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10 高宮と松延
警視庁捜査一課の高宮は根室警察署に連絡を入れた。
「お世話になります。私、警視庁捜査一課の高宮と申します。
納沙布岬の右脚遺棄事件のご担当の方、お願いできますか?」
「納沙布の事件ですか?うちの担当は刑事課の松延といいます。
いま、代わります。」
応答した根室警察署の署員は松延に電話を取り次いだ。
「……はい、松延です。」
「あ、お疲れ様です。お忙しいところ恐れ入りますが、納沙布の事件で確認させていただきたいことがありまして……」
「知っていると思うけど、この事件、合同捜査本部が設置されたので、指揮権は道警の一課なんですよ。そちらに照会してくれませんかね?
一課同士、そのほうが、話が早いでしょう?」
松延は多少嫌味っぽく言った。
「おっしゃる通りかもしれませんが、初動捜査された松延さんに是非お聞きしたいと思いまして。」
高宮は誠意をもって答えた。
「はぁ。……分かりました。で、何を聞きたいんですか?」
「見つかった例の脚、足首のところにタトゥーがありましたか?」
「……タトゥー?どうして?」
「あるんですね?」
「一課経由で訊いた?」
「いいえ。どこからも訊いていません。
ですから、今、お聞きしているんです。
そのタトゥー、ドクロに鎖が巻き付いたような模様ですか?」
「ええ、肌の腐敗が進行していたけど、確かにそういう模様ですよ。」
「やっぱりそうなんですか……」
「どういうこと?何か知っているようだけど?」
「はい。私が今担当している事件と関連がありそうなんです。
私、そちらに伺おうと思います。決して邪魔はしませんから、松延さん、少しだけ時間頂けませんか?お互いにプラスになると思います。」
「……まあ、いいですよ。こう言っちゃあなんだが、こっちの捜査も手詰まりでね。」
「では、すぐにでも飛びます。」
「こっちの一課には話を通さなくていいの?仁義は切らなきゃ。」
「それはおっしゃる通りなんですが、足かせが付いて動きづらくなりそうで……
松延さん以外には誰とも会いません。」
「そうかい……気を付けて来てくれ。こっちはもう冬だ。」
松延は、電話の向こうの若い刑事が型にハマらない奔放な仕事をしそうに感じて、興味が湧いてきた。
「ありがとうございます。根室に着いたら連絡します。
よろしくお願いします。」
「ああ、よろしく。」
◇
警視庁捜査第一課長室
「課長、根室に行ってきていいですか?」
捜査一課長の東堂を前にして、高宮は開口一番ストレートに切り出した。
「根室?北海道のか?」
「はい、そうです。」
「随分と急な話だな。」
「納沙布岬の事件、私たちが追っている事件と接点がありそうなんです。」
「関係者の可能性があるとでも?」
「私はそう踏んでいます。」
「高宮、君一人で調べたいのか?」
「はい。私一人で行かせてください。
今はまだ確証がないので、確証を得るまでは単独で動く許可を下さいっ!」
「……この事件、ここまで解明できたのは、高宮、君の力が大きいからな。
その目で見て、自分の思う通りにやってこい。
責任は俺が取る。」
「はいっ!ありがとうございますっ!」
「連絡だけは忘れるなよ。」
「了解しましたっ!」
高宮は、課長室から勢いよく飛び出すと、早速根室に向かう手はずを整え始めた。
◇
道東の根室の冬は厳しい。積雪は少ないものの、気温が低く、風が強い。厳冬という言葉がしっくりし過ぎる。
今日は運が良いみたいだ。
空は晴れ渡っていて、風も穏やか。天候に恵まれた。
高宮は根室警察署から遠くないところにレンタカーを止めると、松延に連絡を取った。
「松延さんですか?警視庁の高宮です。根室に着きました。」
「お疲れ。寒いでしょ、こっち。」
「そうですね。でも、天気が良いので。」
「今、どこにいるの?」
「署の近くに車を止めています。」
「挨拶がてら、署に来たらどうだい?」
「いえ、今回は。わがまま言って、すみません……」
「慣行に捕らわれないで仕事をするってか……羨ましいよ。」
「ありがとうございます。」
「今、手が空いているから、そっちに行くよ。」
高宮が車の中で4、5分待っていると、中年男性が現れた。
