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其の八 壱花 ニ
息を切らせて駅舎に辿り着いた壱花は、改札付近を見渡した。まばらな人々の中に軍人達も都の姿も見当たらない。
早く着きすぎたのだろうかと不安に思っていると、駅舎の隣の建物の陰から一本の腕が伸びている事に気がついた。腕はまるで壱花を呼ぶようにおいでおいでと動いている。
もう一度周囲を見渡す。その腕の存在に気づいている者は他にいないようだ。
壱花が駅舎と隣の建物との間を覗くと、そこには都、若い将校とハンカチの少女の三人がそれぞれ佇んでいた。
「やっと揃ったのぅ!大遅刻じゃぞ!」
「ご、ごめんね……ってあの、この人達ってもしかして……」
「うむ。実はお主がいない間に色々なことがわかったのじゃ。ほれ、とりあえず自己紹介せんか」
促され、腕を組んで壁にもたれかかっていた勇が口を開いた。
「俺は見ての通り軍人で、秋野勇と言う。この胡散臭い狐巫女から聞いているかどうかわからんが、俺も『巻き戻し』されていた」
「えっ!?私と都ちゃんの他にも『巻き戻し』されている人が……?」
「そうだ。おい狐、迎えに行った時にちゃんと説明しておけ。驚いているだろう」
「喧しいわい!引き篭もってぴぃぴぃ泣いとる人間に、詳しい説明なんぞできるわけ無かろう!そもそもお主が脱線なんぞ企むからややこしいことになっておるんじゃろうが!」
「脱線!?ちょ、ちょっと待って、話についていけないよ……!」
都と勇が睨み合い、同時に視線を逸らす。勇は仕切り直すように小さく咳払いした。
「……俺が余計な事を企んだのは認める。恐らく、お前達が巻き込まれたと言う脱線は俺が仕組んだ事だろう」
「企みで済んどらんわい。ここにおる壱花は、実際に脱線事故を経験しておる」
「だからそれが不思議なんだ。俺は確かに脱線を引き起こそうとした。だが実行しなかった。正確には、しようとしたがお前に邪魔をされた」
「するに決まっておろうが!逆になんで邪魔されんと思ったんじゃ!?」
再び言い争いが始まりそうな気配に壱花はこめかみを擦る。この二人、如何にも相性が悪いらしい。
「とりあえず脱線事故の事は後で考えようよ。まだ紹介してない人がいるし」
壱花の提案で言い争いを止めた二人の視線を受けて、先程からおろおろと成り行きを見守っていた少女が一層縮こまる。壱花にとってはいつもぶつかってしまう気の毒な少女だが、まだ名前すら知らない事に気がついたのだ。
「わ、私は一条幸恵と申します……。あの、ごめんなさい。本当に申し訳ありません!」
名乗って早々謝罪され、面食らってしまった。むしろ謝るのはこちらのほうではないかと慌てる壱花に、幸恵は沈痛な表情で切り出した。
「恐らく、皆さんの身に起こっている異変……同じ時間を繰り返してしまうのは、一条家の持つ『力』によるものだと思います。信じていただけないかもしれませんが、私の一族には代々不思議な能力が備わっているのです」
「不思議な能力って?」
「遠くの出来事を察知したり、人の考えている事が薄っすらわかったり、明日の出来事を夢で知ったり……。常人には無い『力』が、一条家にはあるのです」
今にも泣きそうな顔の幸恵に、壱花もどう答えていいかわからず戸惑う。
反対に、都は楽しそうに笑った。
「はっはっはっ!いやーまさか、この時代にこんな強い能力を持つ巫女の家系があるとはのぅ!」
「……もしかして都ちゃんの知り合い?」
「いや、一条家なるものは聞いたことが無いのぅ。しかしそういう『力』を持つ一族の存在は聞いたことがあったのじゃ。大昔にはもっと多かったそうじゃが……まさかそんな『力』を持つ者と会えるとは、長生きはしてみるもんじゃな!」
