再会

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再会 幼いころに拾った小さなぬいぐるみ。 犬のようにも見えたし、キツネのようにも見えた。 でも、正直言ってどちらでもよかった。どちらにしてもかわいいから、私はすぐにそれを拾って自分のものにした。もしそれが大きなぬいぐるみだったら、持って帰るのが大変だったかもしれない。きっとすぐにお母さんに見つかって、「元の場所に捨ててきなさい」って言われる。私は自分だけの部屋を持っていなかったから、ずっと隠しておくのは、無理だ。お母さんに見つからなくても、弟がすぐに見つけてお母さんに言いつけるに決まっている。 でも、私が拾ったのは手のひらサイズの小さなぬいぐるみだ。これだったら普段は自分の勉強机の引き出しの中にしまって、鍵をかけておけばいい。私は犬のような、キツネのようなぬいぐるみをポケットに押し込んで持って帰った。 しばらくの間は、そのぬいぐるみは誰にも見つからなかったと思う。 弟と同じ部屋で生活していたけれど、あいつは特に何もなければ私の勉強机になんて興味を持たない。だから、例の引き出しにカギを刺したまま放置していても何の問題もなかった。あの時はさすがに焦ってすぐに引き出しの中を確認したけれど、あの犬のようなキツネのようなぬいぐるみは、きちんといつもの場所に収まっていた。 しかし、それを確かめたあとにまたきちんと鍵を閉め直したのがいけなかったのかもしれない。何の関心もなさそうに子ども向けの漫画雑誌を読みながら、弟はちゃっかり私のその様子を見ていたのだ。 「交換日記を隠してるんだろう」  弟はそんなことを言ってきた。きっとクラスの女子たちがしているのだろう。  もしそうだとしても私の交換日記の内容なんて、あんたに関係ないじゃない。  間違いなく関係ないはずなのに、弟はしつこかった。私の交換日記を見たところで楽しい発見など何もないのに、「見せろ、見せろ。交換日記を見せろ。お母さんに言うからな」と食い下がってきた。  今思うと、お母さんだってこんな馬鹿馬鹿しい告げ口を聞いたところで何も思わなかっただろう。しかしその時の私は隠し事をしていたので、告げ口を許すわけにはいかなかった。もしお母さんがこの部屋まで入ってきて、机の中を見せろと言ってきたらあのぬいぐるみが見つかってしまう。犬のような、キツネのような、私の大切なぬいぐるみ。 「うるさいな!交換日記なんか隠してないよ、このバカ!」  言い返す言葉にもつい「バカ」などという余計な単語が入ってしまった。  その後は、なんだか大変だったのを覚えている。弟がムキになって持っていた漫画雑誌を投げつけてきて、それが私の腕に当たった。私は当然怒って弟につかみかかり、弟は暴れて私を蹴って、弟が私を引っ掻いて……。  確か最後は、私が弟の漫画雑誌を破いたのだ。といっても、かなり分厚い雑誌だったからちょっと表紙が破れただけ。中身は問題なく読める。  それでも弟は大泣きした。自分が先に漫画雑誌を投げて雑に扱ったくせに、そこは棚に上げて私が漫画雑誌の表紙を破ったことを泣いて責め立てた。そうこうしているうちに、お母さんが部屋までやってきた。弟は真っ先にお母さんのもとに駆け寄り、「お姉ちゃんが漫画を破った、飛びかかってきた、バカって言った、机の中に交換日記を隠している」と次々と私の罪状を訴えていった。当然、お母さんは私を叱る。  弟のやつは、大事な漫画を破られてショックを受けているはずなのになぜか「机の中に隠した交換日記」のことをしつこく記憶していて、何度も何度もお母さんに訴えていた。 「お姉ちゃんが交換日記を隠すから悪いんだ」  わざとらしいほど涙を流して、弟はお母さんにしがみついている。 「一度見せてあげなさいよ。それでこの子も気が済むでしょう」  お母さんはついにそう言った。どうせ小学生のする交換日記の中身なんて、ほとんどないも同然だと思っているのだろう。これほどまでに弟が執着している交換日記、何でもなかったとわかれば、弟も納得して泣き止むと思ったのだ。 「ないよ。交換日記なんて。だって、誰とも交換日記なんてしてないもん」  これは事実だ。交換日記どころか、自分一人で書いている日記もない。 「ウソだ!お姉ちゃんはウソついてる。交換日記に好きなヤツの名前書いてるくせに。クラスの女がやってたから、僕知ってるもん」  ああ。なんてくだらないのだろう。本当に交換日記なんかしていないし、好きなヤツもいないというのに。どう言えばこいつは納得するのだろうか。もう答えはわかっている。私は「クラスの女」を恨んだ。こいつの前で、くだらないことをしてるんじゃないよ。 「交換日記なんかないところを見せてあげてちょうだい」  手に負えない弟の背中をさすりながら、お母さんが言った。  