キスのひ(レギオン、主)

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キスのひ(レギオン、主)

 美味いかと尋ねると、主はいつも「はい」と首肯く。  けれど偶にあいつは、とても食えたものじゃない渋い果実やまだ冷めてない鍋の中身、腐ったものでも口に入れてしまう。  本当に美味いと思っているのだろうか。  俺は神の息子の帝国(ティオスヒュイ)の貧民街で育ち、身寄りのない餓鬼どうしでつるんでいた孤児だった。  それが今では、人よりも早く老いて死に、また生き返る事を繰り返す不死の身体になって数年。どうにか折り合いを付けて、呪いの王と言われた痩せっぽちの、男だか女だかわからない面をした奴を(あるじ)と呼んで共に暮らしている。  呪いの王なんて言うとまるで魔王か何かのように聞こえるが、こいつは御伽噺に出てくるようなわかりやすい怪物には程遠い。  魔法で街を燃やす事もできなければ、人間を切り裂く爪もない。ぽかぽか殴る腕だって細っこくて子供と大して変わりやしねえ。  だがこいつの身体は呪いで染まり切っていて、おまけに死ぬことも出来ない。  一体何時から生きているのか、前に尋ねたが「ずっとずっと昔」としか言わなかった。眼の前の山の向こうを見たこともないと言っていた。  (あるじ)の、呪いの王の『呪い』ってのは何だ。  呪いと言えば、世界の魔力が人間の悪意と組み合わさって生まれる最も簡単に使われる闇の魔法の別名だ。  だけど簡単なのに誰も使わない。何故なら他の四つの魔法と違って効果が弱い。少し風邪を引きやすくなるとか、鳥の糞をひっかけさせるぐらいのことしか出来ねえなんていわれている。  ろくに効きやしないのに名前だけが残っている。  其れが闇の魔法、呪い。  それなのに(あるじ)を苦しめるものも、その血肉に触れた俺達に降り掛かったものも、呪いというには強すぎる。  (あるじ)にだけとてつもなく古くて強い呪いが掛かってるんだろうか。なぜそいつは、こんな弱っちくて一人ぼっちの人間を苦しめようと思ったのか。  捕まえた三羽の兎を捌いて、火で炙る。飯を食う必要があるのは俺だけで、傍から見たら二人分の食料も全て俺の腹に収まる予定だ。俺が飯の用意をしていると、主は傍に寄ってきてじっと火や俺の手元を見ている。  食べるかと聞くと「一口くれますか」といつも返ってくるから分ける。  そして、美味いかと尋ねると首肯く。  正直、すこし食べづらい。餓鬼の頃は、食い物は早い者勝ちが当たり前で、いつも腹が減っていた。主の素振りはそんな餓鬼同士で群れてた頃を思い出す。 「なあ」  肉に火が通るまでの間、横を見れば赤い炎に(あるじ)の糖蜜色の肌が照らされている。 「食べない、でも、死なねえな? あんたは」 「…? はい」 「……腹も、減らねえ?」 (あるじ)は無言で頷いた。そして、眉尾を下げて不安そうな声とともに尋ね返された。 「食べては……いけませんか?」 「あ?」  何でそうなる、と思って見ると、ぴく、と薄い肩が跳ねて(あるじ)の視線は俺から逃げる。睨んじまったかもしれねえと思って、俺も視線を火へと戻す。 「あのね……(おれ)、レギオンが……食べているのが嬉しいんです」 「……何? 俺が食べるの、嬉しい?」 まるで言い訳を考えるかのようにしどろもどろに続ける言葉を聞いて首を傾げた。  自分は腹が減らないのに、なんで他人が飯食ってるのが嬉しいんだ? 昔の奴の価値観なのか、こいつだけがそうなのか。 「(おれ)は……食べても嬉しくなりません」  腹も肩もうすっぺらい。尻も小さい。その体を隣に抱き寄せながら意味を探る。 「お腹が減る時は、呪いで飢えているとき。