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そう言って財布の中から千インドルピーを取り出し手渡した。男の掌に収め、手をぎゅっと閉じる。くしゃっと紙の丸まる音がした。男は困惑の表情になる。ダスラの行動原理が理解できないでいるのだ。
「俺はダスラ。お前は?」
「……アンシュ」
ダスラの声色は落ち着いていて優しく、侮蔑を含んでいなかった。それが何故だか不思議なことのように感じられ、その結果素直に名乗ろうという気が起きた。上位カーストでありながら対等に話そうとするダスラの振る舞いは、それだけで珍妙なことともいえた。
ダスラが事情を聞いたところ、アンシュの元にはシュードラ(隷属民)である孤児たちが身を寄せているらしい。親を失った者、売られた先から逃げて来た者、あるいは不具を抱えた者。ダスラは真偽を見定めるためと言い(本当は好奇心が勝っているのだが)、スラム街にあるアンシュの家についてゆく。余所者に警戒した少年少女の眼差しがダスラを捉えた。何人かの手にはナイフが握られていた。
「お前ら、客人だ。手は出すなよ」
アンシュは今にも崩れそうなトタン造りの家に入る。木板を二つの切り株に乗せただけの質素な長椅子を指差した。そこに座れという意味らしい。ダスラが腰を下ろすと椅子がぎしりと鳴いた。
「まあ、見ての通りだ。神が見捨てた身寄りのない連中がここにはたんといる。あんたには理解できっこないだろうが、皆、捨てられたゴミを漁って生きている。常に死と隣り合わせだ。栄養失調、熱中症、それに感染症。無論、売春のなれの果ても含めてな」
部屋の隅に集う少年少女に目をやり、眉間に皺を寄せる。
「あんたみたいに神の加護があり人生を約束された人間にはわからないだろう。俺もあいつらも家畜以下の存在だ」
だがダスラは怯むことなくアンシュに反論する。
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