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「真ちゃんは間違いなくソプラニスタなんですけど」
その日は真也の高校卒業の祝いと言う事で、親父の弟夫婦が息子の充希を連れて家に来ていた。そこで音楽教師だという弟嫁の瑞穂さんが残念そうに言う。
息子がソプラニスタとか言われても、うちの両親は特に驚いた様子はない。
「まぁ、結構前から知ってはいたが」
あっさり答えるうちの親父だ。
なんせうちにはプロのピアニストがいる。長女で長男嫁であるカナ姉が以前に言っていたのだ。
『うちの真ちゃんはソプラニスタだと思うわ、声質といい声域といいそうとしか思えない。変声期も無かったみたいだし』
で、俺も調べてみた。ソプラニスタってなんだ?
『ソプラニスタ。イタリア語で「男性ソプラノ歌手」という意味。ソプラノは女性の最も高い声域を指す。男性なのにそんなに高い声で歌える歌手、しかもその高い声を出すのに裏声を駆使するソプラニスタもいるが、日本のソプラニスタ岡本知高の場合は地声で歌えるのだ。』
現在、知られているそのタイプのソプラニスタは世界に4人程だという。
世界で4人…う〜ん
嫌な予感しかしないな。
「うちの長女が言っていたからな」
「お兄さんは真ちゃんのこの才能を伸ばす特別な教育とかお考えありませんか?例えば外国に留学とかも」
コンクールが終わった直後、主催者側の審査員からそういう話があったのは俺も聞いていた。
「それは真也が望めばだ、真也が自分から言い出さない限り俺から何か真也に道を示すことは無い」
「でも真ちゃんはディスレクシアや発達障害があって」
「それでもだ、真也には好きな事ややりたい事が沢山ある。その中から真也が歌を選ぶなら俺達親は全力でサポートするつもりだが、今は本人がそうじゃないからな」
「う〜ん、もったいない」
瑞穂さんがあからさまにがっかりという感じでうなだれた。
「瑞穂、しょうがないだろう。真也くんはお花や野菜を作る人になりたいって言うんだから。いくら君や高等部の先生が真也くんの歌の才能を惜しんでも、本人にとってそれが一番じゃなきゃ話にもならないんだ」
「はぁ…」
カイおじさんの言葉に更にがっかりの瑞希さん。
「真也はうちの家族が喜ぶから歌うだけだからね。ひかりも鷹も真也の歌で大きくなったようなものだし」
じいちゃんが言いながら、充希とひかりと鷹と4人でボードゲームをしている真也達を見守る。
「うちの真也はとても優しいんです、いつだって自分より小さいものを一生懸命に守ろうとする。家族の喜ぶ事を沢山したい本当にいいお兄ちゃんですよ」
じいちゃんっ子の真也だもんな、さすがにじいちゃんは良く知っている。
「真也の子守唄は家族のものだから、それで良いんだよ」
小学校入学を期に、鷹は俺達夫婦と一緒の寝室を卒業して二階の子供部屋フロアに引っ越した。
寝室は真也兄ちゃんと一緒で、勉強部屋はひかりとも一緒の二階フリースペースだ。
俺はもう少し後でも良いかと思っていたのだが、当の鷹が真也達と一緒が良いってさ。
鷹の一番の仲良しである仁科家の樹が一足先に親と一緒の寝室を卒業したとかで、そりゃ張り合うわ。鷹は負けず嫌いだから。
そして真也のおかげで、今はちゃんと子供部屋で寝起きをして勉強も頑張っている。
「やっぱり勿体ないと思ってしまいますよ、それで将来的に食べて行けそうなのに。金の玉子なんですよ真ちゃんは」
弟嫁の瑞穂さんにそう言われても親父はなぁ。
「真也がやりたいと言ったらな」
うちは別に子供達を有名人にしたい訳じゃ無いからね。既に長女は結構な有名人だけど、次女の美音も一部においては未だに知名度がある。
ただ美音は高校の時のあの事件以来、表に出る活動は一切していない。なのに未だに画商からもう絵は描かないのですかとか問い合わせがくる。
一応子供向け絵画教室の先生をしながら水彩画を描き続けてはいる。ただそれを展覧会に応募したり個展を開いたりとかは全くしないから、活動してない様に見えるだけだ。
実際にはかなりの数の未発表作品がこの家のアトリエには飾られている。
美音が俺と家族の為にだけ描いた傑作揃いだ。
そして今の美音はナバホ系の銀細工を造る職人でもある、出雲美音の名前を隠してはいるけどプライベートブランドも持っている。
小さなアトリエで制作したインディアン・ジュエリーは、グリーンカウンティの売店に置かせて貰ったり身内のみの受注生産で細々展開中。知る人ぞ知るっていう活動をしている訳だ。
「それじゃあ真ちゃんはこの春からお兄さんが勤めるグリーンカウンティに就職になるのですか、それは素敵だ」
カイおじさんが俺に酒をついでくれる。おじさんは真也の小学校時代の恩師だが、真也に会うのは久しぶりだった。
「はい、真也は自分が責任者の光触媒の水耕栽培にで作られた野菜の加工に興味がある様なのです。あとは牛羊の酪農もですね、そちらも勉強したいと言っているので真也の他にも今年支援学校を卒業の子達と一緒に教えたいです」
最初からその子達には出来ないと決めつけたくはない。出来ないのなら出来ることを探して行けば良いのだ。
「真也はちゃんと自分の歌の価値を知っていますよ、姉のように慕っている人が今は遠くにいるので、その人に聞かせる為にいつだって練習をしています」
あの時の合唱コンクールが終わった今でも、真也はその歌を朝の畑で歌っている姿をよく見る。それは真也にとってとても大事な事だ。
真也は遙か仙台に向けて、いつも悠里と北の無事を祈って歌っているのだ。
「真ちゃんの歌は祈りの歌だから、僕たちが聴けるだけで十分なんだよ」
カイおじさんはそう言って、慰めるように瑞穂さんの背をそっと撫でた。
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