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ふたりデートの話
ふたりで旅に出たといっても、目的地があるわけでもなかった。たぶん彼女とだったらどこでも楽しいし、幸せな気持ちになれるし、目的はたぶん、彼女とふたりで旅をすること、そのもの。
首だけの、もうすぐ腐ってなくなってしまいそうな彼女との思い出を、少しでも残しておきたい──そんなわたしのわがままから始まった、ふたり旅だった。
海沿いを走る電車は、平日の昼前だからかわたしたち以外には居眠りしているおじいさんくらいしかいなくて。だから、わたしはこっそり彼女に話しかける。
「覚えてる、わたしたちが会ったときのこと?」
バッグの中の彼女はもちろん何も答えないけど、ごろりと転がる確かな重みが、心を落ち着かせてくれた。
覚えてる、と彼女には訊いたけど。
思い出したくもないような、人生最悪の夜だった。
付き合っていた相手の浮気を問い詰めて、謝りたいからと呼び出された先でさんざん踏みにじられて。必死に助けを求めるわたしに、あいつは『これでお前も俺のこと言えなくなったな』なんて嗤っていた。
汚い、ありえない、価値がない。
そう嗤いながら蹂躙されていると、不思議と本当に自分はそうなんだと思えてしまって。
全部終わったわたしには、生きる気力すらも残っていなかった。今にして思うとそれもあいつの狙いだったのかも知れないけど。
そんなときに線路を見ていたら、無性に死にたくなった。よく電車の飛び込みとかに対して人に迷惑かけるなと言われるけど、それじゃわたしは? 苦しい思いして、全部なくしたくて、そんな段階でも他人の迷惑考えなきゃいけないとか、おかしくない?
そう思いながら、跨線橋でぼうっと飛び込めそうな電車を待っていたとき、彼女を見つけた──いや、出会ったのだ。
首だけになった、たぶんわたしよりちょっと年上くらいに見える女の人。
* * * * * * *
後から知ったけど、あのときは彼女の飛び込み自殺の影響で運転ダイヤは凄く乱れていて、いくら待ってもわたしが飛び込む番なんて回ってこないらしかった。
「わかる、あなたはわたしを救ってくれたんだよ? あなたが先に死んでてくれたから、わたしは死ぬことができなくて──それで、生きていられたんだよ。あなたと一緒に生きてこられたの」
返事はないけど、伝わっていることはわかる。
当てもなく電車を乗り継いで辿り着いた夏の海。
水平線まで見えそうな海原は、ただ無遠慮なだけに思える太陽を受けてキラキラと輝いている。その光景が、彼女と生きてきた日々もこれくらい眩しかったんだと伝えてくれるような気がして、そういうところだけは夏も悪くないななんて思えて。
ねぇ、そういうのもあなたと一緒だったからだよ。ふたりで過ごしてきた日々を振り返りながら、ちょうどいい場所を探す。
「……ごめんね」
先に謝っておこう。
わたしが小旅行に出たのは、彼女と最後の思い出を作りたかったのもある。だけど、あわよくば──あわよくば、なんて期待がなかったわけでもない。
今の彼女のような偶然の出会いではなく、わたしがちゃんと選んで好きになった『恋人』を見つけられるかも知れないという期待があったからだ。そのための麻酔薬も、よく切れるように研いだ肉切りナイフもバッグの中に用意してあった。
でも、そんなのいらなかった。
死ぬはずだったわたしの余生は、あなたと一緒だからありえたんだ。この旅行で、心から思ってしまった。
「もう最後だし、一緒に撮ろっか」
橋を渡って、小さいながらも常に観光客で賑わう島を歩き回ったあと。
バッグから取り出した彼女は、季節のせいもあるのだろう、もう出会った頃の美人ぶりなんて見る影もなくて、たぶん普通なら誰もが目を逸らしていくような有り様になっていた。
クーラーボックスに入れてあげればまた違ったかな? ううん、必要ないか。
「あなたが綺麗なことを知ってるのは、わたしだけでいいもんね」
皮膚が爛れて黒ずんだ、前まで唇があった辺りにキスをする。唇や舌に酷い臭いをしたドロドロの何かが触れて、思わず胃のなかのものを戻しそうになるけど、なんとか我慢した。
だって、彼女が最後に見るわたしは綺麗なわたしでいたかったから。
周りで上がった悲鳴をBGMに、彼女と頬をくっ付け合ってツーショを捕る。……うん、いい笑顔。それでもちょっとわたしの目が潤んでるのは、後悔かな。
こうやって覚悟を決めないと、ふたりの写真を撮れなかったわたしの弱さを、悔やまずにいられなかった。ごめんね、ごめん。
「でもね、出会ってくれて嬉しかったよ。それだけは、本当なの。ありがとう」
そろそろ周りの声も耳障りだ。
もう十分、ここでは楽しんだ。
ちょうどここは海を望む展望台、下には波で鋭く削られた岩場がよく見えた。
「じゃ、行こっか!」
次のデートはどこがいいかな?
誰にも邪魔されないといいんだけど。
そうしたら、今度はあなたと話もできるかな?
「そしたらまず、名前聞かないとね」
名前も知らない恋人なんて、なんか変だし。
ちょっと気恥ずかしくて、「えへへ」なんて笑い声で誤魔化しながら。
足元の岩場をよく確認して、わたしは真下へと飛び立った。
これからも、よろしくね。
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