夏暮時に

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 僕のように疲れ切っている訳じゃないと思っていた。  しかし、彼女は僕の言葉にクスッと笑った。 「君のほうがあたしの自殺を止めようと考えてない?」  ちょっと楽しそうに笑っていた。 「うん。そうだな、止めたいかも。貴方は美しい人だから。死んだら損だ。僕とは違って」  冗談でも方便でもない。僕は本当にそう思っていた。  正直、仕事のことくらいで死のうと思う僕なんて本当に世界に必要ない。だけど彼女は違う。こんな僕を和ませられる人なんだから。 「そうか。うん。嬉しいな」  素敵に彼女が笑った。現在の夕陽よりも美しい。 「きっと彼も君が死ぬことを望んでないよ」 「そうかもね。それでも会いたくなった。恋を無くしたから」 「まだ世界には貴方にふさわしい人が居るんじゃないかな」  彼女の笑顔が無くなっている。こんな僕の言葉でも届いたのだろうか。それだと嬉しいのに。  すると彼女は立ち上がった。夕陽を眺めて靴を取ると波打ち際に歩く。  夕陽の手前に引いては戻る波に足を浸した彼女が居た。  遠く水平線に太陽が落ちていて、とても綺麗。僕と彼女はそんな世界最後になるかもしれない景色を眺めていた。  夢幻のように数分だけの風景が終わって世界は新たな顔を見せ始める。その時に彼女が振り向かないで「もし」と呟いた。それでも僕は彼女の事を見られなかった。 「二人が死なずにもう一度会えたら、恋に落ちようか?」  あまりにも綺麗な世界を眺めて彼女の心にちょっとだけ違いが残っていたんだろう。 「結婚だって望むよ」  そしてそれは僕の心だってそうだった。  この日の夕陽にはそんな力があったのかもしれない。僕はもう今日死ぬことを諦めていた。 「それは楽しみだ!」  彼女は笑っていた。だけど、顔は僕のほうを見ない。その理由はあまりに綺麗すぎるものを見て泣いていたからだろう。僕には解る。僕もそうだったから。  段々と暗さを増す海を彼女は眺めていたが、僕は彼女に泣き姿を見られたくなくて涙を拭っていた。  でも、僕が見たのは彼女のよりも美しいもんだった。夕陽だけじゃなく、照らされて居る彼女も含めた光景だったから。嬉しいのでも哀しいのでもない涙が終わらない。 「それじゃあ。バイバイ」  視界まで無くなった僕に彼女の残した言葉。  再び顔を上げた時には彼女の姿は辺りになかった。ただ海に向かっている足跡を残して。  彼女は本当に自殺したのかもしれない。僕との約束なんて反故に。  僕はと言うと彼女のおかげで生き永らえた。今の仕事を辞める決心を固めると周りの人の反対なんてなかった。そして再就職も悩むほどに難しいものでもない。会社は有名じゃないが普通に死ぬほどにもならない働き方になった。  数か月が過ぎてもう季節は冬になる。その頃には自殺を考えていたなんて馬鹿らしいと思えるくらいに。だけど、僕には気掛かりな事が有った。 「彼女はどうなったのだろう?」  あの日からニュースを集めることを欠かさない。それでも自殺の記事なんて無かった。  もちろん遺体が上がらないことだって有るだろう。けれど行方不明の話題だって皆無。彼女のことは解らなかった。  夢だったのかもしれない。そんな風に思っている。僕はふとあの砂浜に呼ばれるように立ち寄った。また自殺を考えるのではないかと近寄れなかった。だけど、そんなのは思い違い。そこには単なる海岸しかない。  あの日二人で夕陽を眺めていたところに座る。違うのは寒さだけ。今も彼女が居るような気がする。  僕はまた涙を流していた。彼女がそこには居ないんだと思うと哀しくて。あの時泣いたのとは違ってる。 「また会えたね」
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