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其の七 交差
ようやく。これでようやく抜け出せる。
勇は狂気じみた笑みを浮かべ、汽車の車体へ潜り込む。これが上手く行けば、この忌々しい巨大な乗り物は町の外へ出ることなく役目を終えるだろう。もしかすると犠牲者が出るかもしれないし、自分も無事では済まないかもしれない。が、それがなんだと言うんだ?
勇は笑った。この馬鹿げた繰り返しの時間から抜け出せるならなんでもやる。自殺すら脳裏を過ぎったが、もし死ねないとわかってしまったら二度と正気に戻れないだろうとうっすら理解していた。
だからこそ、どんな手を使ってでもこの汽車を進ませない事が重要なのだ。
まるで整備士のように車体を見て回っていた勇の側で、突如甲高い少女の叫び声が響きわたった。
「いたーーーー!本当におったわい!!」
飛び上がるほどの声量に、勇はうわっ!と悲鳴を上げる。視線を向けるとそこには朱と白の巫女装束を着た少女が一人、肩で息をしながら勇をびしっと指差していた。
「まさか本当におるとは思わんかったわ!おーい壱花!こっちじゃこっち!」
少女は大声で誰かを呼んでいる。不思議な事に、これだけの声を聞いても駅員が飛んでくる気配はなかったが、今名前を呼んでいる者は確実にこちらへやってくるだろう。
「おい、やめろ。大声を出すな!」
何故か少女はびっくりした顔で勇を振り返った。
「なんじゃ⁉ひょっとしてお主もワシが見えとるのか⁉どうなっとるんじゃ、これは」
「訳のわからないことを言う。それになんなんだお前は」
言動もさることながら、見れば見るほど奇妙な格好だ。黄金色の髪から動物のような耳が生え、狐のような尻尾まである。
目を大きく見開いていた少女は、はっと我に返って咳払いをした。
「ごほん!ワシはこの近くの神社に仕える者じゃ。実はこれから起こる事を止めに来たのじゃ」
「これから起こる事?」
「お主、この汽車を脱線させる気だったのではないか?」
言い当てられ、勇は一歩後ずさる。
なんだ?何故こいつはそんなことを知っている?
「いきなり何を言い出すのかと思えば……。むしろ逆だ。この汽車に爆発物が仕掛けられているという情報があったから、調べていただけだ」
咄嗟に出た嘘ではない。万が一駅員に見咎められたら使おうと思っていた言い訳だ。
狐耳の巫女は、キョトンとした顔をした。
「なんじゃと?あの脱線が爆発……?」
「どんな話を聞いているかは知らんが、少なくともここに異常は見当たらなかった。脱線なんて起こらない。いいから、さっさとここから離れろ」
邪魔が入ったことに苛立ったが、それならまた次の『巻き戻し』で細工すればいいだけだ。落ち着け、と自分に言い聞かせていた勇に、狐耳の少女は怪訝な顔をした。
「うーん……あの脱線に爆発音なんてなかったがのぅ。社から見ていても、炎が上がってる感じは無かったが……」
「まるで見てきた様に言うな」
「信じてもらえんかもしれんが、見てきたんじゃ。もう何度も何度も、この汽車が脱線する様子を見てきたんじゃよ、ワシは」
ピクリ、と勇は肩を強張らせた。
何度も?脱線を?いや──そんなはずはない。
「そんな馬鹿な……」
「確かに馬鹿げておる。しかし本当にワシはこの朝を何度も繰り返しておるんじゃ。まるで『巻き戻し』されておるように、な」
今度こそ息を呑み、勇は目の前の少女を凝視する。見れば見るほど異様な姿だが、嘘をついている目では無い事を経験上理解していた。
だが、それでも信じられない。そんな馬鹿なと勇は繰り返し呻いた。
「……脱線を止めに来たと言ったな。お前は脱線する様子を何回も繰り返して見ているのか?」
「そうじゃ。もっと言えば、その脱線を止める為に色々やっとる途中じゃ」
「それなら安心しろ。もう脱線は起こらない」
「……?どういう意味じゃ?」
その時、汽笛の音が耳をつんざき、同時に慌てた様子の駅員が線路へ降りてきた。
「危ないですよ!もう出発します、早くそこを退いてください!」
駅員の声を受けて、勇は車体を一度振り返り、ホームへ上がった。
今になって自分と同じ『巻き戻し』されている者が現れるとは。しかも何故かはわからないが、まだ起こっていない脱線した未来を繰り返していると言う。
どういうことか問い詰めようとして振り向いたが、既に少女の姿は見えなくなっていた。仕方なく乗車位置に群がる人々を掻き分けて部下達のいる場所に戻ると、どこかほっとした表情の幸恵がいた。
「どこへ行っていたんですか?」
部下の非難めいた言葉を無視して汽車に乗り込む。発車の慌ただしい空気の中、窓の外に視線を向けると、そこに先程の巫女ともう一人少女が並んで立っているのを見つけた。
少女達はこちらを見ながら何かを話し合っているようだ。
──あの不思議な巫女は、脱線が起こる時間を繰り返していると言っていた。だからそれを止めに来たのだと。
もしも彼女が、脱線こそ『巻き戻し』を止める鍵だと信じていたらどうだ。
だがそんなはずは無い。何故なら。
「俺はずっと、脱線も何も起こらない『巻き戻し』を繰り返してきたんだ。だから今回も、きっと……」
ぼそりと呟いた勇に反応して、幸恵が驚いたように顔を上げた。
汽車は少しずつ速度を上げながら、深風町の外へ走り出していく。過ぎ行く建物と線路を叩く音を聞きながら、勇はその時を待った。
***
「本当に……本当にもう、脱線事故は起こらないの?」
見送りが終わって帰路につく人々が改札へ向かっていく波の中で、壱花と都はまだ汽車の消えた先を見続けていた。
都は先程出会ったと言う若い軍人の話を繰り返す。
「そうじゃ。思えばあ奴は怪しかったのじゃ。明らかに爆発ではないのに、爆発物を探してるなんて嘘をついておった。あの軍人は何もできないまま汽車に乗ったからのぅ。脱線が起こらないとしたら、今回しかあるまい」
「でも、信じられないよ……自分が乗る汽車を脱線させようなんてするのかな……」
「軍人の考えることなんぞわからんわ。今はあ奴が言っていた、もう脱線は起こらんという言葉を信じるしかないのぅ」
「うん……」
壱花は祈るような気持ちで時が過ぎるのを待った。
やがてホームから人影が消え、駅員達は次の発車準備に追われ始める。壱花と都は息を呑んで事故の轟音を待ち続けたが、いつまで経ってもそれらしき気配は無い。
「そろそろ、汽車が町から出る頃だね」
「うむ……しかし何も起こらんぞ」
二人は顔を見合わせ、満面の笑みを浮かべた。
「と、言うことは──あれ?」
壱花は目を擦る。なんとなく目の前が薄暗い気がする。
見ると、都も盛んに瞬きをしていた。まるで眠る直前の様に、朝の構内がどんどん暗くなっていく。
「ど、どういう事──」
壱花が言葉を言い終わる前に帳は完全に落ちきり、意識は闇に消えていった。
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