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昔から、カメラを弄るのが好きだった。はじめてカメラを手に取ったのは、三歳の頃だと思う。
おじが写真家で、親戚の集まりにはいつもカメラを持ってきていた。その黒い立体が、眩しいような音を出して、そんなときにはみんなが笑みを浮かべていて。カメラがなるその瞬間には誰もが息を止めた。楽しいひと時をカメラが切り取る。それが面白かった。
中学一年の夏、父親が肺炎で死んだ。続いて末の妹が死んだ。釣られるように母が体調を崩した。親戚は、引かれたのだと噂し合った。
自分もその頃から頻繁に寝込むようになり、学校を休むことも増えた。
学校を休んだ日には、窓から見える風景を絵に描いていた。次第に絵はうまくなった。自分は、誰に見せるでもなく毎日絵を描いていた。
しばらくして母が逝った。その頃から自分の体調は本格的に悪くなっていった。手伝いのキヨと一緒に家で過ごしていたのだが、ある日血を吐いてからは叔父の家にやられることになった。
おじは伊豆に住んでいた。伊豆の温泉に浸かれば、お前の病気もあっという間に治ってしまうよ、と彼は言った。
自分は肺が悪いのだと知っていた。もう一度学校に戻りたいと思ったこともあったが、今から戻ってももう顔見知りはいるまい。
励ます彼に向かってどんな表情をしたのか。彼は終始気の毒そうに自分を見ていた。
自分に与えられたのは、彼の邸宅のはなれだった。日中つまらないだろう、と彼はお下がりのカメラをくれた。
最初は使いにくかったが、勝手がわかるともう夢中になった。普段見ている景色と寸分たがわぬものが生まれる。なんだか自分が偉いような気になった。
構図にも凝りだした。手前に色鮮やかな大きい赤の花を持ってきたり、また奥に向かって視線を誘導するようガラスを置いたりした。
いつかわからないが、自分はもうすぐ死ぬだろうという予感があった。風景はカメラで切り取った途端動かなくなる。死んだ風景、死んだ自分。
カメラで撮った風景は死んでいても美しい。自分も、そうであれば。美しく死んでいければ。知らないうちに願いを込めた。
絵は描けなかった。自分の手が、肉が動き世界を写し取っていく。生々しく生きている。黒く、冷たく光るカメラが好きだった。
ある日もそうやって写真を撮っていると、とてもきれいな女の子がやってきた。新しく入った手伝いだと言った。彼女は毎日食事を運んできた。時々喋った。
自分の撮った写真も見せた。彼女は随分褒めてくれたが、雇い主の親戚だったからかもしれない。
彼女の美しさに私はもう虜になっていた。かといって、写真を取らせてくれとは頼めなかった。
彼女は優しかった。死んでしまう前に一度だけ、彼女の美しさを撮りたい。
青春を病に冒された私に、幸福を切り取って分けてほしい。
そう願えば彼女は拒まないだろう。そして、きっと困るのだろう。
彼女は幸せの、美しさの象徴だった。自分のせいで悩ませたくなかった。
そして、自分はもう一度血を吐いた。呼ばれた医者はあと数日の命だろうと告げた。彼はまだ屋敷にいる。死亡確認のためだそうだ。
窓から、青い空が見える。白い雲が浮かんでいる。鳥も飛んでいる。
周りに親族がいる。叔父もいる。心配そうな顔をしている。
彼女もいる。どんな顔をしている?
叔父の手は、彼女の手を握っている。
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