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地上を走る全ての乗り物にとって、最も大切な性能は「安全に止まる事」である。
どんなにカッコいい車でも、ブレーキに欠陥があると聞けば誰が購入するだろうか。
ちょっと買い物に行こうと走り出したスクーターのブレーキがもし壊れたら、命がけの大冒険になるかもしれない。
だが、選手が高速で団子状態になって走る競輪では、誰かが急ブレーキをかけたら逆に大変な事になってしまう。
ブレーキが無い自転車を全速力でぶっ飛ばす……
想像しただけでも恐ろしいが、それが出来る「勇者」だけが、競輪選手になれるのだ。
衆人環視の中で起きた、時速70キロのリアルな交通事故。
客席をびっしり埋めたファン、その全員が同時に挙げた短い悲鳴が、瞬間的な豪雨の様にバンクを揺らした。
自転車から放り出され、コースに叩き付けられた竜崎選手。
落車は競輪では日常茶飯事、初めてではない。
だが、動く事なら誰にも負けないはずの体が指一本動かせない。呼吸さえ出来ない。
こんな事は今までなかった。
やってしまった……
俺はどぎゃんなっとや?
まさか、このまま……死────
西郷選手と新庄選手は何とか起き上がり、自転車に再乗した。せっかくの赤パンは破れ、脚から血が出ている。それでも走れるならば最後まで走るのがプロ。
冷たい様だが、竜崎選手に構っていてはいけないのだ。
そして。
駆け付けたストレッチャーに運ばれる竜崎選手の耳に響く観客の声。
それは、彼の身を案じる言葉ではない。
「バカヤロー!金返せー!」
「どうしてくれるんだこの野郎!」
三人の車券を買った大勢のファンの、嵐の様な怒声だった。
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