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11 ラウーラさんの予言
占いの館の私の部屋
私の前には、ラウーラさんとスアンが座っている。最近のよくある構図。
「カフェラテ、どうぞ。」
私はラウーラさんとスアンにホットのカフェラテを勧めた。
「ありがと。」
ラウーラさんは、湯気の立っているカフェラテにフーッと息を吹きかけてから、カップにゆっくりと口を近づけた。
「いただきます。」
スアンも両手でカップを持つと、ひと口、カフェラテを飲んだ。
カフェラテを飲んで一息つくと、ラウーラさんが話を進めた。
「……それで、アパートと農場の事務所でアンモニアの臭いがしたのね?」
ラウーラさんは私の方を見て訊いた。
「そうなんです。あれって何なのか気になって……」
「スアンは気が付かなかった?」
「はい。YUKIさんからその話を聞くまで、全然気が付きませんでした。」
私とスアンに質問したラウーラさんは両腕を組むと天井を見上げた。そして、目を閉じて、何か思いを巡らせているようだった。
しばしの沈黙の後、ラウーラさんはようやく口を開いた。
「ミンの友達のファイサルは、以前、ギャングだったのよね?」
「はい。一時期、ストリートギャングをしていました。」
スアンが答えた。
「証拠も無いのに邪推することはよくないけど、アンモニアの臭いって、もし かすると……アヘンかも知れないわよ。」
ラウーラさんは神妙な面持ちで言った。
「……アヘン?」
「……アヘン?」
私とスアンは口を揃えた。
「そう。アヘン。
原料のケシの実からアヘンを精製するときにアンモニア臭がするって、聞いたことがあるわ。」
「アヘンって、麻薬ですよね?
高校の時、歴史の授業で習ったアヘン戦争に出てきたアヘンですよね?」
私はアヘンについてほとんど知識がなかった。
「そう。そのアヘン。」
「昔にあった麻薬ですよね?」
……なんか、トンチンカンな質問かな?
「そのアヘンからヘロインが精製されるのよ。
ヘロインって、聞いたことがあるでしょ?」
「……はい。ヘロインはアヘンから出来るんですか。知りませんでした。」
私は変に感心してしまった。
「麻薬を作っている可能性があるのかなと思って。」
ラウーラさんはカフェラテを口にした。
「それで、アンモニアの臭いがしたということですか……」
「一つの可能性としてはね。あくまでも、可能性の問題よ。」
「可能性……」
私は、あのアパートのリビングの微かな臭いを思い起こしていた。
「下仁田でネギじゃなくてケシの実を栽培しているのかしら。」
ラウーラさんは眉間にしわを寄せた。
「それで、犯罪に手を染めているファイサルが何らかの理由で仲間に殺された?」
私は言ってから後悔した。これじゃ、ミンも同じ仲間みたいだ。
「なんか……よくあるテレビドラマみたいですね。」
スアンは話の方向がミンに向かないように私に言った。
「よくあるテレビドラマと違うところは、切断された両脚が北海道と長崎で発見されたこと。」
ラウーラさんが話を続けた。
「スアン、こんなことを言ったら気を悪くするかもしれないけど、ミンはアヘンを吸っていなかった?」
「ミンが麻薬を?
そんなことはしていないと思います。
少なくとも、私といる時には麻薬なんかしていません。
……でも……でも、日本に来て、色々なストレスを感じて、それから逃れるために麻薬に手を出したのかも知れません。分かりませんけど……
居なくなる前に精神状態がおかしくなっていたので、そのせいかも……」
「そんなミンの心の隙間にファイサルが入り込んで、ミンにアヘンを勧めたということもあり得るような気がします……」
私は漠然とした自分の考えを口にした。
「もし、もしそうだとしても、どうしてファイサルの脚が北海道と長崎にあったのでしょうか?」
スアンは疑問をつぶやいた。
「確かにその理由が謎なのよね。」
ラウーラさんは分からないと言いたげに首を左右に振った。
「私たちの常識では理解できないことかもね。」
「私たちの常識……」
私はそれ以上言葉が続かなかった。
今、私たちが分かっている事実だけでは、真実にたどり着けそうもない。私たちの推理は袋小路に入り込んでしまった。
これからどうすべきか?