そのあと私は観念して引き出しを開けた。「ほら、日記なんてないでしょう」と言ってすぐに引き出しを閉めようとしたけれど、弟は目ざとくあのぬいぐるみを見つけてしまった。  そして今度は、「このイヌはいつ買ってもらったのか。おねえちゃんだけズルい」と騒ぎ始めた。さっきまで人に「交換日記に好きなヤツの名前を書いて隠している」という無実の罪を着せていたくせに、もうそんなことは忘れている。  拾ってきたなんて言ったらお母さんが怒ると思ったから、友達からの誕生日プレゼントだということにした。すると今度は、「僕はもらっていない。お姉ちゃんだけズルい」とわめきだした。だから、私の友達からのプレゼントだっつーの。なんであんたがもらえるんだ。って、本当は違うけど。  犬のようなキツネのようなぬいぐるみは、本当にかわいくてお気に入りで、弟なんかに渡したくなかった。でも、もうこれ以上弟に関わりたくなかったから、私はつい、弟に向かってぬいぐるみを放り投げてしまった。  弟はウソのように泣き止み、今度は自分の勉強机の引き出しに犬のようなキツネのようなぬいぐるみをしまった。ご丁寧に鍵までかけた。そして私を振り返って言った。 「この引き出し、勝手に開けるなよ。開けたらお母さんに言うからな!」  それ以来、犬のようなキツネのようなぬいぐるみを見ていない。あんなにかわいかったのに、犬のようなキツネのようなぬいぐるみは、あっさり弟に持っていかれてしまった。  一度だけ弟に聞いてみたことはある。あの子は一体どうしたのよって。中学生になり、どう考えてもぬいぐるみなんてどうだってよくなっているはずなのに、弟は面倒くさそうに私の方を見てこう言った。 「知らねえよ、俺がぬいぐるみなんか持ってるわけねえだろ」  ああ。やっぱりね。そうだと思ったよ。あんなに大騒ぎして手に入れた私のかわいいぬいぐるみ。弟はその存在もあの出来事も、何もかも忘れ去っていた。腹立たしいけれど仕方がない。私だってもう高校生になったのだから、いまさらあの子に執着しているわけじゃない。けれど、もしかしたらと思ったのだ。もしまだ弟が持っているなら、あの子はまた私のところへ帰ってくるかもしれない。あの、犬のようなキツネのようなぬいぐるみ。帰ってきたら、このスクールバッグにぶら下げたかったのに。  私はやっぱり、少し残念な気持ちになった。また会えると思っていたのに、その期待が打ち砕かれたからだ。  ところが。私はあの子とまた再会を果たしたのだ。あの、犬のようなキツネのようなぬいぐるみ。あの頃の私の一番のお気に入りだった子。  その日は、突然やってきた。  学校からの帰り道だった。あの子は突如、私の視界に入り込んだ。スクールバッグにぶら下げられて、ゆらゆら揺れている。知らない女子中学生だったけれど、制服には見覚えがあった。私もついこの間まで、この制服を着ていた。  さらに驚いたのは、その女子中学生の横を、うちの弟が歩いていたことだ。 「げ!姉貴」  もともと生意気だった弟は中学に入ってからますます生意気になって、私を「姉貴」と呼ぶようになった。そしてまたまた生意気なことに、どうやらいつの間にか彼女ができていたらしい。 「お姉さんですかー?」  彼女は自己紹介のあと、弟とは小学校から一緒だから、姉の私のことも校内で見たことがあるというようなことを言った。その話を聞きながらも、私の視線は依然とあの、犬のようなキツネのようなぬいぐるみに注がれていた。  するとその視線に気づいた彼女が、ぬいぐるみを指さして嬉しそうに笑った。 「このぬいぐるみ、小学校のときに弟さんがくれたんですよー」  でも、弟さんと付き合い始めたのは中学校に入る時で……などと、さらに彼女の説明は続く。  私はただぼんやりと彼女を見つめていた。 「おい!姉貴なんかほっといて、もう行くぞ!」  弟は私の顔も見ずに、ずんずんと大股で歩き去っていく。  彼女はまるで、「うちの彼氏がすみません」とでも言いたげな、申し訳なさそうな顔をして私に礼をする。そしてそのまま、弟の後を追いかけていった。  彼女が弟の隣に並ぶ。二人は仲よさげに会話を交わしながら遠ざかっていった。わたしはただ彼女が見えなくなるまであの、犬のようなキツネのようなぬいぐるみを見ていた。 「ははーん」  私は思い出す。弟が、私に交換日記を見せろと大騒ぎしていたことを。「クラスの女が好きなヤツの名前を書いていた」と大騒ぎしていた、あのチビで生意気な弟の姿。 「また、会えたね」  私は、すでに見えなくなった彼女のスクールバッグで揺れていたあのぬいぐるみと、彼女の背中に向かって呟いてみた。
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