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プロローグ
春から大阪の大学へ進学することが決まった僕に、従兄は一軒のアパートを紹介してくれた。
入学予定の幸丸大学から徒歩七分。
大阪府は鹿嶋市の住宅街に佇む、その名は『いとゆう荘』。
従兄の友人が借りていた部屋が一年ほど空き部屋のままだというので、有難くその紹介を受けることにした。大家さんとの顔合わせを経て入居の可否を決定するということで、僕は二月下旬、大阪を訪れたのである。
人生初のひとり旅。実家から在来線と新幹線と地下鉄を乗り継ぎ約二時間──新大阪と梅田と難波で迷子になったのでプラス一時間。ちょっと泣きそうになった。なんで新大阪と梅田は同じ場所にあるのに駅名が違うのか。なんで難波は同じ駅なのに地下鉄やら近鉄やら乗り場がいっぱいあるのか。公共交通機関がJR一強の田舎者にも納得いくように説明してほしい。切実に。
そんな過酷な往路の果てに辿りついた集合場所では、胡散臭い糸目の男性と、小学校低学年くらいと思しきツインテールの幼女が待っていた。
あれよあれよという間に駅構内のドトールに連行され、それぞれ注文した飲み物が揃ったところで、口火を切ったのはなんと幼女。
「それでは、これから面接をはじめます」
面接?
「まつしまゆきのぶくん、あなたが──」
「いや、まつゆきです。松雪忍」
「しつれい。まつゆきしのぶくん。ことこはこういう者です」
「あ、どうもご丁寧に……」
幼女は肩にかけていたポシェットから一枚のカードを取り出した。
『いとゆう荘 よろず屋 社長兼おさんぽ屋さん 宗像琴子』という謎の肩書の横に、笑顔いっぱいで両手ピースする幼女の写真が載せられている。なんだこれ。名刺?
「あなたがへいしゃをしぼうした理由をおきかせください」
いや就職面接を受けにきた憶えはないんだけど。
というか、当然のように名刺を差し出したり「弊社」という語彙があったりする小学生女児って何? 助けを求めて、幼女の隣に座っている男性へと目を向ける。
「あ、自分はこういう者です」
差し出された名刺には『いとゆう荘 よろず屋 おおやさん 光舟』。みつふね、と心のなかで読んだのが聞こえたかのように「こうしゅう、て読みます」と教えてくれた。
大家さんにしては若いなぁ、というのが正直な感想だった。
光舟さんは二十代から三十代のあいだに見える。ちゃんと前が見えているのか心配になる糸目と、ブルーブラックの短髪が印象的なひとだ。
というかなんでみんな名刺持ってんの。
「質問を直訳するとやな、松雪くんはどちらさんからのご紹介でしたかね、ってことですわ」
「ええと……僕の従兄が、以前そちらに入居していた方と友人だったので、紹介してもらいました」
「なるほど。つまり誰だ?」と混乱した幼女。
「社長、銀水くん憶えてる? あの子のお友だちの澤村くんの従弟やて」
「ああ、コーチンだな! コーチンはいいやつだった。銀水におともだちがいるなんてと驚いたら、それがまたいいやつだったのでとても驚いたのだ」
「せやな、銀水くんちょっと浮世離れした子やったもんな」
なんともいえない気持ちで曖昧にうなずいた。直接の面識はないが、従兄の友人がたいそう個性的なひとだったという話は聞いている。全裸で大学構内を駆け回ったとかなんとか……。真偽のほどは定かではない。
幼女──社長は「ふむふむ」と納得したようにつぶやき、次の質問に移った。
「それでは、あなたの個性を教えてください」
これまた面接試験で使い古されたような文言だったが、僕はそっと安堵の息をついた。
従兄からはこういう面接だと聞いていたのだ。幼女が社長を名乗っていたり妙に企業然としていたりするのは予想外だったが、事前情報にかなり近付いた。
“正直に、嘘偽りなく答えたらいい。おまえなら問題なく受かるだろう”
アパートの紹介と同時にそう言った従兄を思い出して胸のあたりがざわつく。
迷いならある。いつだって迷って悩んで卑屈になっている。
だけど、なんの見返りもなく僕の突拍子な話を信じて、受け入れてくれた彼が、ここなら大丈夫だと言ったのだ。
“俺は、忍には今、いとゆう荘が必要なんだと思う”
「……実は僕、未来が視えるんです」
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