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白崎はシノギの一つとして不動産屋を経営している。この日、白崎は直近の部下らを事務所に集め、密輸の詳細を口頭で伝えた。
「ヤクの仕入れはこれが最後になる。売人にはできるだけ高く売り捌け」
宗幸を含む七名の部下が、一斉に白崎を見た。
「最後、ですか?」
松木凛太という、まだ十代の少年が言った。目つきの悪さが返ってあどけない。
「ああ。円の価値はどん詰まりだ。これ以上海外との取引は割に合わない」
「割に合わないって……こんな良い商売他にありませんよ。ここらじゃ俺らしかやってない」
「そうっすよ。ここでやめたら、せっかくの市場を乗っ取られますよ。今は俺らが独占してるのに」
「上納金はどうするんです。減らすわけにはいかないでしょう」
部下らが口々に質問する。
宗幸は別の思いに囚われていた。最後ということは、そこで取り押さえなければならない。チャンスはその一度きり。次はない。
宗幸は愕然とした。俺は、当然のように次があると信じていた。今度の密輸は見逃すつもりでいた。麻取でありながら、十キロの密輸を見逃そうとしていたのだ。
「浜松に野球場ができるって話がある。まだ表沙汰にはなっていないが、信頼できる筋からの情報だ。坪五万の土地が来年には三十万に化けてくれる」
白崎は次の計画を開陳した。部下からの質問にその都度答えていく。
「その一回限りで終わりませんか。やはり密売の市場は残しておくべきでは」
宗幸の指摘に、部下らがウンウンと首肯する。
しかし佐倉大智という、格闘家上がりの男だけは「お前ら、白崎さんの判断に文句言うのか」と面白くなさそうだった。
「地面で数十億が転がり込んでくるんだ。その金を資金難の企業に貸し付ける。月二分の金利で年間数億の勘定だ」
白崎が答える。
「闇金の真似事ですか。闇金は横田さんのシノギでしょう。安易に参入するべきじゃない」
宗幸が否定すると、白崎は目つきを鋭くした。
「闇金? 品のない言い方をするんじゃない。俺は銀行を通して貸し付けてやるんだ。導入預金だよ」
宗幸は低く唸った。「導入預金」とは銀行と手を組んだ違法行為だ。それが可能なら、薬物売買から手を引くのも頷ける。
宗幸は尊敬の念を抱いた。それを感じ取ったのか、白崎の目つきが和んだ。
「時代が変わってからじゃ遅いんだ。稼げなくなる前にこっちから見切りをつける。殿様商売が立ちいかなくなるのは企業だけの話じゃない。俺たちだって同じだよ。いつまでも同じことをしていたら先がない」
白崎がもっともなことを言う。難しい話ではない。当たり前の感覚だ。しかし公務員にはそれがない。
宗幸の尊敬の念はいっそう高まった。同時に、麻薬取締官という自分の仕事の、柔軟性のなさに嫌気がさした。ヤクザが見切りをつけた市場を摘発して、それによって評価を得ることに意味はあるのか。白崎を裏切ってまですることなのか。
その夜、白崎のマンションで晩飯の支度をしていると、上司から電話がかかってきた。白崎は風呂だ。
上司は進展を聞いてくる。適当に答えていると、上司の声色が変わった。
『まさか、取り込まれちまってねえだろうな?』
ズバリ指摘され、手が汗ばんだ。
「ありえません。相手はヤクザです」風呂場から音がし、「白崎が来ました。失礼します」宗幸は一方的に通話を切った。
紺色のサテンパジャマに身を包んだ白崎が現れた。首にかけたタオルで髪を乾かしながら、キッチンの中までやってくる。宗幸の背後から鍋を覗き込み、「いいね、今日はカレーか」と言って、大きく息を吸い込む。
白崎が味覚障害であることを、宗幸は本人の口から聞いたわけではない。下手なことを聞いて、「じゃあもう作らなくていい」と言われるのが怖かった。
宗幸は香りの良い食事を心がけている。具材はできるだけ小さくし、咀嚼しないで済むよう工夫する。そうするようになってから、白崎はこうして様子を見にくるようになった。
「ああ、そうだ」
白崎が冷蔵庫を開けた。中から、新聞紙に包まれた歪な塊を取り出す。何かあるなと思っていたが、触れないでいたものだ。訝る宗幸に、白崎はイタズラっぽく微笑んだ。
白崎が包みを開くと、鮮やかな緑色が現れた。大粒のマスカットだ。
「え?」
「好きなんだろ」
白崎が得意気に言う。宗幸はカッと顔が熱くなった。
「お前も子供っぽいところがあるんだな。笑いを堪えるのに苦労した」
こっそりマスカットを食ったのを、「大好物だから我慢できなくて」と捉えたのか、この人は。ド級の勘違いだ。すぐにでも訂正したいが、もう少し、白崎の得意げな表情を見ていたい気もする。
「わざわざ、俺のために買ってくれたんですか」
白崎は恥らうように視線をそらした。
「俺も好きだから」
嘘だろう、と喉元まで出かかった言葉を堪え、宗幸は彼を抱きしめた。
「ありがとうございます。すごく嬉しいです」
「そうみたいだな」
この関係を終わらせたくない。宗幸は抱擁を強くした。白崎が「また買ってやるから」と楽しそうに言った。
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