其の三 駅の少女達 一

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其の三 駅の少女達 一

 跳ね起きてばたばたと荷物も持たずに駆け出して行く壱花を、母親は声をかける間もなく見送るしかなかった。「また会えるから!」と言い残して駅とは反対方向へと向かう娘に面食らったが、その時には既に、壱花の姿は道の角に消えていた。  石階段の下から鳥居を見上げると、都が手を振っていた。やはり狐耳と尻尾がある。  「なんじゃ、もうちっと遠いところから来てるのかと思ったら、そこが家かぇ」  都は壱花がやって来た道の先を指差す。階段を登り息を整えてから、壱花は振り返った。  「ええ、あの通りに出る途中の家からです」  「それなら祭りの時もここに来てたはずじゃな。名前は?」  「永倉壱花(ながくらいちか)、ですけど」  年端も無い少女に敬語を使ってしまう自分を訝しく思いつつ、壱花が答える。都はしばらく考えてからぽんと手を打った。  「ながくら……ああ、祭りの時に迷子になった子じゃな!あの時の子がこんなに大きくなったのか!感慨深いのぅ!」  まさか、と壱花は仰天した。山へ続く獣道に分け入って、迷い子になったのは何年も前の祭りの時だ。どう見ても十を過ぎた位の子供が、そんな過去の事をすらすら答えられる訳が無い。  どういう事と考え込む壱花に、都はからりと笑って手招きした。  「まぁまぁ、そんなに難しい顔をせずとも直ぐにわかるわい。ぼやぼやしているとまた時間が巻き戻るぞ?」  「巻き戻るって……貴方も同じ朝を繰り返しているの?」  「うむ。と言ってもここに時計なんぞありゃせんから、あの汽笛と衝突した音が繰り返しとるだけなんじゃが……」  『巻き戻し』を経験していたのが自分だけではないと知って、壱花は深い安堵感を覚えた。同時に、この少女は誰なのか疑問を抱く。知り合いでもなんでも無いはずだが、この伊寿々都という少女は壱花の事を知っていた。しかも随分昔の事をだ。  狐のような耳と尻尾も、気になり始めたらどうにもうずうずする。好奇心を見越したように、都は壱花を振り返った。  「お主が急いだお陰で、もう少し話せそうじゃ。まずはワシの話からしよう。気になって仕方ないじゃろう?」  「お、お願いします……」  「まぁさっきも言ったように、ワシは神仕じゃ。正式名称があるのか知らんが、とにかくここの山神からは、神に仕える狐だから神仕だと呼ばれておった」  「本当に、人間じゃない……んですか?」  壱花の言葉に、都は重々しく頷いた。  「信じられんのも無理はない。ワシとてこんな妙な出来事に巻き込まれなければ、この姿が見える人間の存在など信じなかったじゃろう。ワシはそんじょそこらの物の怪とは違うからのぅ。少々力のある拝み屋如きでは見る事すら難しいんじゃぞ」  都がどこか胸を張って主張する。にわかには信じ難いが、どうやら耳も尻尾も本物だと言いたいらしい。  疑わしそうな目をした壱花に、都は咳払いをしてみせた。  「こほん。しかし壱花よ。こうなっては一蓮托生、お主もこの馬鹿げた繰り返しに巻き込まれておるのじゃろう?ワシはこの神社の留守を任せられておる神仕じゃ、人間より多くの時間を過ごしておるし知恵もある。ここは一つ、手を組もうではないか」    確かに、同じ時間の繰り返しに巻き込まれている人がいるのは心強い。思い返してみても、自分の母親や道行く人達が時間を繰り返している様子は無かった。この『巻き戻し』を自覚しているのは今のところ壱花と都だけだ。    「私はありがたいですけど……でもいいんですか?この神社の留守を預かっているんでしょう?」  言いながら壱花は年季の入った拝殿を仰ぎ見る。  それにしても神社の神様が留守にしているとは。  「仕方あるまい。お主ら人間にはわからんだろうが、ここの主神は元来神では無かったのじゃ」  「……え?神様じゃなかったんですか?」  「うむ。元々この深風の谷に連なる、山々の"精"とも言える存在での。古くから人間達の間で畏れられたり崇められたりしておったが、お人好しでいつも人間を助けておった。それが天つ国の神々の目に留まり、ついにその末席へ連なることを許されたのじゃが……正式に名乗るには修行が必要らしくての。いつ帰って来るかもわからん修行中じゃ。全く、こんな大事に留守にしおって、肝心な時におらんとは……」  最後は愚痴のように呟く都に、壱花ははぁ、と気のない返事をする。難しすぎてよくわからなかったが、神様だと思っていたものが実は神様ではなく、頑張ってようやく神様になれそう……ということなのだろうか。  都ははっと我に帰り、慌てて付け足した。  「だ、だから、留守を預かる身として、この訳のわからん繰り返しを解決しなければならんのじゃ。その為には多少社を開けることも許されるじゃろうて、うん」    それは単に自分が動き回りたいだけなんじゃ、と言いかけて壱花は言葉を飲み込む。どんな存在であれ、同じ様に『巻き戻し』を経験しているのは今の所この少女と壱花だけなのだ。  「でも、じゃあ神仕様でも巻き戻されているんですね。あの汽車の脱線事故が、何か関係あるんでしょうか」  「それは間違いないと思うがの。何がきっかけで巻き戻しが起こり始めたか考えておったが、特に変わった出来事は脱線以外無かったのじゃ。あの酷い音が響いてきて、何事かとここまで見に来て……くらりとしたら、朝まで戻されておった」    壱花は脱線の時の事を思い出して、顔を顰めた。  「私は……私は、あの汽車に乗っていました」  「何!?それは真か?」  「はい。本当なら今日から帝都の電話交換手になる予定だったんです」  「なるほどのぅ……。そんな門出の日に巻き込まれるとは、運が良いのか悪いのか。しかしその話を聞いて、次に何をするか決まったわい」  「次……?」壱花が首を傾げる。  「どうせまた時間が巻き戻るんじゃ。限られた時間の中で行ける場所も限られておるでのぅ。ワシはやっぱり、駅に何か手がかりがあると思うのじゃ。次に目が覚めたら、駅で落ち合うというのはどうじゃ?」  「わかりました。次は真っ直ぐ駅に行ってみます」  では改札前で、と話し合った頃合いで汽笛が鳴った。  町を見下ろすと長閑な故郷の山間が広がっていて、その中心で汽車が黒煙をどこか誇らしげに吹き上げている。これから起こる出来事を知らない人々に、今更ながら壱花は叫び出したくなった。  「……止めなくちゃ」  それが巻き戻しの事なのか、脱線事故の事なのか、呟いた壱花自身にもわからない。それでもあの恐ろしい事故の音は、もう聞きたくない。  都と二人でじっと巻き戻る瞬間を待つ。やがて判で捺したように、先程と全く同じ轟音が轟いて壱花の意識は遠のいていった。
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