其の八 壱花 一

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其の八 壱花 一

 夢を見ていた気がする。それも生々しい夢を。  夢の中で何度も同じ朝を繰り返した。駅舎へ行き、改札を通り過ぎて、生まれて初めて汽車に乗り、帝都へ行く予定だった。  それなのに、少しも進まない。一日の半分も過ごしていないのに、もう何年も同じ場所を周っているみたいだ。  やっと抜け出せると思ったのもつかの間、気がつけばまたこの朝に戻ってきている。  壱花は体を起こし、それが見知った自分の部屋だと確認すると、布団を頭から被って再び横になった。  嗚呼、もういいや。  脱線が起ころうと起きまいと、自分は此処から出られないのだ。  それならもう頑張りたくない。そもそも帝都になんて行きたくなかったんだ。  言い訳がましく考えながらぎゅっと布団に包まっていると、廊下をやって来る足音が聞こえた。これももう何度となく聞いている。母親の足音だ。  やがて襖が開け放たれた。  「壱花、いつまで寝ているの!」  「ごめんなさい。でも放っておいて……」  「……どうしたの?具合でも悪いの?」  咎めるような声から一転、心配する様子の母親に罪悪感を抱いたが、やはり布団から出る気になれない。あれこれ質問しても生返事を返す壱花に呆れたのか、しばらくすると母親は部屋を出て行った。  「折角の門出の日なのに」  遠ざかる足音に耳を澄ませてから息をつくと、急に手持ち無沙汰になった。  どうしてこんなことになったんだっけ、と天井を睨みながら考えても答えは出てこない。帝都に行く必要がなかったらこんな思いをしなくて済んだのにと今更の様に後悔が押し寄せてくる。  少し前までは本当にこの日を心待ちにしていた。「貴方は声がいいから」と特別に職を斡旋してくれた先生。友達は、羨ましい、帝都から手紙を頂戴ねと何度も約束させられた。それだってほんの数日前の事なのに、もう何年も前の出来事のような気がする。  「でも私、本当に帝都で働きたかったのかな……」  これからは女性も働く時代がくると先生は言った。帝都にはカフェーがあって、そこで給仕する女性もいると友達は言った。それが憧れだったのは間違いないが、御伽噺が本物になってしまったような感覚に戸惑っているのも確かだ。  考えることすら面倒臭い。ずっと眠っていたい。  雀たちの無邪気な(さえず)りを聞いているうちに、うとうとと眠気が襲ってくる。  たまには二度寝もいいよね、どうせずっと朝なんだし。  壱花は布団の中で丸まり、目を閉じた。    どれ位時間が経ったのかわからない。もしかしたら気が付かないうちに『巻き戻され』ているのかもしれないが、それを知る術も無い。変わらぬ朝の長閑さの中で母親との会話だけが唯一の出来事なのだが、それすらも億劫になってしまっている。  暇を持て余していた壱花は、ぼんやりと中庭に集う雀達を眺めていた。眠気はとうの昔に無くなっている。  祖父が作ったと言う中庭には池と椿の木があり、雀達は枯山水を真似た岩の上に集っていた。椿の向こうはイヌツゲの生け垣が通りに面する形で並んでいて、壱花は幼い頃はこの狭い庭が世界の全てだったことを思い出していた。  不意に、生け垣ががさりと揺れた。  雀が遊んでいるのかと思った次の瞬間、イヌツゲの葉っぱを頭にのせた都が中庭に飛び込んできた。  「……都ちゃん!?」  なんでここに、と絶句する壱花に向かって、肩で息をしていた都は吠えるように怒鳴る。  「やっと見つけたと思ったら、この……!何をゴロゴロしておるんじゃ!駅で待っておったんじゃぞ!」  「ご、ごめん……。でも、都ちゃんだって見たでしょ?私達、脱線事故を止めたけどまた『巻き戻』されたんだよ。もう何が原因なのか、思いつかないよ……」  「……そうじゃな。ワシも正直お手上げじゃわい。じゃが、ここでゴロゴロしておっても何も変わらん。そうは思わんかえ?」  「それは……そうだけど……」  言葉を濁す壱花に、都は背を向けた。  「ワシが言いたかったのはそれだけじゃ。後はお主が決めぃ」  都は再びガサガサと生け垣を戻っていく。残された壱花は天を仰いだ。  「だって……」  頑張っても結果は同じなんだから、と自嘲気味に笑った所で何も変わらないのは都の言うとおりだ。無邪気な雀達を眺めている内に、視界が薄暗くなってきたのがわかった。『巻き戻し』が起こる前兆だ。  目の前が暗くなり、自室の布団に『巻き戻』される。  その時始めて、異変に気がついた。  「そう言えば、脱線事故の音……聞こえないな……」  あれだけ大きな事故だ。もし今でも脱線事故が起こっているなら、この家にいても事故の音が聞こえてくるはずである。この家にいる間に何度か『巻き戻し』されているはずだが、大きな音は何一つ聞こえてこなかった。  都は脱線事故を止めたと言った。あれはその『巻き戻し』の回だけ止まったのだと思っていた。  しかし、あの時からずっと脱線事故が止まっているとしたら?全く同じだと思っていた『巻き戻し』が少しずつ変化しているとしたら?  ──そうだ。私と都ちゃんが出会ったのだって変化に違いない。    壱花はがばっと布団を跳ねのけた。  『巻き戻し』は全く同じ事が繰り返される訳じゃない。行動すれば確実に変わっていく。  変化の先に何があるのかわからないし、『巻き戻し』が終わる確証も無い。それでも、都の言っていたとおり、ゴロゴロしていても何が変わるわけでもない。彼女は駅で待っているはずだ。  脱兎の如く着替え、荷物も持たずに駆け出していく。  壱花を起こそうとしていた母親は、廊下を走り去る本人とすれ違い、呆れたように呟いた。  「あの子ったら、こんな日でも遅刻するんだから」
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