第三話、神さまの抽斗

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「隣に並んだら不細工が際立つから家族写真も大嫌いになってん。今でも写真と鏡は嫌いやわ」  苅安さんは不細工……だろうか?  こてんと首を傾げてしまったものの、コンプレックスというものは他人の言葉で克服できるものでもないだろうから、知り合って間もない僕は黙っておくことにした。赤金さんなんかはさらっと「不細工じゃねーだろいい加減にしろ」と言い返しているが、それは多分この二人の信頼関係のうえで成り立つ会話なのだろうし。  でも、「いい加減にしろ」ってことは、けっこう根深いんだろうな。  自分を好きになるのは難しい。  僕には苅安さんの気持ちのほうがわかるような気がした。  苅安さんは、諦めたように笑って「トイレ行ってくる」と席を立つ。その後ろ姿を見送って、赤金さんは不服そうな顔で髪の毛をぐしゃぐしゃかき回した。  ちなみに元々アッシュグレイだった彼の髪は、先日何かの罰ゲームで真っ赤に染まったあと、ちょっと暗くはなったものの赤いままである。  苑爾さんが肩を竦めて、畳の上に広がっていた写真をもとのように戻し始めた。 「ご機嫌取りにアイスでも買いに行く?」 「どっちの機嫌だよ」 「もちろん苅安よ。このへんコンビニあったでしょ」 「……。忍、留守番任せたぞ」 「えっ、ハイ」  流されるままうなずいたが、赤金さんと苑爾さんが連れだって家を出ていく音を聞きながら、いやいやいやおかしくないかと我に返った。苅安さんと付き合いの長い二人が留守番ならまだしも、僕と苅安さんの二人で留守番ってどうなの。  畳の上にぺたんと座り込んだまま、僕は写真の入った缶を見つめた。  持ち主が不在なのに写真や手紙を見るのはさすがに憚られる。ただ、どうせ未来視で視たのだからこの缶に何か意味のあることがあればと──具体的には捜索中である箪笥の鍵とやらがあればいいのになあと、一旦中身を全部出してみた。  この力は世界に対してどんな意味も持たない。  仮に意味を持つとしても臆病な僕には耐えられない。  わかっているのに、時折こうして往生際が悪くなる。  いいな、と思ってしまったのだ。  僕が壊してしまってもう二度と戻らない類いの思い出が、この場所と苅安さんのなかにはちゃんと生きている。だからほんの少しでもいい、この作業の後味がよくなればいいのになと、自分勝手な願いを抱いてしまっただけ。  僕にはもう、写真を大事に保管しておいてくれた祖父母も家も、残っていないから。 「……あれ」  しばらく封筒の山を探っていると、一番下の封筒がやけに重たいことに気付いた。  中身が写真じゃない。  ──というかこれは、 「鍵……では?」  封筒越しに感触を確かめる。硬さも形も、何かの鍵で間違いない。封筒はなんの変哲もない茶封筒だし内容物に関するメモ書きみたいなものもないので、果たしてこれが例の鍵なのかというとちょっと怪しいところではあるが。  これが本当に例の鍵なら、僕の未来視もちょっとは役に立つってことになるのかな。  自分の力を過信してはいない。望み薄だと自分に言い聞かせながら立ち上がり、トイレというにはずいぶん長いこと戻ってこない苅安さんを探して仏間を出た。  廊下に出たところで、どかっ、と物音を聞きつける。  角を曲がるとトイレの隣の物置の扉が開いていた。物音もそこからする。  驚かせないように「苅安さん」と声をかけながら覗き込むと、今まさに何かを蹴りつけようと脚を振り上げたところの彼女と目が合った。  脚の先には、立派な桐の箪笥。  どこからどう見てもご乱心中だ。 「ど……どうしたんですか」 「……ちょっと己に腹が立ってん」  腹が立って箪笥を蹴るの? 「あの……絶対苅安さんの脚のほうがか弱いから、怪我しちゃいますよ……」 「…………せやな」  納得した様子の苅安さんが脚を下ろした。よ、よかった。  物に当たりたくなる気持ちはわかるけど、苅安さんVS箪笥ではちょっと苅安さんの負傷リスクが高すぎる。 「どうかしたん?」 「あ。写真の缶の底のほうから、こういうものが出てきまして……」  持ってきた封筒を手渡した僕の背後で、ぎぃぃ、と扉が軋んだ。  驚いて振り返ると、誰も触っていないのに、扉はひとりでに閉まってバタンと音をたてた。衝撃でびりびりと空気が揺れる。廊下側へ開け放たれていたドアには、僕は誓って触っていない。 「……か、風、ですかね?」  