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12 危険な綱渡り
私は、レンタカーにラウーラさんを乗せて、再び、群馬県の下仁田に向かっていた。
ラウーラさんは、仕事の時とは違って、薄ピンクのハイネックのニットにグレーのフレアスカートといったコーデ。きらびやかなブレスレットや重たそうなネックレスも付けていなかった。
身に付けている宝飾品は指輪くらいだった。
一方の私は、黒のハーフネックのニットセーターに白のパンツの軽装。
下仁田までの高速道路は、青空の下、目立った渋滞もなく快適なドライブだった。
隣に座っているラウーラさんは、普段とは違って寡黙になっていた。
助手席の車窓に映る景色を何となく目で追いながら、何やら考え込んでいるようだ……
「下仁田って、行ったことあります?」
私は、沈黙に耐えられなくなって、ラウーラさんに話しかけた。
「えっ?下仁田はお初ね。のどかなイメージがあるけど……」
「そうです。自然が豊かで、のどかな町ですね。」
「そんな町に悪の巣窟のような建物があるのかも知れない……」
私は「希望の農園」の事務所の不吉な光彩が脳裏に浮かんだ。
「……ラウーラさん。私、この前、下仁田に行った時、実は事務所の光彩を見たんです。」
「事務所の光彩?どういうこと?」
「屋根の上の方に見えたんです。陽炎みたいに……」
「YUKIちゃんが運命を占う時に見る光彩と同じ光彩なの?」
「はい、多分。」
「人以外でも……て、いうか、建物にあるの?光彩が?」
「私も初めての経験なんで、どういうことなのか、正直まだ分からないんです。」
「ちなみにどういう光彩が見えたの?」
「どう鑑定していいのか分からないんですけど、良くはない光彩です。
というより、ネガティブ、悪い光彩です。禍々しい黒色の……
事務所の中にいる人の光彩が建物の外にまで滲みだしたような感じを受けたんです。不思議ですけど。」
「事務所にいる人間の正体をYUKIちゃんの能力も裏付けているってことじゃない?」
ラウーラさんは当然のように言った。
私はゾクッと身震いした。
今向かっている場所がとてつもなく危険な場所だということを改めて認識した。
「……今から引き返しましょうって言ったら、ラウーラさん、どうします?」
「えっ?YUKIちゃん、気が変わった?
いいのよ、無理しないで。
私が勝手に行こうとしただけなんだから。
どこか適当なところで下ろしてもらえれば、それでいいわ。」
「冗談ですよ、冗談。聞いてみただけです。
でも、約束してください。絶対に危険なことはしないって。」
「はぁい、約束します。」
ラウーラさんは右手を上げて宣誓するようなポーズをした。
「あまり事務所に近づかないで、遠くから観察するだけですよ。」
「大丈夫。心配しないで。
私だって命が惜しいし、そこまで無謀なことはしないわ、任せて。」
「……はい。」
とは言え、なんとなく嫌な予感がする……
そうこうしているうちに、下仁田インターの掲示板が見えてきた。
私たちは下仁田インターで高速を降りると、下仁田の町中に入った。
数日前に来たばかりなのに、随分と前のように感じる。
「ラウーラさん、このまま事務所に行きますか?」
「先ずは、ミンたちが住んでいるアパートに行きましょう。」
「アパートですね。分かりました。」
私は車をアパートに向けた。
程なくして、アパートの近くまで来ると、前回と同じく、少し離れた場所に車を止めた。
止めた車の中からアパートの様子を確認すると、相変わらず人の気配が感じられなかった。
「前に来た時と同じです。人の気配がありません。」
「本当ね。」
そう言うと、ラウーラさんは車から降りようとした。
「あっ、どこに行くんですか?」
「ちょっと待っててね。すぐ戻るから。」
「えっ?アパートに行くんですか?」
「ううん。聞き込み。」
「聞き込み?」
私は車のドアを開けたラウーラさんの背中に声を掛けた。
ラウーラさんは、答えずに車を降りると、私たちの車の後方を歩いていた地元のおばあちゃんに近づいて行った。
