こどものひ(主)

1/1
1人が本棚に入れています
本棚に追加
/2ページ

こどものひ(主)

 神の声を聞く国(ティオスヒュイ)の冬が明け、芽吹いた緑が豊かに茂る頃一年で最初の祭事が続く時期が来る。  糖蜜色の肌をした人々は、その年に芽吹いた草を摘み作った緑の色がついた生菓子に果物を用意し、神に子供の無事の成長と大成を祈る。神事ほどの盛大な儀式は行われず、王族も含めた民が皆楽しみにしているさやかな祭事だ。  藍瞳王イロイアの子らはこの日のために作られる菓子が特別に好きだし、甘味は大人も癒やす。  その日、王妃の膝の上で大きな口を開けて菓子にかぶりつき、甘い茶を飲む末の子。上の二人は蜜を入れていない茶を飲めるようになって、王も周囲も成長を感じ取り喜んだ。 「……二つ、取っておくことはできるか」  その王が給仕の長を呼び、言いつけた。 「はい、どれにいたしましょうか陛下」  森の木々に青々と茂る木の葉を模した緑の生菓子。王がそれを示し、二本指を立てると給仕の長が取り分け皮の様に大きな濃い緑の葉に包んだ。  子らが食べている祭事の生菓子も、ほんの一代前の王族の子は口にする前に命を落とすことが多かった。前王、つまり藍瞳王の両親の長男もまだ一人で歩き出すより前に命を奪われた。  今、子等の成長を喜ぶ幸福が有るのはある特異な存在によって幼い王族たちを脅かしていた危機が大いに抑えられるようになったからである。 「後ほど部屋にお持ちすればよろしゅうございますか」 「いや、明日出る時に持っていく。冷やしておいてくれ」 「……それは」 「――明後日なら傷まないだろう」  給仕の長はゆっくりと、しかし主の意図する所を理解して難色を示した。 「…おそらくは。……ですが傷んだものを口にしたとて、あれは」 「口を慎め。形代の王は人の世の守護者だ」  明日から大地の背骨と呼ばれる西の鉱山連峰を迂回して藍瞳王は神殿へ封じられた兄の元へ尋ねに行くつもりだった。 「しかし、子供ではありませんしこの様な祭り、形代の王には無縁のものかと」  王とは、守護者とは名ばかりの人柱。すべての呪いの犠牲を引き受ける者。 「無縁だからといって食べていけないという事もない」  犠牲もそれが恒常化すれば、その苦しみは軽んじられ染み付いた穢れは蔑まれる。  この世にただ一人永遠の生という神からの祝福を授かった赤子。 「兄上は……形代の王などという者の前に人間だ」  今ではこの世すべての妬み嫉みが齎す災厄の身代わりの青年。身代わりであるが故に名もつけられず、遠き西の果ての神殿に静かに生きる其の者は、王の双子の兄であった。  翌日から、王は従者護衛とともに馬を駆り西へ向かう。  北の街では今年も海の幸豊富で波も程よく安定し、山の麓では湧き水を使った農業と質の良い紙や染物を職とする人々が暮らす。その町や村を丸一日かけて足の早い馬で駆け抜け、翌朝より森へと向かい、一行は日の陰る中を魔法で照らしながらめったに人が通らぬ狭い道を馬で進んだ。 「先王の決めたこととはいえ、毎度この道は通るたびに骨が折れる」 殿の護衛が不満を漏らす。王は列の中程に並び進むのだから、そこまで声は届かぬだろう。右から左から木の枝が半端な高さに伸びて、一段は手で払いながら往くしかない。  神殿を建てたと同時に人の出入りを制限したために、森は年々鬱蒼とし歩きにくくて仕方なかった。 「致し方ありますまい。族は勿論ですが、安易に民がアレに近づいて何かあっては困る」 「しかし先王の頃には考えられませんでしたな」  藍瞳王イロイアが王位を継いだのは数年前。先代の王は自分の息子でありながら形代の王を嫌い、或いはおそれてほとんど接触をしなかった。 「陛下が行かなくとも今更あれは何も変わらないというのに」 城下を歩くのとは訳が違う。大地の背骨と呼ばれる南北に走る鉱山の連峰は、山越えが困難な切り立った崖が西側に集中し北端か南端を迂回せねば形代の王の神殿へたどり着けない。  それだけ時間も手間もかけて、ただ其処に居るだけの穢らわしい者へ会いに行く。 「付き合わされる身にもなっていただきたい」 「うちの家内もこの任務から帰ってくるといつも水をぶっかけられるよ」 「火をつけられなくてよかったなぁ」 「しかし、神官共もこんな所でよくもまぁ」 「何だお前、知らないのか……」 耳に届く後方の雑談を無視して、王はやがて開けた泉の傍へと出た。あたりにはまだ大きな木が少なく、真っ白い平らに加工された石が地面に敷き詰められ、同じく白い石材で作られた装飾のない柩のような神殿が現れた。 