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 眠りから起こされる瞬間の感覚というのは、深い水の底から水面に浮上するさまに似ている。  目を開けた私を、現地スタッフの一人が覗き込んでいた。  病院ではなかった。民家のようなところにいて、私は寝台に寝かされていた。  スタッフは私が意識を失ったあとのことを教えてくれた。  あの野戦病院は倒壊したのだそうだ。落ちてきた瓦礫に直撃されて、何人かが犠牲になった。だが、患者の多くとほとんどのスタッフは無事に避難した。  私はとっさに子どもに覆いかぶさっていたらしい。腕と肩と背中がひどく痛む。頭にも包帯が巻かれていたが、幸運なことに頭部の怪我は軽傷だということだった。  子どもは一時低体温になり危なかったが持ち直したと聞いた。いまは別室で休んでいるらしい。 「明日、新しい救援物資を載せたトラックが到着する予定です。先生、あなたはそれに乗って一旦出国してください。怪我を治してまた戻って来てくださるのを我々は待ちます」 「わかりました。なるべく早く動けるようになって戻ってくることにするわ」  彼の言葉に私はそう答えたけれども、本当はまた来る必要がないぐらい早くこの諍いが収束してしまうことを願っている。でも、そんなに簡単ではないだろうことを彼も私もわかっていたから、口には出さない。 「あの子どもも一緒に運ぶことになりました。設備の整った病院で手術できれば視力の回復も見込めます」 「あの子のご両親は?」  その質問には彼は首を横に振る。 「まだわかっていませんが、引き続き聞き込みを続けて捜させます」 「もしもこの先どうしても身内の人が見つからなければ……」  考えて、一度言葉を切って、それから私は口に出して言った。 「あの子を私の養子にしようと思うのだけれど……」  その言葉に彼は一瞬目を見開き、けれども首を横に振る。 「それは軽率であるように思います。関わった孤児を医療スタッフがいちいち養子にしていたら、身が持ちませんよ」  軽率だと答えた彼のリアクションもわかる。子どもと私は赤の他人だ。  夢の中で私はあの子どもと会話を交わしたような気がしていたけれども、そもそもあれはただの夢に過ぎないかもしれないのだ。  けれどもそう考える一方で、一時子どもが低体温症で危なかった経緯を聞いて、やっぱりとも思ってしまったのだ。  夢と現実のはざまにあるどこかの空間で、生と死の(あわい)の世界で彼と私は手をつないだのではなかったか。  子どもが思い出したくなかったのはすべての肉親を失ってしまった事実で、けれどもそのことを思い出して彼は、こちらに戻ってきた。  彼は私に引きずられたと言っていたが、私の方が彼にかかわって意識が引きずられたせいで、あの夕焼けの国に迷い込んでしまったのではないだろうか。  爆音のとどろく空の下を死に物狂いで逃げた記憶は、夢で片づけるにはあまりにも生々し過ぎた。  考え込む顔のままの私が返事をしなかったからか、スタッフは重ねてこう言った。 「それに、まだ自我のない乳幼児ではないんです。宗教の問題もあります。異教徒に引き取られることがあの子どもにとって幸せなことかどうか、私は疑問に思うわけですよ」 「宗教の違いってそんなに問題になるの?」  彼は語気を少し強め、こう言い返してきた。 「あなたのその感覚こそが我々にとっては問題なんです。宗教の違いは大きな問題ですよ」 「袖振り合うも多生の縁という言葉が私の母国にはあるのよ。でもそうね。あの子にとって何が望ましいことなのかは慎重に考えてから決断することにしましょう」 「そうしてください。それと、痛み止めの注射が用意できますが打ちますか?」 「大丈夫よ。このままで眠れそう」 「利き腕をやられてますから、安静にしていてくださいね」  彼の言葉に私は目を閉じ、黙って頷いた。
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