第三話、神さまの抽斗

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 いとゆう荘はゴールデンウィークも通常営業だ。  翔馬くんと惠さんは実家に帰る様子がなかったし、美沙緒さんは部活動があるとかで出勤していった。史龍先生はいつも通りお仕事をしていて、唯一苑爾さんが高校時代の友人に会いに東京へ行ったくらいが変化だった。僕も帰省せず、琴子社長と毎日遊んで過ごす。大家さんのごはんもいつも通り、毎日おいしい。  休みは淡々と過ぎていき、あっという間に授業がはじまった。  水曜日の三コマ目が時間割の都合で空きなので、僕はいつも図書館で過ごすようにしている。この日も閲覧エリアの席について適当な本を開いていたのだが、飽きて机に突っ伏したあと、いつの間にか寝ていたらしい。  反覚醒状態の頬を誰かに突かれて、僕の意識は急速に引き揚げられた。  そのとき、 ───『女の子』      『麦わら帽子』 『古びた缶』『畳』  時間にして三秒ほど。脳に直接叩きつけられる乱暴な啓示。  顔を上げると、視界に白い指先が映った。小さな手、人差し指。辿ってゆくと、苅安さんが無表情でそこに立っている。 「こ……こんにちは?」  苅安さんに頬を突かれて起きたらしい。  なんだか急に恥ずかしくなって手で顔を隠した。なんで起こされたんだろう。もしかして寝言でも言っていたのだろうか。  ワタワタする僕を見下ろしていた彼女は、また鼻から抜けるような吐息を洩らしてちょっと笑うと、肩にかけていたトートバッグから飴を取り出して僕に握らせた。なぜ飴? 「三コマ空きやったん?」 「あ、はい」図書館なので小声での会話だ。すると苅安さんは閲覧室の時計を指さした。 「三コマ終わったで」 「……、……!」  血の気が引いた。四コマ目の始まりまであと五分。  図書館から次の講義のある教室はやや遠い。慌てて荷物をまとめて立ち上がり、起こしてくれた苅安さんにはぺこぺこ頭を下げて、周囲の迷惑にならないよう可及的速やかに退出した。  小走りで講義へ向かいながら、先程の未来視を思い出す。  畳の部屋に古びた缶。僕が手に取って眺めていたのは、麦わら帽子をかぶった小学生くらいの女の子の写真。詳細までは憶えていないが、弾けるような笑顔で、すごくかわいかった。 「なんだろ……でも畳の部屋っていうと……」  ──今週末に再び訪れる、苅安さんの祖父の家、しか心当たりがない。  いとゆう荘の部屋はフローリングだ。他の部屋に和室があるという話も聞かない。ということは、あの写真は苅安さん?  なんというか、ものすごく……笑顔だったけど。 「いや、苅安さんだって笑うよな」  しかし、彼女らしき少女の写真を見ている光景が未来に視えたからといって、なんの役にも立ちはしない。家の荷物の整理をしているのだから、アルバムや写真なんて山ほど出てくるだろう。  どうせ未来を視るならば、苅安さんが捜している鍵の場所でも視えればいいのになあ。  とはいえ、自分の力が儘ならないことなど今に始まったことではない。  さして気にすることもなく週末を迎えた僕は、再び赤金さんと苑爾さんとともに苅安さんのおじいさんの家を訪れた。  苅安さんは手の空いている日に一人で作業を進めていたらしく、前回途中で中断した書斎の片付けはほとんど済んでいた。  それでも鍵は見つかっていないそうだ。 「ほんじゃ今日は八畳間からな」  工具入りのポーチを装着し、マスクや軍手で装備を整えた赤金さんがからりと笑う。  分担は前回と同じだ。八畳間は仏間の隣なので、運び出しにかかる時間が少ない。  赤金さんと苑爾さんは、サークル内外の知り合いの恋愛沙汰とか、大学内の新しい設備とか梅田やなんばにオープンした新しいお店とか、とにかくそういう他愛無い話で埃っぽい空気を誤魔化しながら淡々と作業した。僕と苅安さんは特に喋らない。共通の話題があるわけでもないので。しかし不思議と気まずくもなかった。  書斎ほどではないけれど八畳間にも色々と物が溢れている。よくわからない人形、フィギュアとか、箱に入った焼き物や花瓶。埃をかぶった年代物の数々は、マニアの人からしたら垂涎ものなのかもしれない。苅安さん曰く、どうせ保存状態も悪いのだからもういいのだ、とのことだった。確かにどれもこれも埃がすごいし、染みも黴もけっこうある。 「イヤー!」「あーもーいちいちウッセェな」というやり取りが聞こえてきた。赤金さんが殺虫剤を撒く音もする。  苅安さんはちらとそちらを一瞥してから、興味なさそうに視線を手許に落とした。  見ると、何かの蓋を開けようとしているようだった。 「開かないんですか」 「蓋が錆びてんねん。