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13 虎穴に入らざれば虎子を得ず?
や、やばっ!
私は、起き上がろうとするラウーラさんを押し留めて、自分も慌てて身をすくめた。
「ラウーラさん、じっとしてくださいっ!」
私は小声ながらも鋭い口調で言った。
「どうしたのよ?」
驚いたラウーラさんが小声で訊いてきた。
「私たち、見つかったかも知れません。」
私は震える声で言った。
気が付けば、私の鼓動は早くなり、着ている服の上からも分かるくらいだった。
「本当?」
ラウーラさんは、顔を上げて、畑の方を見ようとした。
「ダメですっ!じっとしてて下さい。」
「……う、うん。」
私は、木立の陰から、畑で作業している人たちの一挙手一投足を観察していた。
すると、私の方を振り向いた男性が、他の人に二言三言声を掛けると、私たちが隠れている林の方向に真っ直ぐ歩き始めた。
げっ!うそでしょっ!?
私は、少し後ずさりした。
「……ったく、あの男、こっちに来てんじゃないの?」
ラウーラさんが切れ気味になって迷惑そうに言った。
こんな所で切れている場合じゃないですよ。
「早く車に戻りましょう!」
私は、ラウーラさんの太い腕を両手で握って、引っ張って行こうとした。
「あ、ちょっと待って。」
「そんな時間はありません。」
「違うのよ。見て、あの男。」
「な、何です?」
焦っている私は、少しだけイラッとして言った。
「こっちには来ないわよ、あの男。」
「えっ?」
私が再び畑の方に目を移すと、その男性は林の手前で直立不動の姿勢で立っていた。
何してるの?
男が突っ立ったまま何をしているのか、すぐには分からなかった。
あっ……ようやく理解できた。
男は木立に向かって用を足しているようだった。
理解した瞬間、私は、自分の顔が、火が付いたように赤面していることが、鏡を見なくても分かった。
ラウーラさんは、男の行動を理解した私の反応を見て、楽しそうに笑った。
「ね、来ないでしょ?用を足しているだけよ。私たちに気付いていないわ。」
「そうですね……でも、そんなにおかしいですか?」
私は大袈裟に頬を膨らませた。
「ゴメン、ゴメン。
YUKIちゃん、意外とウブだなって思っちゃって。」
「どうせ子供っぽいですよ。」
「うそ、うそ。冗談。
それより、あの男たち、春先に作物を植える準備でもしているのかしら?」
ラウーラさんは、はぐらかした。
「まさか、本当にあの畑でケシの実を栽培しているんじゃないわよね……」
「……ですかね。私には何とも……
とにかく、見つからないうちに車に戻りましょう。」
「そうね。転んで服が汚れちゃったわ。」
私たちは気づかれないように来た道を戻った。
戻っている途中、畑の方を振り返ると、男性たちは何事もなかったかのように黙々と農作業を続けていた。
私たちは、急ぎ足で車に戻ると、シートにどっかと腰を下ろした。
大したことはしていないのに、凄い疲労感……
さて、これからどうしよう?
……て、いうか、ラウーラさんはどうする気だろう?
「ラウーラさん、どうします?これから。」
「そうねぇ……あそこで農作業していたから、アパートはもぬけの殻だったのよね?」
「そうかも知れないですね。
あの人たち、みんなヤンガンから来た技能実習生なんでしょうか?
……それとも、ストリートギャング?」
「やっていることは農作業だから実習生みたいだけど、人って裏で何やっているか分からないからね。
職業柄、私たち、そんな人たちを色々と見てきたでしょ?」
「はい。そうですね。
ミンはどこにいるんだろう?下仁田にはいないのかな……」
「ここにいないと、行くところがないわ。あとは北海道の宗谷岬……
でも、宗谷岬に行ったところで何もないでしょ?
納沙布岬や佐世保と同じ結果、多分……」
「そうなりますと……」
「やっぱり、そこの事務所でしょ。」
ラウーラさんが「希望の農園」の事務所を指さした。
ラウーラさんって、この世で怖いものは無いのかな?
また、あの事務所を訪ねる以外に道は無いか……
そうは言っても、前と同じ結果になりそうだけど。
私は、あの禍々しい暗黒の光彩を見て以来、事務所に対する恐怖を払拭出来ていない。
「取り敢えず、車を移動させますね。」
私は事務所の正面が見えるところに車を移動させた。
「見てください、あの防犯カメラ。あんなに必要なんですか?」
「うん。ちょっと異常ね。」
「どうします?下手に近づいたら、しっかりカメラに写ってしまいますよ。」
「そうなるんだったら、正々堂々と行こうじゃないの。」
「危ないことはしないって……」
「正面から行くんだから、危なくないわよ。友達がお邪魔していませんかって……」
「はあ……」
結局こうなるのよね……と言うよりも、最初からこうなるって決まっていたのよね、ラウーラさん的には。
「じゃあ、ちょっと行ってくるわね。」
「私も行きます。」
「あっ、YUKIちゃんは車で待ってて。」
「ラウーラさんが行くのなら、私も行きます。」
「今は車にいて。」
「いえ、行きますよ。バディですから。」
「違うのよ。YUKIちゃんはこの前も来ているから、顔を知られているでしょ?面が割れてるって言うの?
