第四話  遠くまで行くには翼が必要で 一番星には君の名前を

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「あっ、消しゴム忘れた」  その日は初めての中間テストで、消しゴムがないという事実にあたしはほとんど絶望した。休み時間は終わっていて、もう誰にも借りに行けない。そんなとき、隣の席から小さな消しゴムが差しだされた。もちろん、あたしはびっくりした。いきなり手が伸びてきたことも、全然知らないところから救いがもたらされたことも。予備だろうか。小さな消しゴム。 「……いいの?」  あたしが小声で尋ねると、咲耶さんは了承のしるしのように微笑んだ。  それからずっと返しそびれて、返しそびれていたあいだに、彼女は学校に来なくなった。  今どき、不登校なんてそんなにめずらしくはない。けれど、彼女を見なくなったとき、(もう少しだったのに)と思った。もう少しで、もしかしたら友達になれたかもしれないのに。  でも、そんなことを思ったのは一瞬で、薄情なあたしはすぐに忘れた。あのとき、何のメリットもないのに困っていたあたしを助けてくれた彼女が、なんだか無性にまぶしかった。あたしが持ってないものをすべて持ってるような気がして。  机のひきだしをさらうと、もうとっくの昔になくしてしまったと思ったのに、借りた消しゴムは現れた。ちゃんとカバーがかかっていて、几帳面に小さくM・Sと書かれている。  日記と同じアルファベット。それが何より彼女の所有物である証だった。今、これを持ってることがとんでもない罪に思えてきて、返しに行こうとあたしは決めた。彼女が死んでしまってから返しに行くなんてクソすぎる。最低だって分かってた。友達でもなんでもなくて、ただのクラスメイト以下の関係に過ぎなかったけど。これはすでに咲耶岬さんの遺品なのだ。そう思ったら、もういてもたってもいられなくなって、その足で彼女の家にむかった。 「お線香あげてくる」  まだ居間にいた母親にそう告げて、家の場所を教えてもらった。さすがに住所までは知らない。弔問なんてしたこともない。マナーもよく分かってない。けれど、今行かなければずっと後悔する気がした。さいわい、家はそんなに遠くなかった。追い返される可能性もまったくないわけじゃない。家族を亡くしたばかりなら、そっとしておいてほしいのが本音だろう。そのときは消しゴムだけ渡して、さっさと帰ろうと思っていた。
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