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学校の多目的室のような場所に、たくさんの人がいた。その人たちは皆、室内に流れる音楽に合わせて踊っている。かく言う私も、その内の一人だった。私は振り付けを知らないため、周りに合わせて適当に踊っている。だが、周りの人たちの踊りも曖昧だ。実は皆、何となく体を動かしているだけなのかもしれない。
踊りが得意ではない私は、ちゃんとしたお手本を見つけたかった。体を動かして周りに紛れながら、室内をウロウロと移動する。私は教室の後ろの方、壁に背を預けるような位置で踊っている、その人を見つけた。
その人は、室内に大勢いる誰とも絡まず、一人で踊っていた。素人の私でも、その踊り方が他の人とは違うことが分かる。音楽に乗って、自然に、自由に。その人の踊りは、気持ちが良かった。私は横目でその人を盗み見ながら、出来る限りマネをして踊った。
縦横に机が並べられた、広い教室。先生が、黒板に向かって何かを書いている。一応は授業中なのだろう。だが、室内は雑然としていた。大人しく授業を聞いている人は、ほとんどいない。私は自分の席に座ってはいるものの、周りの人たちと輪になっていた。
五、六人のお喋りの輪。その輪の中にいるはずの私は、お喋りに参加していない。ただ、その中心にいる、一人の男の子を見ていた。それは他でもない、踊りのお手本にした〈その人〉だった。その人は、女の子と冗談交じりに話していて、私の視線に気づく様子はない。
「ねえ、ちょっと椅子半分貸して。」
体の大きな女の子が、返事を待たずに私の椅子に腰かけた。私たちは半分ずつ椅子に座っている形だが、女の子は輪の中の子たちと仲がいいらしい。もうすっかり、会話に入り込んでしまった。
最初から会話に参加していなかった私は、もうその席には居られなかった。椅子から立ち上がったとき、ふっと上げた視線が、その人とぶつかった。その人もまた、新たな女の子が来たことで、会話からあぶれた瞬間だったらしい。そのときは、輪の中の誰も、その人を見ていなかった。
「あの、あっちに行かない?」
私の言葉に、その人は目を見開いた。その人にとっては、初めて顔を合わせた人からの突然の誘い。戸惑うのも当然だ。だが私には、今を逃してはいけないことが分かった。その人に近寄り、服の裾を少しだけ引っ張る。
「行こ。」
半ば強制的に、その人を輪の中から引っ張り出した。お喋りに夢中の女の子たちは、こちらの動きを目で追うことすらしない。私はその人と、教室の真ん中あたり、空いている席に座った。
「あれ、君たちの席はそこか?」
他の人たちには何も言わない先生が、私たちに声を掛けてくる。騒めきに満ちている室内で、その声に反応した数人が、こちらを見た気がした。
「違います。でも、席が無くなったので。」
答えに窮すると、更に注目を浴びてしまう。咄嗟に、しかし正直に答えた。私の席を奪った女の子が、ピクリと反応したように見える。普通なら、「席に戻れ」と言われそうなところだが、ここでは違った。先生は私の席を見やると、目を伏せる。私の席にいる女の子は、先生でも注意しづらい人だった。
「…そうか。」
先生はもごもごと言うと、再び黒板に向き直った。短いやり取りが終わると、室内の人たちはまた、お喋りに戻っていった。ほっと胸を撫でおろした私は、前後に座ったその人と向かい合う。やっと、二人で話すことが出来る。
「あの…ごめんね、急に。」
「いや、別に…」
その人は、私と目を合わせようとしない。「付いてきたものの、知らないこの人と何を話すんだ?」その表情からは、そんな戸惑いの声が漏れ出ていた。
「この前、皆で踊ったでしょ?そのとき、すごく上手だなと思って…」
〈踊り〉という言葉を出した途端、その人は張っていたバリアを解いた。先ほどまで硬かった表情が嘘のように、親し気なまなざしを向けてくる。
「あのときか。見られてたの、気づかなかった。」
その人は、照れたように言う。印象的な大きくて丸い目が、きゅっと細くなる。その表情を見たとき、私の心にポッと火が灯った。
「私、踊るの得意じゃないから、お手本にさせてもらったんだ。」
「え、そうなの?」
その人の目が、また大きく開く。コロコロと変わる表情が、私の心を撫でていく。
「うん。勝手にごめんね。」
「いいよ。なんか嬉しい。」
綻ばせたその顔は、私の心の奥に到達してしまった。私はもう、この人の顔も、声も、その細かな仕草まで、忘れることは出来ない。
「今度、日本舞踊の発表会があるんだ。」
口が利けなくなってしまった私に代わって、その人は言った。
「日本舞踊も、できるの?」
「うん。着物で踊るんだ。」
「観に行ってもいい?」
「うん。そのつもりで言った。」
その人は、イタズラっぽく笑うのだった。
そのとき、終業のベルが鳴った。それは私たちにとって、しばらくの別れを告げる音だった。ベルをきっかけに、続々と人が立ちあがり、席を離れていく。私はもちろん、その人と別れたくなかった。だがそれでも、戻らなければいけない。
「またね!」
騒がしい室内、その人にちゃんと届くように、出来るだけ大きな声で言った。果たされるかも分からない「またね」なんて、本当は言いたくない。それでも、伝えたかった。私の「また会いたい」を、伝えるために。
「またね。」
その人の「またね」は、自然だった。私のガチガチに感情のこもった「またね」とは、明らかに違う。だからこそ、信じられた。「またね」なんて、ただの挨拶。これから何度でも言い合える「またね」は、軽い。
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