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へんてこなものが増え過ぎて、世界はごたごたした住みにくいところに成り果てていた。
進化する未来を求め続ける者は消えた。
残された者らが世界の在りようを自覚して幾時が経っただろう。
誰にもわからないことだった。
ごたごたとした世界の中で、誰もが懸命に生命を保つ。それらにとって、世界が住みにくいことは些細なことであった。生きることだけに必死であった。縋るものを見上げながら生きる。地を割り芽生えを覚えた後、固い地面へ根を張り巡らせる。只管にそれを繰り返す。
生きることを望むそれらはひとつの願いを知っていた。只管に空へ伸びることが叶わないまま育ち、移り変わらぬ時を祈る。
いつか紅い黄昏月が真空に浮かぶ雲へと与えた色は、雲に困惑を齎らした。雲は流れ行く存在、形を変えていく存在であるというのに、動くことを恐れだした。
いつしか困惑を手放し、自らの現状をそれとして受け入れてしまった。
雲は時間に置き去りにされた。
どんな世界に在ろうとも、時間は存在する。その場に留まり続けたところで時は流れていく。
この世界が変わり行くことを望まなくとも、動き続ける何かは存在していた。
流れるように揺ら揺らとこの世界を旅する何者かがいた。
地に根付き続ける者らは彼に少しの羨望を抱いていた。しかし自分たちと彼には決定的な違いがあることを知っている。
彼の長い足を持っていたが、それは蛇足にすぎず、決して地面を踏むことが叶わない。
ある時彼は突如、揺蕩うことを覚えた。
黄昏に浮かぶ月の代わりに紅い太陽がそこに在った。初めて出会った暁に愛する月は居ない。
虚しさを抱えて首を凭れた。
自身の生の愚かさを見下ろすように眼下を見つめた。
ゆったりとした長い尾は彼を急かさない。のんびりと揺らめき彼を待つ。
突如何者かがするりと彼に寄り添い彼の耳元で囁いた。
「我は留まることを望む。貴様は何を望むのか」
どこを見渡せど、その声の主を彼は見つけられなかった。
そうして項垂れたまま、彼は答えを途方もなく考えはじめた。
ごわごわしたこの世界は荒廃を望んでいるわけではなかった。荒野へと世界が向かわないように何もが地に佇む。
彼はひと時、旅し流れ行くことを止め、闇を拒む世界を見つめ直すことを選んだ。 眼下に広がる大地の在りようが今までとまるで違うものとして映り込む。
自身の望みは一体何か。彼は考える必要性を覚えた。自分はどうしてこんな風に生き続けるのか。動かぬ地、その場に留まり続けて生きる者たちに対してどうして自分一人がこの世界の中で流れ続ける生を持つのか。
答えはまるで見つからないが、不思議と焦燥感を覚えなかった。
長い暁の中で、いつか彼は焦がれる紅い月のみが全てではないことを悟った。
時を経て再び黄昏が訪れた。彼は再びゆったりと空を翔けはじめた。
それは望むものを求め探す旅となった。答えなどないことを彼は知ったのだ。
時に眼下を見下ろし、時に天をも超越する高い真空を夢見た。願うこと、祈ることを知った。地に佇み空を見上げる者らのように。
流れ生きることと、留まり生きること。どちらも純粋で崇高なるものを渇望するという行為として生を導く。
だからこのごわごわとした世界は壊れることなく悠久に形を保ち続ける。
《 終 》
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