ガタガタ震えながら、なんなら半泣きで苅安さんを見ると、彼女は「いや単に建物が歪んでるだけ。大丈夫」と平然とそう言った。よかった。幽霊とかじゃなくて本当によかった。 「問題は、物置のドアは内側のノブが壊れてて、こっちからやと開かへんってことやな」 「うわあああ全然大丈夫じゃない!」  慌ててドアノブに飛びついたものの、玉座式のノブは全く抵抗なく左右にするする動いた。ただしどっちに回してもドアが開かない。回るだけのノブになってしまっている。  絶望しながらずるずると膝をつく僕の後ろで苅安さんは溜め息をついた。 「外からなら開くから落ち着き。赤金と苑ちゃんがおるやろ?」 「お二人ならアイスを買いにコンビニへ」 「あンのパリピども肝腎なとこで役に立たへん!!」  なんか本当にもうすみません。  一度扱き下ろして気が済んだのか、苅安さんはスンと真顔に戻った。 「まあ一番近いコンビニならここから五分くらいやし、すぐ帰ってくるやろ」 「そうですね」  苅安さんが封筒の口を開けて逆さまにすると、中から出てきたのは古い小さな鍵だった。  掌の上に落としたそれを見て「これやな」とさらっとつぶやき、苅安さんは先程蹴りつけようとしていた箪笥に向き直る。  漆塗りの立派な和箪笥だ。南部鉄器らしい黒い持ち手や鍵穴などの装飾が古風で渋い。抽斗は全部で七段、そのうち上二段は三列ずつ。苅安さんはまず右上の鍵穴に差し込んだ。 「……赤金怒ってた?」 「え? いや、苅安さんに対して怒ってはいないと思います」 「いっつもケンカになるねん。私が自分を不美人って言うと怒る。かといって誰かの容姿を褒めることもないから、人の美醜にあんま興味あらへんのやろな」 「ああ……赤金さんらしいですね。僕はどっちかっていうと苅安さん寄りかなあ。容姿にはこだわりがないけど、自分を好きになるのは難しい、です」 「やんなぁ」うなずいた苅安さんが抽斗を引いた。 「別に、不細工とか不美人とか周りに言われたわけと違うけど、妹が殊更容姿を褒められてるのを見て育つとなんとなく察するわけ。じいちゃんはいっつも孫三人分の可愛いお洋服だのヘアピンだの買ってくれてたけど、妹の隣に並ぶのが嫌で嫌でしゃぁなくて、似合うわけないとも思ってたから全部タンスの肥やしにしたんやわ。可愛くない孫やでな」  独り言のように零される一つひとつが、静かな物置に吸い込まれていく。  じょうずな相槌の語彙を持たない僕はただじっと耳を澄ませた。苅安さんの少し低い落ち着いた声は聴いていて心地いい。物置の明かり取りに照らされた横顔のシルエットはとてもきれいに見えた。眺めの前髪に隠された目元や、僕と同じ引きこもりっぽい白い肌。  さっきの写真で見た妹さんは、確かにモデルさんみたいな美人だったけど、僕は苅安さんと一緒にいるほうが落ち着くなあ。 「それやのに、じいちゃんが倒れたとき一緒にいたんが私で」 「あ……そうなんですか」 「うん。『孫らに残すものはぜぇんぶ物置の抽斗に入れてあるから、じいちゃん死んだら頑張って鍵見つけてくれ』って。自分で鍵どこに仕舞ったか忘れたんやて。勘弁してほしいよな」  まあ倒れたあともしぶとく生きてたけど、とちょっと笑いながら苅安さんが抽斗の中身を持ち上げた。  中に入っていたのは、何冊かの本と、『真帆子へ』と書かれた手紙。それと立派なベルベットのジュエリーボックス。  ベルベットの箱のなかには真珠のアクセサリーが収められていた。イヤリングとネックレスのセットで、上品な光沢を放っている。 「……アクセサリーなんかいらんて言うたのに。なんべんも」  苅安さんの声は苛立たしげで、それでいて泣きそうだった。 「こんな、高そうなもん買うて」と小さく笑いながら毒づく。「ほんまワケわからん」  きっとお金以外で何か、これからの苅安さんのためになるものをと──一生懸命考えた結果だったんだろう。そう思ったけど、それくらい彼女もちゃんと解っているだろうから、僕は黙っておいた。  苅安さんは箪笥に寄りかかってしゃがみ込み、おじいさんからの手紙を開く。しばらくしてすんすん洟をすするような気配がしたので、気まずくて気まずくて、僕も隣に腰を下ろした。 「なにか……いいこと書いてありました?」  ぺいっと手紙が放り投げられる。天邪鬼っていうか、ちょっと意地っ張りなところがあるんだな。  読んでよいということだろうから開いてみると、癖のある老人の字でまず『真帆子ちゃんへ』とあった。
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