「お待ち申し上げておりました藍瞳王、イロイア陛下。しかし形代の王はお加減が優れず……」  石の神殿の前で、出迎えた神官たちに王は堂々と門前払いされそうになった。 「ならば尚の事、会わないわけにはいかん。私一人で良い、お前たちは控えていろ」  前の神官たちも、後ろに控えた従者や武官も僅かにざわめく。王が馬から下り、小さな包みを提げ石畳を進んだ。  見上げる神官を紫の瞳で射抜き、横を素通りして足早に神殿内へ向かう。  門前払いしようとした理由に大方予想はついている。故に色イアは爪が食い込むほどに拳を握りしめた。 「陛下……」 「部屋は前と変わらぬか」 「おっ…お待ち下さい、イロイア陛下」  腑抜けた神官を無視して、光魔法の明かり共に王は大股で裾を捌きながら先へ進む。 「陛下も物好きな……」 「やはりあれはもはや魔性のものなのでは」  背後でひそひそと悪し様に言う従者たちの声を振り切り、イロイアは進んだ。  王の来訪に神殿に詰める神官たちは傅き道を開ける。薄暗い神殿内にも目が慣れれば光魔法は途中で無用のものとなった。  漂う空気は外よりも一段冷たく、入ってきた入り口から奥へ向かって風が流れる。  森の緑のにおいに神殿内の重く甘ったるい香と、隠しきれない血の匂いが混ざり合い奥に進むに連れて濃くなっていった。 「……ッ……う…ぐ……ふ…」  僅かなうめき声が、薄い靄の掛かった神殿の奥から漏れ聞こえて、歩みが早まる。  やがてイロイアが足止めた部屋の入口には、ぽぅ…と床に描かれた白い魔法陣から光が放射しそれが内と外を分ける柵を作っていた。 「陛下、陛下! お待ち下さいどうか」 あとから追いついた小柄な神官がイロイアを追い越し境界線を超え、窓に立てかけていた木戸を外す。すると入り口から来る風が淀んだ空気を吹き流していった。 「――……」  差し込む光の中に照らされる、石の寝台に横たわる一人の青年。その周りで一人の神官が天井を仰いで譫言を呟いている。  明らかに素面ではない神官を引っ叩くも意識は朦朧としたまま立ち上がれない彼を苦々しくにらみながら、イロイアは兄の元へと歩みを進めた。 「あ゙……か……は……ぁッ」  眼の前で青年の眼球を食い破って、黒い蜈蚣(むかで)が這い出した。 「――‼ 兄上…!」 人が生む妬み嫉みは世界に満ちる魔力と混ざり合い、呪いとなって他人を傷付ける。人が最も最初に、そして唯一自力で編み出してしまった魔法。  しかし、今やそれによって傷つくのはただ一人。形代の王だけである。神官たちは時折形代の王の身体を食い破る穢れを焼き払い、その身に穢れが収まりきらないとなれば全身を焼き清める。最も、その役目を先程の酔い潰れた神官が果たしていたのかは怪しい。 「焼け」  紫の瞳による一睨みで穢れの蟲はあっけなく火に包まれ灰になり散った。その下では、顔を血に汚した形代の王が、にちにち…と音を立てて喰い破られた筈のまぶたも、眼球も自ずから元通りに再生修復されていったのだった。 「あ……ぅ…」  糖蜜色の肌に白銀の髪。水晶のように澄んだ紫色の瞳。藍瞳王イロイアと血を分けた双子の兄は、たしかに同じ色の瞳と髪を持ってはいたが、その年の頃は既に五歳は離れて見えた。 「兄上、お着替えが未だでしたか」 「…いろ…いあ……」  兄の手には乾いた血がついていた。服は赤黒く染まりボソボソと固まっていた。そして形代の王の視線もまた、ゆらゆらと定まらずに彼方此方を彷徨う。 「はい。……今日は土産を持ってまいりました」  此の様な責め苦を和らげるための苦肉の策は、同時に此処に赴く神官が外界へ帰ることを忘れる甘い罠にもなっていた。 「おれ……あの…ね……」 「はい、兄上」  形代の王は宙に向かって微笑みを向ける。火照って艶をもった頬に、うるんで半ば夢見心地の表情。時折漏れる吐息が、聞き様によってはひどくなまめかしい熱を孕んでいる。  この神殿に焚かれた香は、煙を吸うものの思考を鈍らせる強い薬効があった。 「みんなを……まもり…ます……から……」 「……はい…兄上」  西の森の神殿には、人が産む業を一身に受ける不老不死の青年がいる。薬に思考を奪われ、自分の存在が世界を守るものだと信じている。  彼は糖蜜色の肌の人々が、渡来した白い肌の人々に滅ぼされてしまった後も、たとえ同じ血を継ぐものが消えて誰からも忘れ去られてしまっても、すべての人の幸せな生を祈りながら生きている。
/2ページ

最初のコメントを投稿しよう!