【第6章】想いを告げる

5/15
198人が本棚に入れています
本棚に追加
/86ページ
 はっとして視線を向けた先は、眼下に広がる庭園の一角だった。  ほのかな月灯りを帯びる庭園の小径(こみち)を歩いていく、その後ろ姿は……  思わず、心臓が大きく跳ねるのを感じる。  食い入るようにして、わずかに見えたその横顔を見つめた。 (ダリル? でも、こんな時間にどうして……)  月があまりにも明るすぎて、一人バルコニーに立つネリネの姿は、かなり目立つものだったのかもしれない。  何気なく月を見上げようと思ったのだろうか、ふいにダリルが少しだけ顔を上げる――けれど月まで到達する前に、彼の視線はネリネのいるこの場所に止まった。  ダリルがはっと息を呑む音が、こちらまで聞こえてきそうなほどだった。  彼は立ち止まって、驚きもあらわにネリネを見つめてくる。けれどすぐに我に返ったのか、ネリネの立つ方角へと向き直ると、片手を胸に添え、深く頭を下げて立礼(りつれい)してきた。  考えるより早く、身体が動いていた。  とっさに部屋に戻ると、急いで外出用のローブを羽織(はお)る。  なるべく音を立てないように部屋を出て、月灯りを頼りに回廊を早足で進んで、階段を下りた。  庭に出てすぐにダリルの姿を見つけて、ほっと胸を撫で下ろしながら駆け寄っていく。 「姫様。あなたはまだ、お休みになっていなければならないのでは……」 「眠れなかったのよ。今日は王宮に戻ってからずっと休んでいたから。ダリルこそ、どうして? あなたの方が、休んでいなければならないはずだわ」  今、ダリルが身につけているのは昼間と変わらない騎士の(よそお)いだ。誰の目にも明らかに、休む時の服装ではない。   森を出て王宮に帰り着いてすぐ、ネリネは湯殿(ゆどの)で温まり、寝間着に着替えて休むことができた。けれどダリルはそうではなかったことは、口伝(くちづ)てに侍女達から聞かされていた。ろくに休む間もなく、彼は森に出没した魔物の調査に加わっていたのだと。  ダリルは首を横に振って、言った。 「いえ。衛兵も多くいますし、王宮にまで魔物が現れる事態は考えにくいですが、それでも万が一ということがありますから。俺は先ほど仮眠を取りましたから、問題ありません」 「それなら、ダリルがここにいたのは私を守るため……?」  思えばこのあたりは広い庭園の中でもネリネの部屋に近い場所だ。夜遅くまで騎士服姿でダリルがここにいた理由は、それ以外には考えられなかった。  思わず謝罪を口にしそうになったネリネの心情など、とっくに見通されていたのだろう。ダリルはかすかに微笑んで言った。 「騎士としての務めですから。どうかもう、謝罪はなさらないでください」 「……わかったわ。でも、どうか無理はしないで」  魔物が一度現れた場所の近くには、しばらくの間、再び魔物が現れる可能性が高くなる。(けわ)しい道のりに(へだ)てられているとはいえ、フィリスの丘のある森から王宮までは、さほどの距離はない。魔物が王宮にまで現れる、その万が一の危険のために、ダリルは夜も外に出ていてくれたのだろう。  本当は、護衛はもういいから休んでほしいと言いたかった。  ネリネ自身の安全などよりずっと、彼が身体を壊さないかの方が心配なのだとも。 (もう何日も一緒にいたから、わかる。……きっとダリルは、限界を過ぎても頑張ってしまう人だから)  けれどこんな状況では、ネリネがいくら休んでほしいと願ったしても、ダリルが聞き入れるはずもないことは明らかだった。  むしろ、室内で休んでいるよりもここで万が一の事態に備えている方が、ダリルにとっては安心できるのかもしれない。  そう思えば、それ以上彼に何かを言うこともできず、ネリネはただ黙り込むしかない。 「…………」  帰らなければ。  そう思った。  襲撃が起こる可能性はほとんどないとはいえ、ダリルが護衛に出てくれている以上、ネリネは今すぐに安全な王宮の中へ帰るべきだ。  けれど。 (せめて、何か……)  何か、ネリネにできることはないのか。  必死に頭を(めぐ)らして、けれど結局、何も思いつかなくて。  無力感に(さいな)まれながら、後ろ髪引かれる思いで部屋に戻ろうとした、その時だった。
/86ページ

最初のコメントを投稿しよう!