第一話 サイダーを分けあって飲む金曜日 君の名前を僕は知らない

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◇  なんで、こんな事態になってしまっているんだろう。手渡されたサイダーは、ほんの少しぬるかった。 「購買で昼に買ったんだけど、そのとき飲む暇がなくて、鞄に入れたまま忘れてた」という旨の説明を聞いても、まだ私は混乱していた。    なんで、この人と一緒にサイダーを飲んでいるんだろう、と。  そんなものを手渡されて、飲んでしまう私も私だ。サイダーは懐かしい瓶の形で、なかにビー玉が入っている。新手のナンパか、暇つぶしか。なんかどちらも違う気がした。たまたま私がそこにいて、目に入ったに過ぎないから。ただそれだけのような気がした。  昼間にフラフラしていると、ときどき変な人に話しかけられることはある。いくら髪を短くしても、帽子を目深に被っていても、もともと童顔で小柄のせいか女子だと分かってしまうのだ。少しでも危険を感じたら、ダッシュで逃げることにしている。それか早足で歩き去る。現にきのうはそうしていた。今日はなぜか、不思議と立ち去る気になれなかった。サイダーにつられたみたいでくやしい。透明な泡がいくつも瓶底から立ちのぼる。ずっと眺めていたい青。海よりこっちの方がずっときれいだ、と思った。 「いつもこの辺を歩いてるの?」  歩きながら彼が聞く。さっきから質問ばかりだ。くすぶっている警戒心がまたむくりと顔をだす。私は途端におかしくなる。海を見ながら消えたいって思っていたはずなのに。 「うん」と私はうなずいた。他にも何か言葉を加えた方がいいのか迷う。まるで会話の仕方を忘れてしまったみたいだ。実際忘れているのかも。ほとんど引きこもってるし、外にでるのは図書館だけという日々が一年以上続いている。あらためて私は、これはナンパのはずがないと思った。もしそうなら、もっと可愛い子を探すだろう。もしかしたら私は、迷子だと思われてるのかもしれない。いや、それですらないかもしれない。これはただの暇つぶしだ。それくらいの距離感が、今の私にはちょうどよかった。住宅街のはざまを、ぬるい風が吹き抜ける。今日は曇っているせいか、いつもよりも涼しかった。あくまでほんの少しだけ。  彼はもう私に何も質問しなかった。私があまりにも無口だから、それ以上会話の糸口を見つけることができないみたいに。ふと、このままどこか遠くへ歩いていきたい、と思う。どこへも行けないと分かっていても。 「これ、だいぶ飲んじゃった」  ずいぶん迷ったすえ、私はそうつぶやいた。彼はサイダーのことなんて、忘れているみたいだった。彼は無言で空に近い瓶を受けとって、 「じゃあ、またね」  と私に告げた。そこが別れ道だった。きっと彼は学校から帰宅する途中だったのだろう。それで、たまたま私を見かけた。それだけに過ぎなかったのだ。そのまま何事もなく歩き去ってく彼を見つめて、私はなんとなくホッとした。サイダーのぬるい甘さが喉の奥に残っていた。私は口のなかで、小さく「うん」とうなずいた。
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