「そんな凄い家の人だったんだ……あ、私は永倉壱花って言います。私の方こそ、毎回ぶつかってごめんなさい」
「いえ、あの、」と幸恵が再び口篭る。
「壱花さんは、私と何度も会ってるんですよね?でも私にはその記憶が無くて」
「そっか。一条さんは『巻き戻し』されていないんだね……。あれ?一条さんの『力』なのに、自分は時間を繰り返さないの?」
幸恵は泣きそうな顔のまま頷く。まるで大海原で遭難してしまった人のようだった。
「はい。如何してだかわからないんですが、私自身『巻き戻し』されたのは、さっきが初めてなんです」
「……さっき?どういうこと?」
首を傾げる壱花に、都が付け加えた。
「実は、お主が来る前までこの娘は『巻き戻し』されておらんかったんじゃ。厳密に言えば、脱線事故が起こらなくなってから『巻き戻し』されるようになった……と言えばいいかの」
「えっ!?それってつまり、『巻き戻し』が新しく始まったってことだよね?」
うむ、と都が頷き、幸恵は小さく肩を窄める。壱花は額に手を当てて呻いた。
「私がいない間に、色々な事が起こりすぎだよ……」
「だぁから早く来いと言ったんじゃ。ワシらだけではまとめるのも一苦労じゃからな」
「うう、わかったってば。とりあえず、変わった部分をまとめていこうよ。例えば秋野さんの話と、私が遭遇した脱線事故の違いとか、一条さんの『力』の話とか──」
その時不意に汽笛が響き渡り、四人はそれぞれ駅舎に視線を向けた。聞き覚えのあるそれは汽車の出発の合図だ。
勇は小さく舌打ちして、「時間だ」と呟いた。
「適当な事を言って部下を撒いてきたが、そろそろ本格的に探しに来るだろう。どうせ今回も『巻き戻し』されるんだ。次来た時もこの場所に隠れておく」
「わかりました。そういえば秋野さんと一条さんも帝都に行く予定だったんですか?」
「ああ。この馬鹿げた事態が収拾したらの話だが」
そう言い残し勇は建物の陰から出ていく。幸恵が壱花達に会釈して、その後ろ姿を追った。
「なんだかよくわからなくなってきた……一条さんの『力』が原因なら、どうして私達はまだ『巻き戻し』されているんだろう。それに、一条さん本人も『巻き戻し』され始めたなんて……」
「時間もあの軍人と一緒のようじゃの。駅に着いた瞬間から汽車が町を出ようとする間を繰り返しておるようじゃ」
「一条さん、びっくりしただろうなぁ……」
あのおどおどとした態度は『巻き戻し』によるものと、自分の『力』に他人を巻き込んでしてしまった事への罪悪感の現れなのだろう。
しかし、そんな『力』を制御できないと言うのも奇妙な話だ。側にいた者──例えばあの青年将校が偶然巻き込まれるなら理解できるが、それだと神社にいた都が『巻き戻し』される理由がわからない。
考えている内に、汽車の車体がゴトゴトと音を立てて通り過ぎていった。町境に差し掛かればまた時間が戻り、布団の中で目が覚める。
「私が『巻き戻し』されるのはさっきの一条さんとぶつかったからなのかな。だとしたらぶつかった瞬間とか、その後とかに戻されないとおかしいよね?」
「確かにのぅ。ワシだってあの娘に会ったのは今回が初めてじゃ。会ったことも無い人間が、神仕に神通力をかけられるとは思えないのじゃがなぁ……」
「私みたいにぶつかってもいないもんね」
うーん、と唸って考え込む二人の視界が、少しずつ暗くなっていく。見慣れた闇だが、最初の頃のような不安が薄れているのを感じた。
脱線事故は起こらない。こうやって共に考える人達もいる。確実に何かが変わっている手応えを感じながら、壱花は『巻き戻し』を待った。
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