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事故の瞬間、ボクは世界が止まって見えた気がした。長く尾をひくブレーキの音。遅れて彼女の甲高い悲鳴。
取り返しのつかないことが起きたことだけは分かっていた。八月三十日だった。ひとりの女の子が、この世から消えてしまったのは。
起きたら全身にびっしょりと汗をかいていて、タイマーにした冷房がとっくに切れたのだと気づく。また、あの夢だった。ゆるく首を振って、サイドテーブルにおかれていたぬるいミネラルウォーターを飲む。何も味がしなかった。でも、それはいつものことだ。
一年前の夏――咲耶岬という女の子が死んでから、ボクは何を食べても味を感じることができなかった。これは罰だと分かっていた。たぶん、一生消えない罰。ボクが見殺しにしたのは、当時のボクと同じ、十六歳の少女だった。こめかみに鈍く痛みが走る。頭痛がするのもいつものこと。重い体をひきずるように、洗面所で顔を洗う。すでに日は高く昇っていて、暴力的に強い光が部屋を照らしだしている。デジタル式の時計を見る。7月30日。今日は月命日だった。どれだけ体調が悪くても、その日はお墓参りに行くと自分で決めていた。
墓地はそんなに遠くない。徒歩で三十分くらいだ。お墓参りといっても、特別何かするわけじゃない。ボクに花を手向けられても、彼女は迷惑に違いない。これはただの自己満足で、罪滅ぼしにもならない習慣のようなものだった。墓前で手を合わせるたびに、自分の犯した過ちが大きくなっていく気がする。これは、忘れないための儀式だ。何よりボク自身のための。
身支度して家をでる。いつかの日と同じように、セミがうるさく鳴いていた。消えた命は戻らない。当たり前のことなのに、その事実だけが何度も胸をえぐるようだった。
いつもの墓地にたどりつく。
一番奥が彼女の眠っている墓だった。僕は無言で目を閉じる。何も言葉は浮かばない。虚無感が胸をむしばんで、それ自身もボクが生んだ罪悪に過ぎなかった。
――と、いつのまにか背後に知らない人が立っていて、ボクは少し身を引いた。
(この子もお墓参りだろうか)
そう思ってる暇もなく、
「あの……渡谷くんですか?」
明確な意志の宿った瞳。
その少女はなぜか、ボクの名前を知っていた。
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