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わたしは渋々リビングへ足を運ぶ。一切の人の声がない。テレビの中でアナウンサーが淡々とニュースを読み上げているだけだ。すぐ隣のキッチンからは皓々と明かりがこぼれていて眩しい。その下で黙々と夕飯の支度をする母との温度差があまりにも大きかった。
リビングから母の顔色を窺う。影が差していて、怒っているのか悲しんでいるのか判らなかった。
「ねえ、お母さん」
手を洗う母に声をかける。しかし返事はせず、奥へ引っ込んでしまった。ああ、だから母と顔を合わせるのが嫌だったのだ。
先ほどの喧嘩の全てを聞いたわけではないけれど、母と姉はお互いに大事なことを言わないままでいる気がする。
「お姉ちゃん、家出てっちゃったけど、追いかけなくていいの?」
わたしはめげずに会話を続けた。奥からトントントン、とまな板を叩く音が聞こえる。母は自分の世界に没入したのだろう。こんなときに姉の捜索より夕飯の準備を優先させるなんて、どうかしている。母の嫌な面が蘇ってきて、顔をしかめた。
「代わりにわたしが捜してこようか?」
わたしの提案にも、母は頷くことも首を振ることもしなかった。ただロボットのように、それが決められたことであるように、具材をボウルに入れてかき混ぜた。
ただじっと母の手を見る。手際のよさには隙がなく、周囲を寄せ付けない雰囲気があった。
液体で満たされたフライパンに具材をひと塊落とした。ジュウウ、と軽快な音と小さな泡が弾ける。香ばしい匂いが漂ってきた。
『少女が行方不明になって五年が経ちました』
テレビの中のニュースが切り替わり、アナウンサーの口調が心なしか重々しくなった。一瞥すると、画面に映るその人の沈痛な表情が見えた。
『いまだに有効な手がかりがないまま、捜索が続けられています』
わたしははっとして母に視線を戻した。彼女は手を止めてボウルの中の具材を見下ろしている。涙こそ流していないものの、口元が歪められていた。
──そうだよね、本当は放っておけるはずがないよね。
今でも、この世界のどこかで行方不明となった誰かがいる。そんな世界に、危険な大海原に、彼女を一人放り出したままにするわけにはいかないのだ。
「うん、わかったよ。じゃあ、行ってくるね」
母と姉を繋ぐことができるのは、きっとわたししかいない。そんな使命感を胸に、玄関のドアを開けた。
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