ミンを見つけるための進むべき道が分からずに、いたずらに時間だけが過ぎて行く……
結局、今日のところは解散することにして、スアンを寮に帰した。
◇
スアンが帰った後、ラウーラさんは私の部屋で暫くお茶していた。
その時、何の脈絡もなく、ラウーラさんが口を開いた。
「私ね、ちょっと思うところがあるんだけど。」
「思うところ?」
「ええ。
不確定だし、突飛過ぎて、スアンの前では言わなかったんだけどね。」
「な、何でしょう?」
なんか、聞くのが怖い……
「ファイサルの件だけど……」
「はい。」
「まだ見つかっていない体の部分……多分、腕だと思うけど、恐らくその腕が、近いうちに鹿児島の佐多岬か北海道の宗谷岬で見つかる予感がするのよ。」
「……ええっ!?」
「そんなに驚かないでよ。これでも私だって占い師よ。」
ラウーラさんは冗談っぽく言った。
「あ、はい。すみません……
でも、確か佐多岬や宗谷岬って、日本の……」
「そうよ。本土の南端と北端。」
「それじゃあ、日本の東西南北の端々に手足を置いているってことですか?
そんな所に体の一部を置くなんて、悪趣味なゲームじゃないんですから……
なにか根拠でもあるんですか?」
「うん、まあ、それなりに……」
「どんなことですか?」
「今はまだ、ちょっとね。自分でも突拍子もないことだと思うから、実際にそうなったら、その時に説明するわね。」
ラウーラさんは言葉を濁した。いつになく慎重姿勢だった。
「えっ?はい……」
その後、ラウーラさんも私もこの話題を口にすることは無く、カフェラテを飲みながら、他愛もない雑談をしていた。
雑談をする時間。ラウーラさんと私がリラックスできる時間。
最近は、この時間を作ることがなかなか出来なかった。
雑談をすることで、身体からストレスという毒素が抜けて楽になった。
◇
その日から何日も経たないうちに、幸か不幸かラウーラさんの予言は的中した。
私が自宅で昼食を取ろうとしていた時、リビングにあるテレビから某国営放送の昼のニュースが流れていた。
「……次は、明日のお天気をお送りする予定でしたが、ここで速報が入ってきましたので、予定を変更してお伝えいたします。
世間を賑わせているショッキングな事件の続報とでも言いましょうか、北海道稚内市の宗谷岬で成人男性のものと思われる、人の右腕が発見されたということです。
10日前には長崎県佐世保市の神崎鼻公園で人の左脚が、更にその3日前には北海道根室市の納沙布岬で人の右脚が発見されたばかりです。
今度は同じ北海道の宗谷岬で人の右腕が発見された模様です。
すでに発見されている右脚と左脚は同一人物の脚である可能性が高いとの北海道警と長崎県警の発表がありましたが、今回発見された右腕との関係は今後明らかになる予定とのことです。
一連の事件については、早期の解決を期待したいと思います。
では、明日のお天気をお伝えします……」
…………
私は開いた口が塞がらなかった。
ラウーラさん……当たってる……
私はスマホを手に取るとラウーラさんに電話をかけようとした。
ちょうどその時、着信があった。ラウーラさんからの着信だった。
「はい、YUKIです。
ニュースで見ましたよ。宗谷岬で右腕が発見されたって……」
私は興奮気味に応答した。
「ああ、YUKIちゃんも見たの?」
「はい。もう、ビックリして。ラウーラさんが言っていた通りで、それも何日も経たずに発見されて。
どうして分かったんですか?占い……ではないですよね?」
私は、ラウーラさんの予言が的中したことにテンションが上がっているせいで、なんだか失礼なことを言ってしまった。
でも、占いは確率と統計学。その人の特徴を類型に当てはめて答えを出す。占いから今回の答えは導かれないと思う。
「詳しいことは会ってから話すわ。これから館に来ることが出来る?」
「はい、大丈夫です。食事を取ったら、すぐに行きます。」
「じゃあ、後で。」
私は、急いで昼食をとると、ラウーラさんが待つ桜台に向かった。
ラウーラさんの予言的中。その根拠は何だろう?
