赤いマスカット

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 清水港にて覚醒剤二キロ、中華系マフィアと取引。  梶山宗幸(かじやまむねゆき)が刑事に流した情報だ。宗幸は清水警察署の刑事と密かに連絡を取っている。スパイ、エスと呼ばれる協力者だ。呼び名ほど秘密めいた活動はしていない。東洋会に所属しながら、こうして麻薬密売の情報を伝えるだけだ。  深夜の清水港には、東洋会若頭補佐の白崎歩夢(しろさきあゆむ)、とその部下数人が待機している。十二月下旬、潮風は冷たく、吐く息は白い。  宗幸は港の反対側、広大なコンテナ置き場へ視線を飛ばした。目視で確認できる位置に警察はいないが、奴らは確実にこの近くに待機している。 「どうした?」  白崎が瞬時に反応した。三十二歳。桁違いの上納金によって異例の出世を果たした若手ホープだ。ヤクザ独特の油臭さがなく、清潔感があり、長めの前髪が風にさわさわと揺れている。薄い眉の下には鋭敏な切長の目があり、それが唯一、彼が裏社会の人間であることを物語っている。 「デカが来ています、おそらく」  宗幸は言うなり、素早く視線を、その場にいる部下へ走らせた。そのうちの一人に視線を止める。 「内通者がいます」  宗幸は男に視線をとめたまま、言った。男の顔が強張る。間違いない。潜入捜査官だ。  宗幸の言わんとすることを察し、側にいた者が男を羽交い締めにした。拳銃を向ける者もいる。 「警察だ」  羽交い締めにされながら、潜入捜査官が白状した。 「おい、下せ。デカなんか殺したら面倒だ」  宗幸が庇うと、潜入捜査官はホッと肩の力を抜いた。  暗い太平洋の先に小さな光が見えた。密輸船だ。白崎はそれを横目で確認すると、「取引中止」とだけ言って、潔く海に背を向け、待機中のベンツへと足を進めた。 「ちくしょうっ!」  部下の一人が、潜入捜査官の鳩尾を蹴った。 「おい!」  宗幸が怒鳴るが、部下は反抗するように舌打ちし、ワゴン車へと駆けていく。他の者も後に続き、船着場には宗幸と潜入捜査官、二人だけが残された。 「あんた、所属は」  うずくまる男に問いかけると、男は緩慢に顔を上げ、怪訝な顔をした。まさか同業者なのではないかと疑っている目だ。 「言えよ。今更隠すことでもないだろ」 「……一課」  宗幸が情報を流したのは組対の刑事だ。やはり警察は愚かだ。組織犯罪対策課、捜査一課、部署は違えど、複合的な捜査の先にはシャブや拳銃の密売といった組織犯罪が必ず絡んでくる。その結果、同じ獲物を知らずに追いかけているということが、警察組織の中ではよくある。厳格な縦社会の彼らには、情報を他部署と共有するという発想がないのだ。  この男は宗幸が「デカが来てます」と発言した瞬間、狼狽した。まさか、という表情だった。まさか、自分の他に、このグループをマークしている刑事がいるなんて……というような。他部署を出し抜こうとせず、情報を共有していれば、そうはならない。宗幸は、そういう警察の体質を嫌悪していた。  宗幸は男の回答に満足し、ベンツへと足を進めた。  運転席に座り、バックミラーで白崎をチラと見る。取引が中止になったと言うのに涼しい顔をしている。きっと他にも、密輸のルートを確保しているのだろう。そうでなくては。 「加藤は誰の紹介だっけ」  発進して間も無く、白崎が言った。加藤、というのは、先の潜入捜査官だ。 「たしか東峰です。あいつも飼い慣らされているかもしれませんね」 「消せ」 「承知しました」  ハンドルを握る手が汗ばんだ。ヤクザは官吏殺しを嫌がるが、それ以外には容赦しない。 「サフランへ。今日はパーっと飲みたい気分だ」  白崎がキャバクラの名を告げ、宗幸はもう一度、バックミラー越しに彼を見た。キャバクラで飲みたいなんて珍しい。顔に出ていないだけで、案外、ショックを受けているのかもしれない。  白崎は目を閉じている。パーツの全てが小作りで、形がいい。目を閉じていれば好青年だ。無警戒な顔を見つめていると、ふいにまぶたが開いた。荒んだ瞳に気圧され、宗幸は慌てて目をそらした。
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