その中年男性は車の中を覗き込んできたので、高宮は窓を開けた。
「松延さんですか?」
「松延だ。君が高宮君かい?」
「はい、高宮です。初めまして。お世話になります。」
お互いに身分証を確認し合った。
「これからどうするんだい?」
松延が助手席に乗り込んできて言った。
「納沙布岬に行こうと思っています。」
「じゃ、出発だ。」
高宮は、松延に言われるまま、車を出した。
松延の道案内で1時間近く車を走らせると納沙布岬に着いた。
納沙布岬に着くまで高宮と松延は、仕事の話をせずに他愛もない世間話をする程度だった。
「そこの駐車場に止めよう。」
松延が指差した。
「はい。
結構、街中から遠いですね。2、30分くらいで着くと思っていました。」
「でっかいどう、北海道。」
松延は真顔でおやじギャグを言い放った。
「はいっ?」
高宮は松延の顔を見つめた。
「ん?」
松延は、少しも表情を変えることなく、平然と車から降りた。
「ほら、あれが四島のかけはしだ。」
高宮が松延の視線を追うと、視線の先に赤銅色をしたアーチ状の巨大なモニュメントが目に飛び込んできた。
「デカいですね。想像以上……」
「見た人は、みんな、そう言うよ。」
2人は、四島のかけはしのたもとまで来ると、穏やかな海に浮かぶ歯舞群島を眺めた。
「こんなに近いんですね、北方領土……」
「ああ、そうだ。近くて遠いのが北方領土だ。」
松延の言葉には万感の思いが込められていた。
暫く2人は打ち寄せる波の音を聞いていた。
「おっと、感傷的になっている場合じゃないな。
脚が落ちていた場所はここだ。」
松延は地面を指差した。
「こんな目立つところに……」
「ああ。生きたまま脚を切断して、ここまで運んできたらしい。」
「生きたまま、ですか……」
「生体反応が認められたそうだ。
当人に意識があったのか無かったのかは不明だがな……
まったく、酷いことするよな。」
「外科的な処置でしょうか?」
「いや、肉切り包丁のような刃物で力任せに斬り落とされたらしい……」
「そうですか……それで、長崎で見つかった脚は同一人物の脚ですか?」
「うん。DNA鑑定の結果はまだ先になるが、脚の色や形からすると、まず間違いないということだ。
いたたまれないな。両脚を切断されるなんて。」
「怪我や病気のために切断した訳じゃないんですよね?」
「鑑定結果も健康な脚だそうだ。
治療行為だったら、北海道と長崎に脚を捨てるか?
まともな人間のすることじゃない。狂気の沙汰だよ。全く……」
2人は、どちらからともなく、四島のかけはしの中央付近にある灯火台の方に移動して、灯火台に灯っている祈りの火を挟んで向き合っていた。
「そうですね。」
あいつらの仕業か?
仲間割れかな?
でも、こんな手の込んだことをするのか?……
「松延さん、確認ですが、足首のタトゥーって、この模様ですか?」
高宮はスマホに保存しているスアンが描いたタトゥーの写真を見せた。
「ビンゴ。それだ。」
「やっぱり、そうですか。
それで、犯行現場は特定できたんですか?」
「いや、まだだ。どこから脚を持ち込んだのか、そのルートも判明していない。」
「苦労していますね。」
「左脚が長崎で見つかったせいで、余計に訳が分からんよ。
犯行現場が道内じゃない可能性が高くなった。
お手上げだよ。」
松延は大袈裟に両手を上げて見せた。
「それで、そっちは何を掴んでいるんだ?」
「被害者はヤンガンの出身者だと思います。」
「えっ?ヤンガンって、東南アジアの?そうなのか?」
松延は、驚きのあまり、開いた口が塞がらなかった。
俺たちがこんなに苦戦しているのに……あっさりと……
高宮、何をどこまで掴んでいるんだ?
「そっちが追っている事件は何なんだ?」
「ヤクの密売組織を追っています。」
「ヤク?」
「はい。ヘロインです。」
「で、ヤクの密売が、うちの事件とどう関わってくるんだ?」
「その組織、ヤンガンの出身者で構成されているようなんです。」
「右脚の持ち主も構成員なのか?」
「はい、恐らく。彼らは仲間の証としてタトゥーを入れます。」
「鎖ドクロの?」
「はい。」
「……でも、ここで見つかった右脚が密売組織の構成員の脚だとなぜ分かったんだ?