これゴリラじゃないと開かへんわ」 「この辺りにゴリラっているんですか?」 「天王寺動物園とかおるんちゃう。知らんけど」  知らんのかい。  とりあえず礼儀として手を差し出してみた。膂力には全く自信がないので開くわけがないけど、一応男手に入るので挑戦はしてみなければ。苅安さんから受け取った缶をちょっと眺める。モロゾフ、アルカディア、って書いてある。金色のペイズリー柄。おいしいクッキーが入っているやつだ。僕の実家では母の裁縫道具入れになっていた。  畳の上の、古びた缶。  ……これかもしれない。  抱きかかえるようにして蓋に指をかけたが、しっかりびったり錆びていた。悲しいくらいにびくともしない。軍手を外して、隙間に爪を差し込んでみるものの、赤い錆が取れるだけだ。 「天王寺動物園ってゴリラいたっけ?」と赤金さんの声がしたと思ったら、ヒョイと取り上げられた。 「あ……」 「忍、爪剥げるぞ。無理すんな」 「お。開く? さすがゴリラ」 「そんなに褒めんなよ苅安ゥ」  ご機嫌で笑って赤金さんはポーチからマイナスドライバーを取り出した。褒められたのか?  蓋に差し込み、ちょっとずつ隙間を広げながら抉じ開けていく。ぎりぎりと鈍い音を立てて蓋がズレ始めたところで、「ゴリラはいなかった気がするけど何の話?」と苑爾さんが覗き込んできた。いないのか、ゴリラ。  かぱ、と蓋が飛んでいく。  中身の一番上には『かりやすまほこ・しほこ』と書かれた紙が一枚。  赤金さんは苅安さんに見えるよう、畳の上に缶を置いた。まほこは確か苅安さんの下の名前だったはず。とするとしほこというのは、妹さんだろうか。  苅安さんは無言で紙をめくる。  その下には、色々なサイズの封筒や紙が雑多に重ねて入れられていた。一番上の封筒を手に取り、中を見て、白い眉間にきゅっと皺を寄せる。 「……写真や」 「苅安の? 見たい見たーい」  俄然テンションが上がったのは苑爾さん。苅安さんの了承を得て、封筒から写真を取り出していく。  どの封筒にも同じ筆跡でこの家の住所と『難波藤二郎様』という宛名が書かれていた。苅安さんのお母さんが、おじいさんおばあさん宛てに姉妹の写真を郵送したのだろう。  封筒や写真、添えられた手紙の一枚に至るまできちんと保管されてある。  幼少の苅安姉妹が書いたと思しき手紙や絵も入っていた。苅安さんはなんともいえない表情で眺めては「ウワ……」と呻いている。 「あらやだ。ねえ見てこれ、可愛い!」  親戚のおばちゃんみたいなリアクションで苑爾さんが差し出してきたのは、見たことのある一枚だった。  麦わら帽子をかぶった小学生くらいの女の子。  夏の陽射しみたいな眩しい笑顔でこっちを見ている。背景はどこかのひまわり畑。白地に赤い花柄がプリントされたワンピースの裾を翻し、棒切れみたいに細い両足には可愛いサンダルを履いている。  明らかに苅安さんの面影があった。  ……これだ。 「苅安の笑顔写真とかレアすぎんな」  赤金さんが口の端を釣り上げて悪そうな笑みになった。作業着のポケットからスマホを取り出して写真の写真を撮ろうとしている。目敏く見つけた苅安さんに手刀を受けて蹲ったが。 「……子どもの頃なんてみんな似たり寄ったりやろ」  居心地悪そうな顔でそっぽを向いた苅安さんは、缶の中から他の封筒を取り出して、その手紙を読んでいた。僕はそっと手を伸ばして、畳の上に広げられた写真を見る。  おばあさんらしき女性と、その膝で笑う小さな苅安さん。  今は八畳間の隅で埃を被っているオルガンを弾く苅安さん。  実家のリビングらしき場所で、人形遊びをしている姉妹。  ぼんやりと写真を眺めていた僕は、ある年代を境に、幼い苅安さんから笑顔がすっかり消えていることに気がついた。  しかもその辺りから段々と苅安さんの写真が減っている。妹さんらしき女の子の写真がメインになっているのだ。  僕の疑問を察した彼女が、姉妹で写る写真を指さした。 「これ、妹の志帆子。二個下」  苅安さんが中学校に入学したときのものだろうか。実家の玄関先に姉妹で並んでいる。  ピンクの花を胸元につけてなお暗い表情の苅安さんと、その隣で微笑む妹さん。 「妹は背ぇ高くて、美人の母親似やねん。家族のなかで私だけチビやし不細工やし、この頃は一番嫌で嫌でしゃぁなかった頃やな」  確かに二つ年下の妹さんはすらりと背が高い。中学生の時点で苅安さんより大きいようだ。それに大人っぽくて、何も知らない人が見れば苅安さんの妹というよりお姉さんと誤解してしまうかもしれない。  でもこれキラキラ系の人だ。絶対陽キャだよ。僕は怖いタイプの人。
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