ラウーラさんは私やスアンが知らないことを知っているってこと?
◇
私は、占いの館に着くと、自分の部屋には行かずに直接ラウーラさんの部屋に行った。
「ラウーラさん、YUKIです。」
私はチャイムを押しながら部屋の中に入った。
「YUKIちゃん、そこに掛けてゆっくりして。」
「はい。ありがとうございます。」
ラウーラさんの室内の照明は、神秘的な雰囲気を醸し出すために私の部屋よりも暗くなっている。そして、室内に飾られている調度品も中世ヨーロッパの装飾品で統一されている。
部屋の中央に置かれている木製のテーブルにもそれっぽいゴシック様式の彫刻が施されていた。
ラウーラさんは、日本茶と塩大福を運んでくると、そのゴシック調のテーブルに置いた。
装飾品の趣味とは違って、食べ物や飲み物は和風が好みのラウーラさん。
一緒に居ると、そのアンバランスが楽しい。
「はい、お茶、どうぞ。大福もね。」
「わあ、美味しそう。いただきます。」
私は塩大福をひと口食べた。
あ、美味しい。
こし餡の甘さとお餅の塩味が絶妙なバランス。
お餅が他とは違うのか、大福の割に軽く感じる。重たくない。
ラウーラさんが勧めるだけはある。
私はお茶を飲むと本題に入った。
「……それで、北海道で腕が見つかった件ですけど。」
「ええ、そうね。私も発見されるタイミングまでは分からなかったけど、こんなにすぐ発見されるなんて思わなかったわ。」
「でも、宗谷岬か佐多岬で体が見つかるって……その通りになりました。」
「そうね。」
「どうして分かったんですか?」
「最初の内は気が付かなかったんだけど……
ファイサルがストリートギャングだったということにばかり目が向いてしまって……
それに、アンモニアの臭いの件もあって……」
「はい。ストリートギャングと麻薬……勝手に結び付けちゃいますね。」
「そうなの。色眼鏡じゃ真実は見えないのよ。」
ラウーラさんは塩大福を頬張った。
「忘れてはならないことは、スアンたちがヤンガンの出身だということ。
そして、私のおばあちゃんも同じ国の人。」
「はい、そうですね。」
「私は以前、母から、おばあちゃんが育った地方の人知れずに伝承されていた儀式の話を聞いたことがあったの。
随分と昔のことですっかり忘れていたんだけど、今回の件で思い出したわ。」
「どんな儀式ですか?」
「その昔、おばあちゃんが育った山間の集落の人々は、大多数が農業で生計を立てていたんだけど、数年に一度、もの凄い豪雨のために川が氾濫して、発生した洪水に集落が襲われていたらしいの。
その洪水のせいで、収穫目前の作物のほとんどが駄目になった。
集落の人々は、常日頃、山の神を崇めているんだけど、洪水が起きる年は作物の出来が悪いために山の神が怒り、その山の神が民を懲らしめるために、集落に巨大な魔物を放ったせいで洪水が起きると固く信じていたの。」
「そうなんですか。」
「集落の人々は、豪雨が続いて川が氾濫しそうになると、その魔物が集落に入ってくることを阻止するために、集落の民の中から生贄を1人選ぶの。」
「生贄を?」
「そう。集落のシャーマンが生贄を決定する。
その後、集落の中心を南北に流れる川の上流と下流、そして、川の両岸を挟むようにそびえている左右の岩山の麓の4か所、つまり、集落の中心から東西南北の方向の4か所に、その生贄の四肢、両腕と両脚を捧げたの。
その生贄の四肢によって、集落の周囲に結界を張ったのね。
魔物の侵入をその結界で防いで、洪水から農作物を守ろうとした。」
「そんな残酷な……」
「そう。私たちの常識や価値観ではそう感じるけど、その集落の人々にとっては、生活の糧となる大切な農作物を守るためには当然のことだったみたい。」