ルームミラーでラウーラさんを確認していると、おばあちゃんを呼び止めて、何やら訊いているようだった。
おばあちゃんは、時折、首を左右に振ったりして、ラウーラさんの問い掛けに答えていた。
それから、ラウーラさんは、おばあちゃんに丁寧に頭を下げると、小走りに戻ってきた。
「お待たせ。」
ラウーラさんは、車に乗り込むと、肩で息をしながら言った。
「何か聞けましたか?」
「ええ。アパートのことを訊いてみたんだけど、もう何週間も人の出入りを見たことがないって言っていたわ。
住んでいた人たちは東南アジア系の人たちだって……」
「私が来た時と状況は変わらないようですね。」
「そのようね。」
「どうします?アパートに行きますか?」
「YUKIちゃんが前に見た時と変わらないかも知れしないけど、見ておきたい……
いい?」
「はい。」
私たちは車を降りるとアパートに向かった。
近くに来ると、ひと気のないアパートは相変わらず物音一つしなかった。
1階の3号室のドアの前に立ったラウーラさんは、ドアに耳を近づけて部屋の中の気配をうかがっていた。
「どうですか?」
ラウーラさんの後ろにいた私は、少し間を置いて聞いた。
「何の気配もないわね。」
ラウーラさんはそう言いながらドアのチャイムを押した。
「あれっ?」
「電源、切れているみたいなんですよ。」
「なんだ、切れているの?」
「裏に回ってみます?
前はリビングの窓のカギが掛っていなかったんですけど。」
「うん。行きましょう。」
私は、ラウーラさんを連れて、この前と同じように3号室のバルコニーに回った。
「この窓のカギが掛かっていなくて、中に入ることができたんです。」
私はそう言って窓を開けようとして指をかけた。
「ん?」
あれっ?窓は堅く閉まったままだった。
私は、もう一度、今度は力を込めて、窓を開けようとした。
窓は頑として動かなかった。
やっぱり、開かない。カギが掛かっている。
「カギが掛かっています……」
「あら、そうなの?」
「……はい。」
私は急に怖くなってきた。
開いていた窓にカギが掛かっている。誰かがカギを掛けたんだ……
……誰?
「ラ、ラウーラさん。車に戻りましょう。」
「戻る?」
「だって、誰かがこの部屋に来たんですよ。」
「ミンかも知れないでしょ?」
「ミンじゃないと思います。ミンは重篤な状態のはずですから……」
「それもそうね……」
「はい。早く戻りましょう。何か嫌な予感がして……」
「そう、分かった。」
私はラウーラさんを急かすようにして車に戻った。
「ホッ……」
私は安堵のため息をついた。
「このアパート、前に来た時と同じようで同じじゃないかも知れません。」
私は嫌な予感が拭えない。
「来た甲斐があったじゃない。」
ラウーラさんはどこまでもポジティブだ。
「よし。これ以上の成果は無さそうだから、本丸の事務所に行きましょう。」
「い、行きますか……」
私の緊張が一気に高まった。
「大丈夫でしょうか?……なんか、怖いです。」
「危なそうだったら、すぐに帰ろうね。」
「それがいいです。」
私は、エンジンをかけると、「希望の農園」に向けて車を出した。
◇
「希望の農園」の近くまで来ると、私は車を止めた。
「あの正面の建物がそうです。」
「あれが事務所ね。
窓が無いのね。だから、倉庫っぽく見えるのね。」
「そうなんです。来るものを拒んでいるような印象を受けませんか?」
「うん。受けるわね。」
私は事務所の赤い屋根を見上げた。
すると、ラウーラさんは私の視線を追いながら言った。
「YUKIちゃん、どう?光彩が見える?」
「……いえ、見えません。でも、ここからは距離があるので、そのせいかもしれません。」
「ちょっとだけ、近くに寄ってみる?」
「……はい。」
私は車を「希望の農園」の敷地ギリギリの所までゆっくりと近づけた。
そして、もう一度、事務所の屋根を見上げた。
すると、くすんだ赤色の屋根の上には、この前見たような禍々しい暗黒の光彩は見えなかった。澄んだ青空があるだけだった。
「黒い光彩はありません。この前はあったんですけど……」
