【第1章】弱虫姫の騎士

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 やがて騎士は厳かな所作で、ネリネの前に膝をつき頭を垂れる。  ただ息をするのすらはばかられるほどの静寂を震わせ、ネリネの声は水面を揺らす波紋のように、あまねく広く響き渡った。 「女神フィリスの御前(みまえ)に。騎士ダリル・オルブライト。貴方はその生涯を賭して、我、ネリネ・リーリア・ラウステラを守る剣となり、盾となることを誓いますか」  それは、ネリネの前に(ひざまず)く騎士に、己の身のすべてを尽くした絶対の忠誠を求める言葉。  騎士は答えた。彼の声は、低く、深く、(なぎ)のように穏やかで……それでいて、(いわお)を思わせるほどに決然としたものだった。 「女神フィリスの御前に。ネリネ・リーリア・ラウステラ様。我、ダリル・オルブライトは貴女を絶対唯一の(あるじ)として(いただ)き、何者にも断ち切ることのかなわぬ忠誠を誓います」  騎士の言葉が終わるのと同時に、ネリネは横に控えていた神官の手から剣を受け取る。もう何百年もの間、誓いの儀式に使われてきた由緒ある宝剣で、金剛石のあしらわれた柄を握れば、実際以上の重みを手の上に感じるほどだ。 「貴方を私の騎士として任じます。いつ何時も、その命に代えてでも、私を守護しなさい」  剣を掲げ、騎士の両肩を叩く。  女神フィリス、そして聖堂の長椅子を埋め尽くす王宮や教会の重鎮達のもと、儀式は終わった。  これで、彼――ダリル・オルブライトは、正式にネリネの騎士として認められることになった。 (終わったのね……)  滞りなく儀式を終えられて、どっと安堵が全身を包む。  ……けれど、やっと訪れた安堵は長くは続かない。  跪く騎士を――ダリルを見つめる。  ネリネは自他ともに認める、できそこないの王女だ。表向きの褒め言葉や社交辞令の裏で、ラウステラ国の弱虫姫と陰口を囁かれるようになって、ずいぶんと久しい。  当然のこと、このダリルだって、ネリネの悪い評判は聞き及んでいるはず。 (弱虫姫の、騎士)  不名誉な称号だ。  これからは、ネリネばかりではない。ネリネの騎士となったダリルまで、皆から嘲笑と(さげす)みの視線を向けられることになるのだ。  他ならない、ネリネの不甲斐なさのせいで。 (ごめんなさい……ダリル様)  心の中で、ダリルへの謝罪を言葉にする。  大聖堂を出て外の空気に触れても、自室へ戻ってカサブランカのドレスを脱いでも、ネリネの心に暗い霧は立ち込めたまま、晴れることはなかった。
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