「でも、……その儀式、今はもうやっていないですよね?」
「いいえ、続いているのよ。」
ラウーラさんは首を左右に振った。
「えっ?今でもっ?」
「安心して。今では本当に儀礼的な行為に変わっていて、生贄を模した木製の四肢を作って、四方向に捧げているの。豪雨とかの天候も関係なく、毎年の恒例行事になっているらしいわ。」
「はぁ、よかったぁ……」
私はホッと息をついた。
「今は集落の人々も文化的な生活を送っているわ。」
「そうですか。」
「その集落、私のおばあちゃんが育ったその集落は、スアンやミンが住んでいる地域からそう遠くない所にあるの。」
「それで、今回の件と重なる点があるということなんですね?」
私は合点がいった。
「そうなのよ。あの集落の儀式を再現している気がするの。
しかも、生身の人間を使って……
誰がやっているのかは分からないけど。」
生贄がファイサル?
私は怖くて口に出すことを躊躇した。
「ファイサルの仲間がやったんでしょうか?
……でも、ギャングが儀式を行うんでしょうか?」
「そこが繋がらないのよね……仮にストリートギャングが日本で麻薬を作っているとしても、危険を冒して、この日本で集落の儀式を行う?」
「確かに繋がりませんね。」
「うーん……スアンは、あの集落の儀式の事を知らなそうね……」
ラウーラさんは考え込んでいる。
「……こうなったら、行って白黒つけるしかないわね。」
「どこに行くんですか?」
「下仁田に決まっているでしょ?」
「ええっ!?
ち、ちょっと待ってくださいっ!
そんなヤバそうな場所だと分かった以上、もう行けませんよっ!
ラウーラさん、警察に任せましょう。そうしましょう。」
「私の妄想のような話、警察が信じると思う?」
「思います、思います。信じますよ。」
「でも、麻薬と儀式が繋がっていないから。
私が繋げるしかないのよ。」
「ラウーラさん、違いますってっ!」
「大丈夫よ、YUKIちゃん。危ないことはしないから。」
「心配です。」
「何でもないって。」
「……じゃあ、私も行きます。」
「それはだめよ。何かあったらどうするの?」
「何でもないって言ったじゃないですか?」
「それはそうだけど……」
「じゃ、行きます。」
「YUKIちゃん、困らせないでよ。」
「もう決めました。
ラウーラさんが行くのなら、私も行きます。」
「YUKIちゃん、頑固だから、言い出したら聞かないよね。」
「はい、聞きません。」
「危ないことしちゃダメよ。」
「ラウーラさんこそ、お願いしますよ。」
「分かりました。」
ラウーラさんは大きくうなずいた。
「それで、スアンには?」
「当然、言わないで行くわ。
スアンは、当事者だし感情的に行動してしまう可能性があるから、抑えが利かないかも知れない……
スアンの事なのにスアンを置いていくのは気が引けるけど、今回は許してもらうしかないわね。」
「……そうですね、やっぱり。」
私は「希望の農園」の入り口の前で取り乱していたスアンの姿を思い出した。
ラウーラさんの部屋を出ると、私は自分の部屋に入った。
このところ、腰を据えて仕事をしていないな……
と言っても、ミンが見つかるまでは、仕事が手に付きそうもない……
明日の今頃は下仁田か……ミンの手掛かりがあればいいけど……
それに、危険な目に合わないで無事に帰ることができればいいけど……
私はイスに腰掛けてスマホを手にした。
なんだか心細くなった私は、安心したくて、下仁田に行くことをメッセージにして高宮さんに送った。
【送信済み】
スマホのその画面を見るだけで、なんとなく安心できた。
自分でも不思議……
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