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時間ちょうどにあの人はやってきた。雨音に合わせコツ、コツと踊るようなヒールの音。この音を聞くだけで圭の胸はキュウと締め付けられる。
踊るヒールはゆっくり店内を一周し、いつも通り小説コーナーの前で落ち着く。そしてしばらく紙の擦れる音を鳴らした後、レジに向けて歩いてきた。
「本村さんこんにちは! 今日はこれ、お願いします」
そう言って彼女、南さんは圭に本を手渡した。
「こんにちは南さん。いつもありがとうございます」
月並みな挨拶をしただけなのに、声が裏返りそうだったとか、トーンはおかしくなかったかとかやたら気になってしまうが、「こちらこそ!」という彼女の明るい声に圭の不安は吹き飛んだ。
目が見えない分、圭は他の感覚が人より発達している。
例えば触覚。
バーコードの読み込みやお札・小銭の種類判別も、優れた指先感覚で軽くこなす。
また、嗅覚。
紙とインクの匂いの微妙な差から印刷会社や出版社を特定。そこに指から得る形状や厚みなどの情報を加え、どんな本かを予想する。
南さんの購入した本の匂いも何度か嗅いだ覚えがあった。
「例の推理物の新作ですか?」
「はい! 『テニス探偵』シリーズの3巻です」
そして、聴覚。
「テニス探偵、今度劇場版も公開されるんですよ」
そう言った彼女の声は、楽しさの中に若干の気遣いが混じっていた。おそらく目が見えない圭に映画の話をすることに負い目を感じているのだろう。
「へえ! 映画館は音質が良いから僕も楽しめるし、観てみようかな」
「ぜひぜひ! アクションシーンもあるし、きっと音も大迫力ですよ!」
今度は純度100%の楽しげな声が聞け、圭はほっと安堵した。
人は皆、少なからず声から相手の感情や人柄を読むが、圭のソレは並の人の比ではない。
圭にとって声は1番の情報源。
「雨の日はサークルが休みなんでついここに来ちゃうんです。私、本が大好きなので」
初めて会った日の南さんの言葉は今でも鮮明に思い出せる。底抜けに明るくて芯のある声。自分には無い強さを持った彼女に圭は憧れた。
その日から「雨よ降れ!」と寝る前に祈ることが圭のルーティーンに加わった。
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