タトゥーの件は外部には出していない情報なのに。
追っていたヤツなのか?」
「そうではないんですが、同郷の知人から捜索願が出ていまして。」
「知人といっても、組織の人間じゃないよな?」
「ええ、違います。地元の知り合いの間柄らしいです。
それで、あの脚は知人の脚に間違いないと申し立てがありまして……
その証拠として、足首に鎖ドクロのタトゥーがあるはずだと……」
「君らにとっちゃぁ、さしずめ幸運の天使ってとこか……
その天使がもたらした、鎖ドクロのタトゥーの情報で君が追っている組織と繋がったということか?」
「そうなんです。」
「で、君は今、納沙布岬に俺といる。」
「そういうことです。」
「……俺が今まで費やした時間は何だったんだろうな。」
「たまたま繋がっただけです。」
「この事件は警視庁に持っていかれるのか……」
「協調して事件解決を目指しましょう。」
「そうだな。
……ところで、犯人の目星はついているのか?」
「この切断事件のですか?」
「ああ。」
「いいえ。そこまでは……
組織の拠点も掴んでいません。」
「組織の人間とは接したのか?」
「はい。自分がおとりになって、売人からヘロインを買いました。」
「売人も組織の人間なのか?」
「はい。それにヤンガンの出身者のようでした。」
「末端の売人も同郷の人間で固めているのか。
組織として強固な組織なんだろうな。
組織の規模感はどうなんだ?
日本国内だけで活動しているのか?」
「そこもまだ分かっていません。これからです。
もう少し売人と接触して、信頼を得ないと探れません。」
「そうか……でも、仲間の1人をこんな目に合わせたんだ。
それなりの規模の組織なんだろうな。」
松延は右脚が置いてあった場所の方に首を巡らせた。
「はい。そう思っています。」
「組織内抗争でも起こっているのかな?」
「抗争があったにせよ、どうして脚を切断して、ここと長崎に置いたのか理由が分かりません。」
「しかも、すぐに見つかるようなところにな。」
「リスクしかありません。」
「リスクを冒してまでする理由は何か……制裁を加えて見せしめにしたのか……」
「組織とは無関係に殺された可能性も捨て切れません。
同郷の人間で組織されている仲間意識が高い集団だと思いますので、制裁ではないかも知れません。
凄惨すぎる……」
「組織を理解しないと、可能性を絞り込めんな……」
「ただ、別の可能性もありますよね?」
「別の可能性?」
「あの被害者、場合によっては生きているかも知れません……
我々は死んだ前提で話していますけど。」
「ああ。その可能性も捨ててはいない。捨ててはいないが、あの脚の切り口からすると、可能性はゼロに近い。
やっこさん、今でもどこかで生きているなら奇跡だよ。」
「そうですよね。」
高宮は言いながら空を見上げた。
「死んでいるなら、遺体の他の部分はどこにあるんでしょうか?」
「そこだよな。捜査すべきは。
両脚と同じように、日本中に散らばっているのかな。」
「そうとも思いますけど、そうする理由がますます分からなくなります。」
「相応の理由があるんだろうな。
脚を根室と佐世保に運ぶ。誰かに目撃されるかも知れんのに。
そして、簡単に発見されるところに置く。
そんなことをする理由ってなんだろうな?」
「分かりません。分かりませんが、密売組織を追えば、自ずと分かるような気がします。」
「そうだな。よろしく頼む。」
「はい。」
「ところで、佐世保にも行くのかい?」
「取りあえず、本庁に戻ってから、検討します。」
「そうか。うちの事件に関係がありそうなことを掴んだら、連絡してくれ。」
「そうさせてもらいます。」
「それじゃあ、戻るとするか?」
「そうですね。」
「ホテルはとってあるの?」
「いえ。日帰りの予定で来ましたので。」
「北海道に日帰り?もったいないね。」
「またの機会に、ゆっくりさせてもらいます。」
「また会えることを楽しみにしているよ。」
「ありがとうございます。では、根室署に戻ります。」
2人は車に乗り込むと、根室の市街に向けて納沙布を出発した。
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