【終章】もう一度、あなたに

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【終章】もう一度、あなたに

 その日、王都は青く澄んだ空の下、暖かな春の陽差しに包まれていた。  街はいつになく(にぎ)やかで、どこからか、鐘の音や楽隊の音楽が聞こえてくるほどだ。  建物の窓からは、色あざやかな春の花の花びらが降り注ぐ。街路の両脇に並んだ露店を眺めながら、道行く人々の顔は皆、楽しげで晴れやかだった。  そして、今…… 「ほら早く、みんな! 急がないともう始まっちゃうよ!」  祝祭の日のための晴れ着をまとった人々で(あふ)れる大通りを、子ども達が駆けていく。皆、めったにないその儀式を遠目からでも目にしてみたいと、急いで家を出て走ってきたのだ。  そう――今日は、祝祭の日。  ラウステラ国の王女ネリネと、かつて彼女の騎士であったダリルの、結婚式が行われる日だった。  ……ダリルと待ち合わせをしていたのは、王宮の中にある庭園だった。  ちょうど一年前、初めて彼とともに舞踏会に出たあの夜と、同じ場所だ。東屋(あずまや)を囲むように、淡いピンクや黄色の薔薇が愛らしく咲いている。 (……あの時はまだ、こんな日が来るなんて考えもしなかった)  そういえばあの夜は、(あせ)ってダリルのもとへ行こうとしたせいで、つまずいて転んでしまったのだった。彼に抱き留めてもらえなかったなら、どれだけ大変な目に遭っていたことか。 『ご、ごめんなさいっ! 私、何をやって……!』 『いえ、姫様。どうか俺などに謝らないでください。それよりも、お怪我は? 足をひねってはいませんか?』 『…………』  きっと、あの時には。  (いな)、ずっと昔に会っていたことも知らず、再会を果たした儀式の時から、ネリネはもうずっと彼に惹かれていたのだろう。  純白のヴェールを風に揺らしながら、花咲く小径(こみち)を歩いていく。東屋に近づいていけばいくほど、少しだけ気恥ずかしく、それでいて甘酸っぱいような思いが胸いっぱいに広がっていく。 (この姿……ダリルが見たら、なんて言うかしら)  雪よりも白く、花開くように広がった(すそ)繊細(せんさい)刺繍(ししゅう)や、波打つようにきらきらと光るビーズ飾りが(ほどこ)されたこのドレスは、今日のためにとプリシラが中心になって選んでくれたものだった。誰よりも嬉しそうに、はりきってネリネのドレスや靴や、当日の髪型などを考えてくれていた妹の姿を思い出すと、温かな気持ちにならずにはいられない。  そして、ついに。  東屋のすぐそばにいる彼の姿が見えた途端、とくんと心臓が跳ねた。  穏やかな風が吹き、ふわりと、あたりに薔薇の香りが舞い上がる。  視界のすみにネリネの姿が映ったのだろうか。ふいにダリルが顔を上げ、まっすぐに視線が重なり合った。 「ネリネ……」  どきどきしながら歩み寄っていくネリネを、ダリルは言葉もなく見つめていた。ぽかんと呆気(あっけ)に取られたような顔をする彼に、こそばゆかった気持ちも忘れて、思わず笑みがこぼれてしまう。 「ごめんなさい。待たせてしまったかしら。支度(したく)に時間がかかってしまって」 「いや……」  ネリネが声をかけても、ダリルにはなかなか正気に戻るような気配がなかった。  やがてようやく、彼は口を開く。  ほのかに頬を染め、照れたように。 「すまない。つい、見とれてしまった。……とても、綺麗だ。ネリネ」  抱き寄せられて、そっと唇が重なる。  頭上では春風を浴びて、ミモザの花枝が優しく揺れている……  何かあった時のためにと余裕を持って待ち合わせたため、バルコニーへ向かうには少しだけ早すぎた。  王都の中心部にある大聖堂で、婚礼の儀式は()り行われる。  けれどその前に、王宮の敷地内にある広場を見渡せるバルコニーで、ネリネはダリルとともに集まった人々に姿を見せ、挨拶をすることになっているのだ。  今日は朝から、王宮の門は開け放たれ、誰もが広場に入れるようになっていた。  今頃はもう、二人の姿を一目でも見ようと、広場は大勢の人々でいっぱいになっているのだろう。静かな庭園の奥にいても、耳を澄ませば賑やかな人々の声が聞こえてくる。 「ここに来るまでに、考えていたのよ。私、きっと最初からあなたのことが好きだったんだなって」  ふと、つい訊いてみたくなって、ネリネはダリルを見上げた。  自分から尋ねるのは、少しだけ恥ずかしい問いだ。  それで、どうしようかしばらく迷った後に、ネリネは思い切って訊いてみることにした。 「……あの。ダリルは……」 「ネリネ?」 「ダリルは、その……いつから私のことが、好きだったの?」  実際に口に出してみると、思ったよりもずっと恥ずかしくて、顔が真っ赤になってしまう。  やはり今の質問はなかったことにしようと、ネリネがとっさに口を開きかけたのと、ダリルから答えが返ってきたのとは、同時だった。 「……それは、決まっている。あなたと、初めて出会った時。あなたがこの手を握ってくれた時からだ」 「え……?」  遠くから風に乗って、高く澄んだ鐘の音が聞こえた気がした。  ネリネの前に立ち、ダリルは微笑んで、手を差し出してくる。 「行こう、ネリネ。もうすぐ時間だ」
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