だから、吐くまで食べても飲んでも、苦しい……だから――(おれ)が食べるのは楽しくない時なんです」 「……」  薪がパチッと爆ぜる。  火の粉が上へと舞い上がって光を失う。 「だけどレギオンは違う。そんなあなたが食べてるのを見るのは楽しい。……だから、(おれ)も真似したいんです」 「真似……っつか。……なんだ」  時々妙なものを食べていたのすらこいつは呪いのせいで、本当は腹も減らないから食べなくてもよくて。ならば主は。 「今まで……飯食ったことなかったのか?」 「他の人みたいな食事は無くて、それに食べたいと思った時は呪いのせいで吐くまで食べるから――次からは止め、って」  たしかに理に適ってはいる。盲人に絵を見せても見えない。聾唖に歌を聞かせても聞こえない。  しかし本人が絵を描き、歌を歌いたいと言ったなら話は別じゃねえのか。  眼の前では串焼きにした兎から脂がにじみ、焦げと照りを魅せ立ち上る香ばしさが腹の虫を刺激する。串を手に取って火から遠ざけて熱を冷ます。 「味は……わかる、か?」 「……アジ?」 「甘いとか、酸っぱいとか…しょっぱいとか、苦いとか」 どの言葉にも反応はない。  俺が言葉を間違えただろうかと不安になる。いや、このあたりは古代人の言葉を知っていた母に習った単語だから、間違いはない筈だ。たとえ相手が母よりも何世代も前から生きている正真正銘の古代人で、今ではその言葉は失われてたとしても。 「おいしい、うまいとは違うもの?」 改めて訊ねられると返答に詰まるが、何か(あるじ)と俺の間で食い違っているのは明らかだった。  俺が考え込んでいると、また主は俺の反応を伺うように話し出す。 「(おれ)は、他の人と違うから……他の人がわかることでも、(おれ)にはわからないことがたくさんあるから。食べ物のことも、レギオンの方が沢山知ってるでしょう」 「あんた……もしかして」  わからねえから、考えないで俺の言葉を肯定していたのか。こいつは。 「いままでわかンねえのに、美味いかって聞かれてハイっ()ってたのかよ」 「あ……――う…はい…」 「っ……――」  何もしていないのにドッと疲れが込み上げる。頭を抑えながら隣を見ると、紫色の目が不思議そうに瞬いていた。 「レギオン?」 その手が俺の腰布を掴んでいた。 「もう、ウマイって言わないほうが…いい?」 「そ――……れは」  手前は今、何を期待した。こいつが嘘をついてたと認めて、頭を下げることを期待しなかったか。 「…(おれ)、レギオンを……困らせてる……」  そんな俺の考えばかりこいつは見抜く。  頭に上りかけた血を落ち着けるように深呼吸して、首を横に振った。 「……今度からは、美味いもんしか食わせねえよ。アンタには」  焼けた兎の串焼きを一口齧る。火の通りも塩梅もいい。そうだ、たとえ味覚がマトモじゃなかったとしても、(あるじ)は俺が飯を食ってるのが嬉しいんなら、俺の感じたものをそのまま教えてやれば良い。 「もう困らない。アンタは心配すんな」  もう一口、齧った肉をよく噛んでから主の顎を掴む。 「口開けろ」 何の疑いもなく口を開く。春先にやってくる渡り鳥のひよっこみてえな。  唇を重ねて、口の中の肉を移して顔を引く。 「うさぎの肉。美味いな」  もっと説明しやすいもんを食わせてやればよかったが、今日の飯はこれだから仕方ねえし。美味いものは美味いって覚えときゃいい。 「……はい!」  俺の開き直りが伝わったんだろうか。主が笑って頷いた。  俺の美味いは、こいつにとっても美味いに。  だけど一番美味いのは、口移しの時に触れる柔らかい唇と、熱い舌だとは、言えねえ。
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