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「ねえ、覚えてる? 私たちが出会った時のこと……」
それはもはや呟きに等しかった。涙をこらえて僕は応える。
「ああ、もちろんだよ。大学一年の学祭だったな」
「ええ……あれからもう四十年になるのね……その間、ずっとあなたと一緒にいられて、私、幸せだった……」
静まり返った病室の空気は、酸素マスク越しのかすかな彼女の声でも、十分僕の耳に伝えてくれる。
眼を閉じてベッドに横たわる彼女の顔は土気色で、生気がほとんど感じられない。だけど、僕が握りしめている彼女の手は、暖かい。少なくとも、今は、まだ。
「……美由紀……」
もう限界だった。とうとう僕の頬を、涙が伝う。
「孝之さん……これからも、私のこと、忘れないでね……ずっと、ずっと……覚えていてね……」
「当たり前だろ。僕はずっと、覚えてるから……」
「ありがとう……」
それが妻の最後の言葉だった。薬で意識レベルを落とされた彼女は、そのまま目覚めることなく、二日後に旅立った。
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