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◆
(もうこの夢を終わらせよう)
そう思った瞬間、ひとつの影が立ちはだかった。その顔はよく知っていた。まるで鏡に映したように、僕にそっくりだったから。彼を見た瞬間、彼のことがまるで手に取るように分かった。彼は僕を眠らせていた、もうひとりの僕だった。僕はずっとここで、覚めない夢を見ていたのだ。彼女と出会い直す夢を。
「そっちに行くのはだめだよ」
もうひとりの僕が言う。
かなしそうな目をしていた。あまりにも悄然として見えて、思わず目を逸らしたくなる。
自分とそっくりな顔なんて、見てて気持ちいいものじゃない。
「目覚めたら、もう二度と彼女には会えない」
その感情は知っていた。
だから、記憶に蓋をしたのだ。
くり返し夢をみるうちに、僕は彼女の名前も思いだせなくなったのに。
滑稽だな。そう思った。
でも、その気持ちを上回るほどのかなしみが渦巻いてるのも分かっていた。僕は現実から逃げることを選んだのだ。どうしても、彼女の死を受け入れることができなかった。
これからだったのに。これから彼女の人生は始まるはずだったのに。どれだだけ困難なことがあっても、支えるつもりだったのに。
僕はそんな世界を呪った。彼女のいない世界なんて消えてしまえばいいと思った。でも、もちろんそんなこと誰にもできるはずがない。僕は初めて消えたいと思った。そんなことを願えば彼女が悲しむのも分かってた。
僕は僕を眠らせて、もういない彼女の幻影をずっと追い続けていた。たとえどれだけ似ていても、夢のなかで接する彼女は本物の彼女じゃありえなかった。彼女にまつわるエピソードは少しずつ改ざんされていって、いつか本当の彼女さえ思いだせなくなるだろう。覚めない夢のなかで、何度出会い直せるとしても。
(だから、これを最後の夢にしようと思ったんだ)
「目覚めなきゃいけないことくらい、君も分かっているんだろう?」
そう言うと、もうひとりの僕はかなしそうな顔をした。正論なんてこれっぽっちも聞き入れたくないのだろう。
僕は夢のなかでずっと、この瞬間が永遠に続けばいいと思っていた。今もそれは変わらない。そして夢をくり返すたびに、僕のなかの何かが失われていくのだろう。いずれ歪みはふくらんで、取り返しがつかなくなる。それを充分分かった上で、この夢のなかにずっといたいと願う僕がいる。
現実に向きあおうとする僕と、夢のなかにいたい僕。それはコインの裏表のように切り離せないものだった。その葛藤を知っていた。そして、だからこそ、前に進まなければいけないことも。
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