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留守だったらどうしよう。勢いで出てきただけに、仕切り直せる気がしない。そう思いながら、チャイムを押す。『咲耶』という表札はあまりないから、見間違えようもなかった。
「あの、岬さんに借りてたものをお返ししたくて」
インターホン越しにそう言うと、扉が開けられた。出てきたのは、あたしの母親と同じ年齢くらいの女の人だった。でも、どことなく老けて見える。目の下の隈のせいだ、と数秒後に気づく。
「消しゴムなんです。ずっと返しそびれてて……」
言いながら、自分がものすごい間抜けに思えて頬が火照った。
その人は「まあ、あの子が」なんて言いながら、あたしをなかに招き入れた。お線香のにおいがする。ここはまだ喪中なんだと思った。咲耶岬の死の気配がいたるところに充満していて、まだ夕方のはずなのに、ずいぶん暗い場所に思える。
祭壇が設けられていて、遺影のなかで彼女は控えめに微笑んでいた。あのときと同じ微笑み方だった。あたしに消しゴムを貸してくれたときの。
「いい顔してるでしょう」
遺影を見ていたあたしにその人がそう言って、あたしはうなずくことしかできなかった。もっと他に言うべきことが色々あっていいはずなのに。
お鈴を鳴らして、ぎこちなく焼香する。あたしと同い年の女の子が死んだ事実をうまく受けとめられなかった。きっとこの人にとっても、それは同じなんだろう。
「生前の日記が出てきてね、岬の。あんまり見ちゃいけないものなんだろうけど、岬が忘れられると思うと、なんだか寂しくて」
その人はそう言って、一冊のノートをあたしに差しだした。
「岬、好きな男の子がいたみたいなの。そんな子いるなんて全然知らなくて、その子と出かけた日にいなくなってしまった」
いなくなった、というのは死を意味していた。好きな男の子。咲耶岬も恋をしていたんだろうか。そう思うと、胃の辺りがキュッとしぼむようだった。
「フリースクールも行かなくなって、毎日どうしてるんだろうと思っていたけど、通信制の高校に行きたいって、頑張り始めてたところだったのに……」
その人は、そうあたしに語りかける。あたしを娘の友達だと思っているんだろう。今だけは、この人のためにそうありたいと思った。
「できれば、その男の子にもこの日記を見せたいけれど……カケルくんって男の子、あなた知ってるかしら?」
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