だから、先ず、私が一人で行ってくるわ。」
「大丈夫ですか?」
「大丈夫、大丈夫。心配しないで。
別に中に入るわけじゃないから。
何かあったら、すぐに戻って来るね。」
ラウーラさんはそう言い残すと、車から降りて躊躇することなく事務所の方へ歩きだした。
私は車に乗ったまま、ラウーラさんを見守るしかなかった。
私が見ていると、ラウーラさんは一度事務所の全体を見回してから、ドアのチャイムを鳴らそうとしていた。
ラウーラさん、チャイム無いんです……
チャイムがないと分かって、ラウーラさんは金属製の黒いドアを2、3回ノックした。
そして、ドアに耳を近づけて中の気配をうかがっていたが、事務所の中からはなんの応答も無いようだった。
ラウーラさんは耳を近づけたまま、もう一度ノックした。
その後、耳を離すと、ドアに向かって何やら声を掛けていた。
えっ?
私は少し驚いた。
ラウーラさんは日本語じゃなくて聞き慣れない外国語を話しているようだった。
ラウーラさん、なに?
車の窓を開けて、ラウーラさんの話声に耳を澄ませた。
よく分からないけど、スアンの国の言葉なのかな?
私がラウーラさんの語学力に驚いて感心していると、事務所のドアが少しだけ開いたように見えた。
あっ!開いた……
私はシートから腰を浮かせて身を乗り出した。
すると、ドアが更に開いて、中から男性の太い腕が伸びてきたかと思った瞬間、ラウーラさんの右手首をむんずと掴むと、ふくよかな体型のラウーラさんをものともせずに、恐ろしい程の力で事務所の中に一気に引きずり込んだ。
ラウーラさんは声を上げることも出来ずに事務所の中に姿を消した。
そして、金属製のドアはバンッと音を立てて勢いよく閉まってしまった。
事務所は何事も無かったかのように再び静寂を取り戻した。
私は一瞬の出来事に唖然として開いた口が塞がらなかった。
何がどうなっているのか、頭の中がパニックになって、目の前で起きたことを整理できない。
えっ?えっ?……ええっっ?!
何が起こったの……
ラウーラさん……
気が付くと、私は車を飛び出して事務所の近くに立っていた。
どうしよう、どうしよう……
とにかく冷静に……
私は目を閉じて大きく深呼吸した。
ふぅーーー……
ようやく、少しだけ冷静さを取り戻した。
やっぱり警察の力を借りないと……
……いや、でも、そんな時間は無さそう。
それに、この状況を警察にどう説明したらいい?
ラウーラさん、無理矢理事務所の中に引き込まれたんだと思うけど、もし、違ったら……自らの意思で入って行ったのかも知れない。
事務所の中に入る直前、中の人と何か話をしていたし……あれって、何を話していたのかな?
……一瞬、高宮さんのことが頭をよぎったけど、まずは、私がこの状況を打開すべき。
今、振り返ると、私はこの時、異常な状況に置かれているために冷静な判断力が欠如していたみたい……
私は、もう一度深呼吸をして気持ちを整えようとした。でも、気持ちは昂ったまま……
よしっ!ラウーラさん、すぐに行きますね。
事務所に近づくにつれて、私は、意味がないと分かっていても、無意識のうちにうつむき加減になって、監視カメラから顔を背けようとしていた。
そして、事務所のドアの前に立つ。
喉がカラカラに乾いて、鼓動が早くなる。口から心臓が飛び出しそうだ。
緊張で汗ばんでいる手を握って、ドアをノックした。
…………
無反応。
もう一度ノックした。
…………
無反応。
人のこと、無視しないでよっ!
よく分からないけれど、イラついてしまった。……変なテンション。
私は、おもむろにドアノブを握って、ドアを引いた。
……何の抵抗もなく、ドアが開いた。
あっ、開いた……
私は半歩後ろに下がった。
そのドアの向こう側に潜む何かが私に手招きしているような気がした。
よーーーしっ……もう、なるようになれっ!!
私は、思いっ切りドアを開くと、飛び込むようにして事務所の中に入った。
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