「そうなの?……ということは、あの事務所の中には誰も居ない可能性があるのよね?」
「そういう可能性もあると思います。あると思いますけど……」
「これ以上は危険かしら?」
「……はい。そんな気がします。」
「ちょっとだけ、農場の方に行ってみない?」
「農場ですか?」
私も前回来た時には農場を見ていない。
スアンの話だと、農場は荒れ地になっていて、何の作物も栽培されていなかったって言っていた……
なんだかんだ言って、怖いながらも興味が勝ってしまう。
「分かりました。農場の様子を見に行きましょう。」
私は、車を出すと、事務所の横の道を通り過ぎて裏側の方に行った。
少し進むと道幅が極端に細くなって、舗装されていない、あぜ道のようになった。
これ以上、車で進むことは出来そうにない。
私たちは車を降りた。
手前に広がっている農場と思しき土地は、スアンが言っていたように、枯草や雑草が生い茂っていて、荒れ果て、とても畑などと呼べるような状態ではなかった。人の手が入っていない荒れ地のように見えた。
「あっ!?」
私は、その場に身を屈めると、ラウーラさんの腕を掴んでラウーラさんも屈ませた。
「どうしたの?」
ラウーラさんが大きな身体を窮屈そうに屈ませて言った。
「見てください。農場の向こう側。林の奥の方……」
私は指を差してラウーラさんに伝えた。
「あれっ?人影があるわね。向こう側が農場なのかしら……」
ラウーラさんが目を細めて言った。
「そうかも知れませんね。この目の前の土地は使っていないのかな……」
「わざわざ離れた土地を使っているのかしら……なんか怪しいわね。
もうちょっと、近づきましょうか。」
「見つからないように、気をつけてください。」
「私が見てくるわ。
YUKIちゃんは、ここで待ってて。」
「えっ?私も行きますっ!」
「了解、了解。」
「ラウーラさん、見つからない程度に近づいて、木陰から観察しましょう。」
「そうね。」
私たちは、身を屈めて、抜き足差し足、物音を立てないように細心の注意を払いながら歩を進めた。
そして、大きな幹の木の陰から人影を観察した。
木立に囲まれた箱庭のような土地は、開墾された畑になっているようだった。
その畑で、2、30代くらいの若い男性が農作業をしていた。
10人程で作業しているようだったけど、誰一人、口を開く者はなく、黙々と作業に打ち込んでいた。
彼らは、同じブラウンの上下の作業服に同じ色の作業帽を被っていて、離れたここからは、その表情を確認することは出来なかった。
ただ、作業の途中で時折垣間見える顔つきや肌の色からすると、スアンやミンと同じく東南アジア系のヤンガンの出身者のように見えた。
私は、心の底ではいないと思っていても、目を凝らしてミンの姿を探した。
……ミンの姿は無さそう。
「スアンと同じ国の人に見えますね。」
私は隣にいるラウーラさんにささやくように言った。
「間違いなさそうね。」
ラウーラさんはうなずいた。
「でも、ミンはいないみたいね。」
「はい。残念ですけど……」
「それにしても、ここで農作業をしているから、アパートと事務所には誰もいないのかしら?」
「どうでしょうか……あそこにいる人たちで全員なのかも分かりませんから……」
「それもそうよね。」
「そろそろ、戻りましょうか?直接話を聞くことは得策とは思えませんし……」
「そうね。あの人数だし、ちょっと危険かもね。」
「じゃあ、車に行きますね。」
私が踵を返してきた道を戻ろうとした時、ラウーラさんが声を上げた。
「痛っ!」
ラウーラさんは、長時間身を屈めていたせいで足腰に来たのか、前のめりに転んでしまった。
「大丈夫ですかっ?」
私も反射的に声を上げてしまった。
私は、ラウーラさんが起き上がることに手を貸しながら、作業している男性たちが私たちに気付いたんじゃないかと思い、咄嗟に畑の方に顔を向けた。
その時、運悪く、作業している男性たちの中の1人が私の方に振り向いた。
や、やばっ!
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