑草が生え、植木鉢がいくつも積み重なっていた。 「あれも処分せなあかんな」とつぶやいた苅安さんの、途方もない響きがどこか切ない。  食べ終わった空の容器を袋に入れて、僕は無言で腰をさすった。午前中ずっと座ってゴミの分別をしていたせいで、肩から腰にかけて痛い。そのうえ今日は暖かいから、腋や頭はじんわり汗ばんでいた。  分不相応に健康な休日を過ごしている……。  まあ、今まで引きこもりだったし、たまにはいいか。僕の運動不足を憂えていた従兄が聞いたら引っ繰り返って驚くだろうな。  あとで連絡してみようかな、元気にやってるよ、って。  初夏を孕んだ陽射しを浴びながらぼんやり考えていると、背後から「忍」と赤金さんに呼ばれた。 「次回作業日、ゴールデンウィーク翌週の土日な。忍ヒマ?」 「えっ」 「昼ごはん代くらいしか出やんけど、根暗仲間がおったら私も助かるわ」 「そうねぇ。なんか意外とウマが合うみたいだし?」 「え?」 「キラキラしてへん男の子、安心すんねん。前世で親友やったかもしれへん」 「えーやだー妬けちゃうーあたしのことは遊びだったの!?」  苑爾さんは体をくねくねさせたが苅安さんは清々しいほど無視した。スルースキルが高い。 「はいじゃあ忍もヒマっと」 「あのうまだ何も言ってませんが」 「あ? なんか予定あんのか?」  ないですけど。赤金さんの訊き返し方がチンピラみたい。──再来週の僕の予定が埋まったところで作業を再開した。  おじいさんの書斎に取り掛かったところで、苅安さんが「あ」と僕を見る。 「捜しものがあんねん。書斎が可能性高いから、ちょっと気ぃつけて見て」 「あ、ハイ。何を捜したらいいですか」 「──鍵……」  ここで苅安さんがちょっと困った顔になる。  赤金さんや苑爾さんほど表情豊かではないのだが、第一印象よりはずいぶんと表情が柔らかくなった。小柄でちんまりした人なので、そうしているとなんだか年下にすら見えてくる。 「物置にある箪笥の鍵が、見つかってへんねん」  鍵か……。  一度覗いた書斎は、本や書類やよくわからない置き物なんかでごちゃごちゃしてすごいことになっていた。あの中から鍵を一本見つけるのはちょっと難しい気がする。苅安さんもそのことは判っているらしく、「まあ最後まで見つからへんかったら赤金がピッキングしてくれるし」と肩を竦めた。それはそれでどうなの。  だけど、その日の作業では鍵は見つからなかった。  しかも予定していた八畳間まで到達できず、書斎を三分の二ほど片付けた時点で解散となったのだった。先は長そうだ。
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